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TRAILSが出会った面白い人たちに「山の初期衝動」を聞いていくこの連載。半年ぶりの公開になってしまいましたが、今回のゲストは、2014年に超コンパクトなマルチフュエル・ストーブTiMNYでデビューした新進気鋭のコテージ・マニュファクチャラー、ifyouhaveの山口貴史さん。若干31歳という年齢は、日本のコテージ・シーンの中でも最年少オーナーではないでしょうか。しかも山口さんは、あのアメリカの思想家バックミンスター・フラーの提唱した「シナジェティクス」研究所の元研究員という変わり種。さらには菜食主義者で、高知の山間に構えたアトリエで家庭菜園を作りながら制作活動を行うシンプルライフの実践者であり、未来のタイニーハウス建築家でもあります。

そんな山口さんを昨年12月の高知へのアトリエ移転直前に東京でキャッチ、超ロングインタビューを敢行してきました。ゼロ年代後半のULカルチャー、シナジェティクス、コテージ・マニュファクチャラーの実際など、なかなか興味深い内容になっていますので、例によって1万字超えの長文ですが、ゆっくりと最後まで読んでいただけたら嬉しいです!

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■パーティ・ピープルだった大学時代

ーーいまお幾つなんですか?

「31歳です。」

ーーもともと山とは無縁の生活を送っていたんですよね?

「そうですね。大学は建築科だったんですけど、そんなに大学には行ってなくて、当時Raw LifeとかFlower of Lifeとか、音楽のパーティ・シーンが盛り上がっていた時期だったんで、そういうとこで遊んでばかりいました。キャンプっていったらフェスでキャンプするくらいで。」

ーーその時期から夏になると代々木公園とかで毎週のようにフリーパーティが開かれるようになって、日本も面白い国になってきたと思っていたんですけどね。でも、それから10年経ってみたらこの有様で、閉塞感だらけだけど(笑)。いま考えるとまだのんきな時代でしたよね。」

「のんきでしたね~。」

ーーそんな感じでパーティ三昧な大学生活を送られて、卒業してどうされたんですか?

「建築の設計事務所に就職して、そこで3年弱働きました。そのうちにクラブへ行くのもだんだん飽きてきたというか、あまり面白くなくなってきて、その反動かわからないんですけれど、会社の山好きのおじさんに日帰りで群馬の妙義山に連れてってもらったんです。それが2008年くらい。」

最初に登った妙義山。引率のおじさんと。ボトムはナイキのジャージで、靴もナイキACGでした(笑) 2008年。/山口

最初に登った妙義山。引率のおじさんと。ボトムはナイキのジャージで、靴もナイキACGでした(笑) 2008年。/山口

ーー妙義山に登ってみてどうでした?

「それまでは夜型だったんで、単純に早起きして1日山を歩くというのがすごく新鮮で楽しかったですね。あと、これはテント泊するようになってからのことですけど、家で寝ていると朝まで起きないけど、テントで寝てるとちょっとした天気の変化で起きたりするじゃないですか。普段使っていない自分の野生っぽい部分が山に行くことで感じられる面白さはあるなと思いました。それで最初はそのおじさんと一緒に山に行き始めたんですけど、そうなると道具も調べ始めるじゃないですか。テント泊もしてみたかったけど、あの装備の量と重さがネックになっていたんですね。『20kgなんてレコードバッグより重いじゃないか!』って(笑)。そんなときに、グルービジョンズの伊藤弘さんがhoneyee.comでやっているブログで、MLD(Mountain Laurel Designs)のペラペラのバックパックとか、ULのギアをアップしてたんですよ。それで最初にUL知ったんです。」

ーーじゃあ最初はULギアのルックに惹かれたって感じですか? 単純に伊藤さんの紹介しているモノがカッコいいなっていうか。

「カッコよくは思わなかった(笑)。やっぱり軽さじゃないですか。『こんなに軽いのあるんだ!』って。それでULに興味を持っていろいろ検索していくと、『山より道具』(『ウルトラライトギアハイキング(山と渓谷社)』著者の寺澤英明氏による超人気ブログ。寺澤氏はTRAILSでは『土屋智哉のMeet The Hikers#3』に登場。)とかヒットするじゃないですか。」

