高島トレイル | #01 人工物を極力つくらず、持ち込まず、自然度の高いトレイルを維持するポリシー
文・構成:TRAILS 写真:谷口良一、NPO法人 高島トレイルクラブ、TRAILS
実は、TRAILSは『高島トレイル』に再注目している。だからこそ今年4月に開催した『LONG DISTANCE HIKERS DAY』でもフィーチャーした。もちろんそこには、僕らなりの明確な理由がある。
TRAILSのロング・ディスタンス・ハイキングの原風景は、アメリカのロング・ディスタンス・トレイル (以下、ロングトレイル) である。人工物を極力排したウィルダネス (原生自然) と呼ばれる大自然のなかを歩き、野営を繰り返しながら旅をしつづける。その旅のスタイルにヤラれたのである。
スケールは違えど、僕たちは日本でもロング・ディスタンス・ハイキングを楽しんできた。ただ特に国内おいては、トレイルを長くしようとすれば、アメリカ以上に舗装路も利用せざるを得ないことも多い。またほとんどの場合、野営指定地は決められている。
2008年に、日本のロングトレイルのパイオニアである「信越トレイル」が全線開通 (当時は80km) したのを皮切りに、日本で次々にロングトレイルが誕生した。そんな国内において、僕たちが憧れるロング・ディスタンス・ハイキングの原風景に近しいロングトレイルはないものだろうか?
それが高島トレイルだったのだ。高島トレイルはトレイルのほとんどが未舗装路であり、しかも野営指定地を設けていない。つまりアメリカのトレイルのように、自然のなかを歩き、好きなところに (もちろん自然保護のガイドラインやルールを遵守した上で) 野営しながら旅をすることができるのだ。
そこでTRAILSは今回、この高島トレイルを再注目し、徹底解剖するべく、全4回 (#01〜#04) にわたる特集記事を組むことにした。#01 人工物を極力つくらず、持ち込まず、自然度の高いトレイルを維持するポリシー、#02 スルーハイキング4Days(Sunny編)、#03スルーハイキング4Days(Gnu編)、#04 PCTハイカー3人の視点、の4回でお届けする。
まず第1回目の今回は、自然度の高いトレイルを維持するポリシーが、どのような考えや背景から誕生したのかを紐解く。NPO法人 高島トレイルクラブ代表理事の谷口良一氏にインタビューをし、高島トレイルの成り立ちや、このトレイルの根っこにある考え方に迫った。
ゴンドラ建設に反対してつくられた自然歩道が、高島トレイルの母体となる。
高島トレイルは、琵琶湖の北西に位置する全長約80kmのトレイルである。信越トレイルと並び、日本のロングトレイルの黎明期に誕生したトレイルだ。
高島トレイルの開通は2007年。信越トレイルの50km開通が2005年、80kmの全線 (当時。現在は110km) 開通が2008年。この2つのトレイルの開通ほぼ同時期であり、すでに15年以上の歴史を持つ。高島トレイルも早い時期からハイカーに支持されてきたトレイルのひとつである。
高島トレイルの特徴として、舗装路がほとんどなく、自然に囲まれた未舗装のトレイルを長く歩けること。また人工物がきわめて少なく、自然度の高いトレイルであることが挙げられる。このようなトレイルが生まれた、この土地のバックボーンについて、まずは話を聞いてみた。
谷口:「高島市は2005年に5町1村が合併して誕生しました。そのひとつであるマキノ町のこれまでの取り組みが大きいですね。
マキノ町には、大正末期から昭和初期にかけて赤坂山の麓にマキノスキー場が誕生しました。関西にはスキー場がまだ少ない頃に作られた場所で、浜大津港発のスキー船が運航していたり、多くのスキーヤーでにぎわっていました。
その後1970年頃に、マキノのスキー場に、観光の集客のためにゴンドラを設置したいという話が持ち上がりました。しかし、結果として、マキノはゴンドラではなく、自然歩道をつくるという決断をしました。
ゴンドラで人をたくさん運べば、山の上にゴミも増えてしまいます。自然保護の意識が高まってきたタイミングでもあり、県の方針もあって『今の時代は、自然を生かして歩いて登ってもらうのが大事。リフトやゴンドラではなく、自然歩道を整備しましょう』となったのです。この時に作られたのが、赤坂山歩道です。この自然歩道が、現在の高島トレイルの一部になっています」