ーーじゃあ山を始めたと同時にUL化していったって感じだったんですね。

「円もいまほど安くなかったから、海外通販でいろいろ買っては試してました。それと平行して『山より道具』とかJSBさん(日本のアルコールストーブ界の草分け)のブログとか見て、アルコールストーブも作るようになり。実はTiMNEYの原型も、その時期にはできていたんです。素材はステンレスだったけど、一段でアルスト、二段でウッドストーブっていう形はもうあって。あと、当時はMLV Factoryって名義でいまはFREELIGHTをされてる高橋淳一さんのブログも読んでましたね。変な発明いっぱいしていて、あれも面白かった。」

ーーFREELIGHTはまさにあのブログから誕生したブランドですもんね。いまでも昔のエントリーは残っているから、当時を知らない人はぜひ読んで欲しいな。あの頃の雰囲気がすごくよくわかるから。

「最初は応援したい気持ちもあって、スタートしたばかりの時期のMLVとかローカスギアのものを買いましたね。

TiMNEYの原型となった自作ストーブ。ステンレス製で製品版より少し背が高い。2010年。/山口

TiMNEYの原型となった自作ストーブ。ステンレス製で製品版より少し背が高い。2010年。/山口

■山とシナジェティクス

ーー僕の場合は山に行き始めた頃って、癒しを求めて行くというよりは刺激を求めて行っていたんですね。それまでは僕も都会的な文化が大好きだったけどそれが全部色褪せて見えて、自然の世界の方が断然刺激的だし、面白いって思うようになって。まあいま思うとそれはそれで極端な考え方だなとも思うんですが(笑)。でも、そういう感覚って誰でも大なり小なり感じるものなんじゃないかと思うんですけど、山口さんはどうでしたか?

「僕も山に行き始めたときはちょうど都会的なものや人工的なものに飽きてきていた時期で、最初に北アルプスの稜線に出たとき『わっ!』てのがありましたね。『日本にもこんな場所あるんだ』って思ったし。」

ーー日本の良さを改めて発見するような感じがありますよね。日本のことわかってたようで、なんにもわかっていなかったなって。

「「最初はびっくりしますよね。僕は24歳のときにクラブへ行かなくなったのと山に行き始めたのと、マクロビを知って食生活を替え始めたのが、全部同時期だったんですよ。シナジェティクスもそうで、それまでもフェスでフラードームのテントがDJブースに使われていたりするのは知ってはいたんですけど、そこまで興味はなかった。でも2008年にノースフェイスの40周年イベントでフラードームも紹介されていて、その後師事することになるシナジェティクス研究所の梶川泰司さんがプロトタイプのカーボン製ドームを展示していたんですよ。構造もすごかったし、ちょうどULを知って重さが気になりだした時期だったんで、直径6.5mのドームがフレームだけにしても30kgってことにびっくりして。そこから本格的にシナジェティクスをやってみたいなと思いはじめたんです。それで、さっき三田さんの言った自然の凄さで他のものがどうでもよくなるみたいな感覚って、僕は山でもあったけどシナジェティクスでもすごくあって、シナジェティクスって自然の原理を解明するものなんですけど、それを知っちゃうと自分のこととかどうでもよくなってきて。」

ーーシナジェティクスとの出会いの前に山での体験があったからシナジェティクスにもすんなり興味を持てたのかもしれないですね。

「どうなんですかね? それはお互いあったんじゃないかな。」

ーーああそうか。シナジェティクスを知ったからこそ山とか自然の世界にもより興味が持てたり理解が深まると。

「そうですね。お互いに影響していたと思います。それと、ちょうどその頃建築の表面的なデザインに興味がなくなって、もうちょっと根源的な構造とかに興味が移っていた時期だったんです。会社でやっていたのが商業建築で、結婚式場とか、飲食店とか、本当に表面的なデザインばかりやっていたんで。

ーーそういう施設はやっぱり見栄えが大事ですもんね。

「まあクラブ行かなくなって、週末暇になったのが大きかったのかもしれません(笑)。」

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■シナジェティクス入門

ーーそれで建築事務所やめられて、シナジェティクス研究所で働きだしたと。

「そうですね。最初は研究所がやっているスカイプ講座を生徒として受講して、終了後に研究所のスタッフになりました。」

ーーその決断も結構思いきりましたよね。

「とにかく面白かったんですよ。シナジェティクスの本を何冊か読んだんですけど、それが本当にすごい衝撃で。最初に読んだシナジェティクスの本ということもありますが、梶川さんとフラーの共著である『宇宙エコロジー』(美術出版社)っていう本は今まで読んだ本の中でも一番衝撃を受けました。」

ーー目から鱗が落ちたというというか?

「目から鱗以上の衝撃でしたね(笑)。その時仕事を辞めた直後で、ヨーロッパに一ヶ月くらい旅行に行ったんです。ちなみにULの影響もあってデイパック一個だけで行きました。その時にその本を持っていったんですけど、ヨーロッパよりも本の方がすごくて(笑)。一ヶ月行って楽しかったけどその合間に読んだその本の方が衝撃が大きかったんですよ。」

ーーそれはすごい(笑)。研究は実際どういうことをやっていたんですか?

「研究内容については、シナジェティクス研究所のホームページに出ている範囲でしか公にはできないですが、ノースフェイスの40周年のイベントで発表したようなテンセグリティ・シェルターという、テンセグリティ構造でできているドーム型のシェルターなどの研究開発をしたりしてました。」

ーーシェルターはテントというよりもっと大きなものですか?

「直径6mくらいの大きなものですね。アウトドア用というよりはもっと長い期間住めるシェルターです。」

ーーそれはどこからか依頼を受けてやるんですか?

「それは依頼なくてやってました。依頼のない仕事の方が多かったですね(笑)。さっき話に出たノースフェイスの展示とかで依頼されてそういうのを出すとかはやってましたけど。」

ーーところで根本的な質問なんですけど、シナジェティクスとはどんなものなんでしょう。ここに来る前に調べてはみたけどぜんぜんわからなくて(笑)。「シナジー」って辞書だと相乗作用って意味で、ビジネス用語だと営業とか開発とか設備とかを連携して活用することによって生産性や利益があがることを指すと思うんですけど、フラーのいうシナジーっていうのはどういう意味なんですか?

「フラーはシナジーとは『部分からは予測できない全体の振る舞い』と定義しています。」

ーー???

「まあこの『テンセグリティ』のモデルを見てもらうのがいちばんわかりやすいと思いますけど。」

テンセグリティのモデル。30本の棒と糸でできている。

テンセグリティのモデル。30本の棒と糸でできている。

ーー「テンセグリティ」というのはどういう意味ですか?

「Tensional Integrity (張力による統合)という意味のフラーによる造語です。さっきいった『部分』というのはこのモデルにおける棒と紐で、『全体』というのがこのモデル自体を指すんです。棒と紐は誰でも知っているし触ったこともあるけれど、それをこのように組み合わせることでこんな構造になることは予測できない。

ーーこれは宇宙の仕組みを表したものでもあるんですよね?宇宙は棒と紐でできているってことですか?

「圧縮材(棒)が張力材(紐)によって統合されている構造であるテンセグリティ構造を、自然が採用しているのではないかと。僕もそう思っています。」

ーーたとえばコンクリートできたビルみたいな固い構造じゃなくて、弓みたいにある程度固くてしなる幹とそれにテンションをかける弦でできているということですか?

「このモデルのように常に振動している構造です。たとえば原子の構造もテンセグリティじゃないかと言われているんですよ。テンセグリティはまだよくわかっていない部分も多いんですよ、だからこそおもしろいんですけど。」

ーーシナジェティクスは基本的にはすべてをシンプルにしていくっていうような方向性なんですかね。

「シンプルというか、いらないものを取り払った状態といったほうがいいかもしれません。たとえば普通の家だと構造的にいらない柱があったりします。あと大黒柱って、それが折れると家も倒れちゃう柱のことをいいますよね。でも自然界だと大黒柱っていう構造はなくて、どこか一カ所が壊れても致命傷にはならない構造でできている。ようは自然がどういうシステムを使っているか、その原理を発見するのがシナジェティクスなんです。それをテンセグリティのようなモデルで表す。テンセグリティはデザインしたものではなく、もともと自然界にあるものを発見したものなんです。」

テンセグリティのモデルを組み立てる。

テンセグリティのモデルを組み立てる。

取材/文/写真:三田正明

去る2015年11月14日~15日(前夜祭13日)、今年もOMM JAPANが開催され、実に「OMMらしい」悪天候に見舞われたものの、大成功のうちに幕を閉じました。

OMM〈The Original Mountain Marathon〉という一風変わったレースについての詳しい解説はTRAILSの過去記事、『BRAND STORY#003 OMM – Product is born in the race.山と道のおふたりをフューチャーしてお届けし『HIKER × OMM/ハイカーのためのOMM JAPAN講座』を読んでいただくとして、今回は初めてOMMを取材したライター三田正明によるまったくの初心者目線によるレース・レポートと、ゴール直後の興奮冷めやらぬなか、山と道のおふたりへ行った『HIKER × OMM/ハイカーのためのOMM JAPAN講座』の答え合わせ編インタビューの二本立てで、OMM JAPANの実像に迫ります!