この背景には、高島市のなかでも、そもそもマキノが山深いエリアであるという地理的特性が大きく影響している。他の町村は、製造業をはじめ他の産業が発展しているが、マキノは山が多いがゆえにそれが難しく、スキー場のように地元の自然とともに町を育てていく、という考えが根付いている場所であったのだ。
何十年もの自然に対するグラスルーツ的な活動が、トレイル誕生の土壌をつくる。
前述したように、スキー場のゴンドラ建設に代わって生まれた赤坂山歩道が、現在の高島トレイルの母体となった。では、その赤坂山歩道は、その後どのように発展していったのだろうか。そこに大きく関わったのが、谷口氏だった。
谷口:「1996年に、登山客が増えてきたこともあり、植生を詳しく調べて、赤坂山の自然ガイドブックを作りました。私は当時、滋賀県庁の職員でしたけど、森林インストラクターや自然観察指導員の資格も持っていて植生には詳しかったんです。それで2週に1回、山に登って、どこにどの植物が咲いているか網羅して、2,500分の1の地図に書き込んで、2年調べてガイドブックを完成させました。
作成するにあたって編集委員会が組織されたのですが、それを母体にして1998年に『マキノ自然観察倶楽部』を立ち上げました。これは、マキノの豊かな自然環境を将来に引き継ぐための活動をするクラブで、現在は私が代表をしています」
この谷口氏を中心としたマキノにおける活動と思いが、高島トレイルの萌芽へとつながっていく。2004年には、環境省から、マキノ町をはじめとしたこのエリアが、環境保全と観光振興の両立を目指すエコツーリズム普及のモデル地区にも指定された。
そして2005年1月、マキノ町、今津町、朽木村、安曇川町、高島町、新旭町の5町1村が合併して高島市が誕生。合併した町が一丸となって取り組めるものを模索するなかで着目されたのが、高島市に広がる自然環境だった。
谷口:「市町村合併の頃に、高島市で森と里、湖に抱かれた自然環境をはじめ、生活文化や歴史の魅力も含めたストーリーを構築して、町を育てるプランが考えられていました。そのなかには高島トレイルのベースとなる自然歩道も含まれていました。結果として、合併の翌年の2006年に『びわ湖・里山観光振興特区』に認定されました」
このようにして、高島トレイルの誕生前夜には、今までこの土地で受け継がれてきた地元の自然を生かしていく活動が、さらに促進される流れができていた。
2007年、日本におけるロングトレイルの黎明期に『高島トレイル』が誕生。
高島トレイルは、藪に埋もれていた古道やかつて使われていた山道を活かしたもので、各地域で地元の人が整備してきた登山道を、2005年1月の合併とともにつなぎあわせて、2007年10月に誕生した。
合併前には『ロングトレイル』という言葉や概念自体はなかったようだが、どのタイミングでロングトレイルとして整備しようとなったのだろうか。
谷口:「壇上俊雄 (だんじょう としお ※1) さんという、滋賀県の山についての本も執筆している方がいて、その人の存在が大きかったですね。
壇上さんは中央分水嶺をフィールドにさまざまな活動をされていて、その方が高島トレイルとして進めていったらいいんじゃないかとアイディアを持ち込んでくれて、高島トレイルとして整備していくことになりました。
高島市を貫く中央分水嶺は、滋賀県北部の余呉というエリアにもつづいているのですが、壇上さんは、余呉トレイルの推進にも関わっていました」
くわえて、高島トレイルを整備していく上で後押しになったのは、高島市の初代市長となった海東英和 (かいとう ひでかず) 氏だった。海東氏は、地元の自然を活かした観光振興を推進していくという方針を持っていた人物であった。
このようにして、グラスルーツ的に脈々とつづいてきた地元の自然を守る活動と、地元の山のエキスパートが持ち込んだアイディア、そして行政のリーダーシップがうまく混ざり合って、高島トレイルは形づくられていった。
当時日本でロングトレイルといえば、信越トレイルだけだった。2003年に信越トレイルクラブが発足し、2005年に50kmの区間が開通、2008年に80kmの全線 (当時) が開通した。高島トレイルも先進事例である信越トレイルに習った部分も多いという。
谷口:「信越トレイルは日本のロングトレイルのパイオニアでしたから、高島トレイルも情報をいただいたり、参考にしていました。