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■イントロダクション

これから始まるレポートの前半部分を読むと、「やっぱりOMMはハードだな」と思われるかもしれないので、最初に断っておくけれど、OMM JAPANは最高に面白い「イベント(主催者はOMMをレースではなくイベントと呼ぶ)」だった。僕も今回は取材者として参加したけれど、来年は絶対に出場したい。OMM JAPANには、カテゴリーによってウルトラランナーから週末ハイカーまで誰でも参加できる余地があるし、何よりも選手たちはみな最高に楽しそうだった。

OMMには「ストレート」と「スコア」というふたつのカテゴリーがあり、それぞれにさらに規定時間の違うショートとロングというふたつのカテゴリーがある。ストレート部門はフィールドに設置された「コントロール」と呼ばれるチェックポイントを順番通りに探しながらどれだけ早くゴールできるかを争い、スコアは規定時間内にそれぞれ難易度によって異なる得点の割り振られた「コントロール」をなるべく多く見つけて、その合計点を争うゲームだ。正直、僕にはウルトラランナーたちの世界であるストレートの世界は今回取材してみてもいまみち実感が掴めなかったけれど、ハイカーたちがメインであるスコアの面白さの片鱗は理解できた気がするので、今回はスコア部門に絞ってレポートしたい。

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気温が下がり、キャンプファイアー集まる参加者。

■最悪の天気予報

11月13日の午後5時、OMM JAPAN 2015。

前夜祭の会場であるホテル「パルコール嬬恋」に着くと、エントランスの選手受付にはレース中の悪天候を伝える張り紙があった。「2日間雨の予報がでています。時間帯によっては風速5-10m/s、時間あたり5~10mmの雨量という悪天候も予想されています」という文言を読んで、今大会イベントディレクターのノマディクス小峯秀行さんに「絶好のOMM日和ですね(UK本国のOMMはUKでもとくに悪天候な時期を選んで開催されている)」というと、「何も起こらないといいんですけど」と力なく笑った。

前夜祭にて、コントロールの掲載されていない地図を前に予習する選手。

ロビーから前夜祭の行われている中庭へ向かい、山と道のブースを見つけて夏目彰さんに挨拶すると、「まだ全然明日のことを考えられていない」という。確かに、自分も会場入りしたときにすべてのコントロールが図示された地図を貰ったけれど、それを見てもまったく何のことかわからなかった。そもそもOMMは明日自分たちがいったいどんな場所へ行き、どんな目に遭うのか、スタートするまでは選手達に一切知らせないのだ。ましてや初出場の選手に明日のイメージができるわけがない。

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左:北野さん(スカイハイマウンテンワークス) 中央:土屋さん(ハイカーズデポ)右: 夏目夫妻(山と道)

歓談スペースに解放されたビュッフェには選手達が続々と到着し始め、顔見知り同士たちまちテーブルごとにささやかな酒宴の輪が広がった。夕方から深く立ち籠めていた霧は夜には本格的な雨に変わり、選手達の顔にはレース前の興奮と厳しいコンディションへの恐怖が浮かんでいた。

宴会場と化していたビュッフェ。

■スタートと共に迫られる判断

翌朝は雨音で目覚めた。山と道ブースに張らせていただいたテントのまわりは水溜まりになっていて、選手ではない自分でさえ気が重くなった。軽い朝食を済ませて外に出ると、早い組の選手達はすでに続々とスタート地点に向かっていた。終夜解放されていたビュッフェで寝ていた夏目夫妻に会うと、ほとんど眠れなかったという。「これから戦場に向かうみたいな気分だな」と夏目さん。たしかに、緊張気味に黙々とスタート地点に向かう選手達の後ろ姿には、どこか悲壮感さえ感じられる。

スタート地点までホテルからスキー場を40分登る。

スタート地点はホテルからパルコール嬬恋スキー場のゲレンデを40分ほど登った先にあり、意外な急斜度に息を切らした選手達がすでにずぶ濡れになって並んでいた。スタートは時差式のウェーブスタートで、選手達は笛を吹かれたらスタート地点に置かれた地図を取り、そこで初めてコントロールの場所を知り、1分後にスタートする。OMM最大の特徴はここで、選手達はその場でその日の戦略を決め、すぐさま行動に移さなければならないのだ。

スタート直前に初めてコントロールの場所が示された地図を見る。

スタート地点から数十メートルほど登って尾根に辿り着くと、その日最初の分岐点があった。ここで左へ登って山頂部へ行けばコントロールがいくつかあるけれど、そこに時間がかかり過ぎると後半の比較的楽に取れそうなコントロールを逃すかもしれない。ならば右に下り、確実に取れそうなコントロールを狙いに行くか? スコアの選手達はそういった選択を常に迫られる。分岐点にしばらく留まっていると、多くの組(OMMはふたり一組でレースに臨む)が左の尾根を登っていくなか、脇目も振らず右へ下っていく組もあった。どちらの戦略が正しいかはまだわからない。

S1の△が1日目のスタート地点。○がコントロールで、上に書かれた数字がその得点。初日のコントロールは赤で、2日目のコントロールは青で示されている。△から左の尾根の上にある37点や21点を取りにいくか、右の33点や35点を取りながら下るのか、はたまた上の39点を取りにいくのか、スタートと同時に選手達は判断を迫られる。ちなみにこれはスタッフ用に2日間のコントロールがすべて表示された地図で、選手達が見ていた地図とは違う。

■地図を見ずに人を見る?

ホテルの本部へ戻ると、小峯さんから先ほどの分岐点を左に登った尾根の上が5~10cmほど積雪していると聞いた。

「雪だけならまだしも、風も相当強いらしくて。スコアの選手はそんなにいかない場所だけど、ストレートのロングはかなり奥まで行かなくちゃならないからな…」

僕はクルマで車道に近い場所にあるコントロールをまわってみることにした。今回の会場となった群馬県の嬬恋エリアは標高1300mほどの高原地帯で、最高点では標高2000mほどの山の上にも行くけれど、コントロールの多くは林道近くの雑木林や里の裏山に置かれていた。

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分かれ道で地図を確認する参加者。

道路に出てみると、たくさんの選手が行き交っていた。小走りで走る選手もいたけれど、多くの選手は早歩き程度で歩いている。装備の面でも様々で、20L程度のトレランパックで走る選手もいれば、40L程度のULザックで歩く人もいる。林道の入り口でクルマを止め、そこから500mほどの位置にあるコントロールを目指してみることにした。雨は降り続けていたけれど、霧雨程度でびしょ濡れになる程ではない。雑木林のなかの消えかけたトレイルを歩いていると、なんと夏目夫妻に再会した。

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途中で再会した時の夏目夫妻。

「いきなりエラい目に会っちゃった」と夏目さん。なんでもあるコントロールから次のコントロールへオフトレイルを直降したら延々ヤブ漕ぎになり、しかも結局辿り着けなかったのだとか。せっかくなので、近くのコントロールを探す夏目夫妻に同行してみることにした。が、近くまできている筈なのに、コントロールがなかなか見つからない。だんだんあたりに選手が集まってきたけれど、ライバル同士みんな言葉を交わさずに黙々と探す。誰かの「あった!」という声がして、そちらへ行ってみると、トレイルからは見えない谷の下に置かれていた。

現金なもので、ひとり見つけると人がわさわさと集まってきて、このタイミングでここに来たらさぞ楽っただろうなと思った。後で今年もハイカーズデポの土屋智哉さんと組んで出場していたパーゴワークスの斎藤徹さんにスムーズにコントロールを見つける秘訣を聞くと、こういっていた。

「コントロール近くでは地図を見ずに人を見る。すれ違うとき笑顔をこらえたような人がいたら、『あ、近いな』って(笑)」

笑顔で初日のゴールに辿り着くテツ&トモ(斎藤徹さん、土屋智哉さん)。

取材:TRAILS(佐井聡 三田正明)  構成/文/写真(山と道):三田正明

今年もOMM(Original Mountain Marathon)の時期が近づいてきました。日本での第一回大会となった昨年の伊豆高原に続き、今年は場所を群馬県嬬恋に移して11月13日~15日の3日間(13日は前夜祭)に渡って行われます。