2007年9月には、信越トレイルの維持管理の方法も参考にして、トレイルに携わる地域連携を促進するため、『高島トレイル運営協議会』も設立しました。
全線開通の発表イベントの際には、加藤則芳 (かとう のりよし ※2) さんを招いて、参加者と一緒に高島トレイルを歩きました。その際に、加藤さんとは今後の日本のロングトレイルの構想についても、お話をしたりしました。基調講演では、アパラチアン・トレイルをテーマにしたお話もしていただき、加藤さんのロングトレイルの考え方やあり方に関しては、かなり参考にさせていただきました」
人工物を極力つくらず、持ち込まず、自然度の高いトレイルを維持するポリシー。
国内に数あるロングトレイルのなかにおいて、高島トレイルが稀有であることのひとつが、野営指定地がないことだ。
つまり、アメリカのロングトレイルのように、自然を保護するためガイドライン、ルールを守れば、テントを張る場所についての制限はないということだ。
谷口:「このエリアは、もともと赤坂山歩道があり、自然公園法で定められた特別保護地区もあり、多くの規制のなかでハイカーや観光客を迎える場所です。
当然ながらそのぶん自然度が高いため、その状態を維持し、守っていくためには、なるべく人工物を設置しないことが重要だと考えています。
基本的にテント場やトイレなどは設置せず、道標などのサインも極力シンプルにすることで、自然の本来の姿を残し、それをみなさんに楽しんでいただきたいのです」
1970年代から、自然を生かした里山のあり方を守り続けてきた土地だからこそ、元来この土地が持っている豊かな自然を、なによりも大事にしているのだ。そしてそれが、高島トレイルのガイドラインやルールにも反映されている。明文化することで、運営側はもちろんだが、利用者にも理解と実践をお願いしているのである。
谷口:「ちなみに、高島トレイルは、トレイルランニングのレースもお断りをしています。それは、トレイルや自然への負荷をなるべくおさえるためです。
また、歩くスピードで、この高島の貴重な自然をゆっくり楽しんでほしいという思いもあります」
ロングトレイルが長くつづくための、維持管理。
ハイカーにこの豊かな自然を楽しんでもらうためには、トレイル整備も欠かせない。その点においても、高島トレイルは県や市と連携して体制を整えて運営している。整備費用は高島市に持ってもらい、エリアごとに山岳団体や自然保護団体などの担当団体が、整備を手がけている。
また、ロングトレイルを長く維持管理していくためには、地域との連携、地元に愛されることも重要なファクターである。
谷口:「現在、高島トレイル連携協議会には、宿泊施設やキャンプ場をはじめ21団体が加盟しています。
高島トレイルクラブだけで運営するのではなく、地域の人たちとしっかり連携することで、高島トレイルの魅力をより多くの人に知ってもらうことが大切です。
また、2021年から高島トレイル『サポーター養成講座』をスタートしました。これは多くの方々にこの講座を受けてもらい、より高島トレイルを知ってもらうこと、高島トレイルの応援団になってもらうことを目的としています。これからも、地元の方々や多くの方々と一緒になって高島トレイルを盛り上げていければと考えています」
ハイカーにとっての、高島トレイルの大きな魅力は、舗装路がほぼなく、濃い自然のなかをずっと歩けること。さらに、野営指定地がなく、テントを張る場所の制限がないことが挙げられる。
今回のインタビューでは、高島トレイルの特徴のひとつである、野営指定地なしという方針が、人工物を極力つくらず、持ち込まずという、「自然度の高い里山を守っていくポリシー」によって貫かれたものであると確認できた。
野営指定地なしというのはひとつの手段であり、地元の深い自然を味わってもらうことに対するコミットの強さが背景にあったのだ。
次回の#02および#03では、JMT、PCT、CDTなどアメリカのロングトレイルを歩いたハイカーが、実際に高島トレイルをスルーハイキングしてみた印象を語ってもらう。
<高島トレイル特集記事>
#01 人工物を極力つくらず、持ち込まず、自然度の高いトレイルを維持するポリシー
#02 スルーハイキング4Days(Sunny編)
#03 スルーハイキング4Days(Gnu編)
#04 PCTハイカー3人の視点
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