OMMとは1968年からイギリスで行われている世界最古の山岳耐久レースで、選手は走力のみならずナビゲーション能力やキャンピング技術など、まさに「山の総合力」が試されます。ゴールまで決まったコースはなく、一般的なトレイルランニング・レースのようにエイドポイントもありません。選手たちは地図とコンパスを頼りにどのようなルートを行き、時には過酷な状況下でレースを続行するのか/しないのか、すべて自身の判断による行動を求められるのです。

このようにタフなOMMですが、実は二種類のカテゴリーがあります。大会のメインとなる「ストレート」は2日間の最短移動距離約55km、累積標高約2200m/1日、平均完走タイム9時間/1日を想定し、第一回大会の完走率も34%というハードコアなレースですが、一方の「スコア」は体力は必要なものの、走ることは必ずしも必要ではない、「ハイカー向け」といっても良いカテゴリーなのです。

実際、昨年もハイカーズデポの土屋智哉さんを始め多くのハイカーがスコアに参加、OMMの独特の雰囲気に新鮮な体験をされました。そして今年は山と道の夏目彰・由美子さん夫妻もスコアで参加すると聞き、昨年の“BRAND STORY#003 OMM – Product is born in the race.”に続いて今年もOMMをフォローするTRAILSは、おふたりがOMMのどこに惹かれ、なぜ参加に至ったのか、取材してみることにしました。

取材にはOMM JAPAN2015を統括し、(ギアメーカーとしての)OMM日本代理店も務めるノマディクスの小峯秀行さんにも同席いただき、初参加の夏目夫妻がOMMについて小峯さんに訊く、といった構成になりました。今年OMMに初めて参加するという人や、OMMに興味を持ち始めた人、必読です!

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■OMMは自分の限界と向き合う場

小峯 去年の第1回大会はお陰さまで多くの方に参加していただけたんですが、正直「新しいトレイルランニングのレース」として参加していただいた方も多かったようにも感じたんですね。でも、OMMのレースの本質ってそれだけじゃなくて、走ることもあるけれどナビゲーション能力も必要だし、キャンプの能力もすごく重要だったりして、僕たちとしては山のスキルの総合力を試される場なんだということを、もっともっと知ってもらえたらなと思っているんです。UK本国ではOMMのことをレースじゃなくて「イベント」って呼んでいるんですが、実際そこに参加してみた実感としてもOMMは単なるレースじゃなく、2日間の山の中での「イベント」なんですよ。その中で”Face your challege”というOMMのコンセプトがあるんですけれど、「自分の限界と向き合う場」という側面が強いんです。山と道のおふたりみたいに、メーカーとしても様々なことにチャレンジされていて、チャレンジングな山の遊びも常日頃からされている方に今回参加していただけるということで、おふたりがどういった思いで今回OMMに参加されて、さらに出た後にどんなことを思うんだろうということを佐井さん(TRAILS代表)と話をしていて。なので、TRAILSで取材してもらえたら、OMMのコンセプトがもっと伝わるのかなって。

TRAILS(佐井) 夏目さんたちはOMMに出るのはいつ決められたんですか?

夏目彰(以下 夏目) けっこうギリギリだよね。由美子が出るっていったから…。

夏目由美子(以下 由美子) ストレート部門は絶対無理だと思ったけど、スコア部門は走らなくてもいいじゃないですか。スコアのほうに去年土屋さんとかが出てて、結構面白そうだったじゃない? で、「出よっか?」って(笑)。

夏目 僕は誰か一緒に出る人がいれば出たいとは思っていたんだけど、まさか由美子と出るとは考えてなかった(笑)。

TRAILS(佐井) 僕たちも去年の第1回目以前はOMMのことぜんぜんわかっていなくて、トレランの人たちメインのレースなのかなって思っていたら、小峯君は「むしろハイカーの人たちが出たら楽しいレースだ」っていっていて、それで土屋さんとかパーゴワークスの斉藤徹さんなんかも出てて楽しんでましたよね。

パーゴワークスの斉藤徹さん。その影に隠れてハイカーズデポの土屋智哉さんも。

パーゴワークスの斉藤徹さんとその影に隠れてハイカーズデポの土屋智哉さん(OMM Japan 2014)

夏目 結局去年出なかったけど、それはレースっていう印象が強かったからなんですよ。そもそもレースって僕は違うなっていうのがやっぱりあったから。でも、終わってからフェイスブックとかで参加した人の話見て、スコアって走らないんだってこととか初めて知って。あと、写真でみんなで地図見ながら迷ってるのとかあったじゃない? あの迷ってる感じが楽しそうだったんだよね(笑)。レースじゃなくひとつの「祭り」として考えたら、いろんな人と会ういい機会にもなるし、まさに山の総合力を試す遊びとしてすごく面白そうだなって。

TRAILS(佐井) 由美子さんはどのへんが面白そうだなって思ったんですか?

由美子 スコアにハイカーの知り合いが結構出てたんですよね。なら自分も出れるかもって。

TRAILS(三田) たしかに終わってからスコアは歩く人の部門なんだって知った人が多かったかもしれないですね。

由美子 そうそう。

TRAILS(三田) 「OMMってすごくキツい、ハードなレースなんだ」っていうイメージしかなかったかもしれない。

小峯 ストレートは実際すごくキツくて、完走率もすごく低かったんですけど、スコアの方はすごく楽しかったっていう人が多かったんです。さっき「地図見て迷ってた」っていう話が出たけど、まさにそれで、僕が初めてUK本国のOMMに出たときもすごく迷って、途中で「今日中にゴール帰れるかな?」って思ったりもしたんですけど(笑)、でも山って、普段自分で遊びに行く山にしても、ちょっとしたハプニングがあった方が最終的にずっと憶えていたりするじゃないですか? そういうことが実はOMMのいちばんの醍醐味だと思ってるんですよ。

TRAILS(三田) OMMはレースとしてそういうハプニングが起こるように仕組んでいるってことですか(笑)?

小峯 地図を見てコースが決まっていない場所を自分たちの判断だけで進むってこと自体が何が起こるかわからないし、ハプニングもあるだろうしっていう。そこがいちばんのOMMらしさなんですよ。その魅力が去年の写真とかに現れていたんじゃないかな?

TRAILS(佐井) UKのレースでも走力が高い人が勝ってるわけじゃないんですよね。じゃあルートファインディングのうまい人が勝つのかと思ったら、それよりもルートチョイスが重要らしくて。

夏目 戦略的な部分がすごく重要なんだろうね。あと、僕は破線ルートが好きなのね。残雪期の道がない感じとか大好きで。あのアドベンチャー感をあれだけの人数で遊べるって、想像しただけでも面白そうだなって(笑)。

地図を見ながら走るスカイハイマウンテンワークスの北野拓也さん(OMM Japan 2014)。

地図を見ながら走るスカイハイマウンテンワークスの北野拓也さん(OMM Japan 2014)

■宿泊装備に何を選ぶかも重要

TRAILS(佐井) 去年TRAILSでもOMMのイベントディレクターにインタビューしたんですけれど、ルートファインディングは簡単にできていて、むしろそのなかでどのルートをチョイスをするのかが試される設計にしているといってましたね。小峯君たちが作ったコースもチェックしにくるんだよね? 本国からわざわざイベントディレクターっていう役職の人が来るんですよ。

小峯 そうです。今年も来てレースをチェックします。コースも事前にUKに送ってチェックしてもらって。

TRAILS(佐井) レースに「OMM」って名前を冠していいのかっていう基準は、めちゃめちゃ厳しいんですよね。

小峯 そうですね。ただのオリエンテーリングみたいなルートファインディングのスキルを問うっていうよりも、OMMはCP(コントロールポイント)からCPが長くて、これをどう行くかっていうルートチョイスが重要なんです。巻いていくか直登で行くかどちらが速いのかとか、そういうことが問われてくる。

TRAILS(佐井) キャンプサイトでもみんな「あそこはどういったの?」って話してて、それが他にはない感じでしたよね。

小峯 昨年のスコアなんかは歩く距離短くして、コントロールを着実に取りにいったチームのほうが総得点も高く順位も上だったというケースも沢山ありましたからね。スコアの方が走力よりもよりナビゲーション能力や戦略が求められる。

夏目 さっき「山のスキルの総合力を試す場」って話があったけど、まさにそういうことだよね。

(OMM Japan 2014)

(OMM Japan 2014)

小峯 あと、OMMはあえて寒い時期にやるのもポイントなんです。ようは宿泊装備に何を選ぶか。軽くすればキャンプで痛い目に会うかもしれないし、重くすれば移動は遅くなるし、そのへんの判断もすごく重要で。キャンプでの停滞時間が長いということも忘れちゃいけないポイントで、夜には零下にもなる状況で約12時間以上過ごさなくてはいけない。夜中に寒くて目覚めてすぐに動き出す、みたいなアドベンチャーレースとの大きな違いがそこで、ちゃんと前日の疲れをとりながら翌日に備えるというような、「キャンプスキル」も問われますよね。

TRAILS(佐井) キャンプの装備もみんな違いますからね。タープで寝ちゃってるような人もいればダブルウォールのテントで寝てる人もいて。

小峯 テントのレギュレーションも決まっていて、今年はふたりで一張りで、フロアレスシェルターはOKだけどタープはNGです。あとシュラフカバーも必携です。

由美子 じゃあTRAILSの二人用の寝袋持っていこうと思ってたけど、シュラフカバー入れられなかったらダメなんだね。

小峯 使わなくても持っていればいいんです。レギュレーションに関しては正直、選手達自身で試行錯誤しながら選べること大切にしたくて、安易に運営側でこれじゃなきゃいけない。みたいな決め事を作ってその選択肢の幅を削りたくない。ただ、例えばタープなんかはその脆弱性も知らずに、イメージだけで持ってきてしまうチームもありえると思うので、いちおうそこだけは大会運営全体としての安全性を考えて今回は不可にしました。

TRAILS(佐井) レースとしてはギリギリまで追い込むんで、そのぶん最低限の安全対策はきちっと線を引いてるって感じですよね。

小峯 何かがあってビバークを余儀されなくなったときに身を守れる準備ってことですね。なので筒状になってて被れるシュラフカバーは必携なんですよ。だからソルのエマージェンシービビィとかでもOKなんですけど。あれ二人用あるし。

TRAILS(三田) じゃあそれでTRAILSの寝袋もばっちりだ(笑)。

取材は鎌倉の山と道の工房で行いました。

取材は鎌倉の山と道の工房で行いました。

■レースがなければOMMもない

TRAILS(佐井) イベントディレクターは元軍人なんでしたっけ?

小峯 元イギリスの特殊部隊(笑)。

TRAILS(佐井) すごいきちっとした人で、その人がいればOMMのフィロソフィーはちゃんと守られるなって感じの人ですよね(笑)。その人は普段はOMMで何をやってるんですか?

小峯 レースのイベントディレクター専任です。いまOMMはイギリスと日本とアイスランドとフランスでやっていて、数年以内に中国でも始まるんですけれど、それ全部に行ってるんで。

TRAILS(佐井) たしかに専任じゃないとできない(笑)。OMMはギアメーカーとしてよりもレースの方が大事だと思っているくらいなんですよね。小峯君たちが代理店になったときも、「まずレースやれ」っていわれたって。それくらいレースを重用視している。 ブランドとしてフィロソフィーがしっかりしているんだね。

夏目 ブランドとしてフィロソフィーがしっかりしているんだね。

TRAILS(三田) OMMは基本がギアメーカーじゃなくてイベントオーガナイザーだってことなんですよね。

小峯 そうですね。「レースがなければOMMもない」っていうくらい(笑)。

夏目 僕たちたぶん去年TRAILSで取材してた髭のおじさんとヒマラヤで会ってるんだよね。勝手に「OMMおじさん」って呼んでたんだけど(笑)。50代くらいの細身で背が高くて、白い髭の人。

小峯 じゃあデイヴだ。イベントディレクターですね。デイヴ・チャップマン。すごい偶然だな(笑)。

夏目 すごく似てたし全身OMMだったから。

由美子 で、走ってたもんね(笑)。

夏目 でも「日本のディストリビューター友達だよ」って話したんだけど、そっからはあまり話広がらなかった(笑)。

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OMMのデイブ・チャップマン氏。

■土砂降りの雨が「OMMらしさ」

TRAILS(三田) OMMでの装備はどんな感じで行こうと思っていますか?

夏目 とりあえず最近試しているカリッカリな感じかな(笑)。パックウェイト全部入れても走れるぞっていうくらいの重さ。

TRAILS(佐井) 最近はどのくらいカリカリなんですか(笑)?

夏目 ベースウェイトで2.2kg、パックウェイトで4.4kgくらい。で、北アルプス縦断、みたいな(笑)。こないだ行ったときは風速20mくらいあってすごく風冷たかったんだけど、インナーダウン持っていかなかったのね。寝るときは首と頭さえしっかり被っていたらたぶん眠れると思って、首から上のダウンフードだけ持っていって。しっかりフードでぎゅっと絞ったら、それだけで結構暖かいんですよ。でも五竜を越えたあたりで氷点下になって結構厳しくて、低体温症一歩手前に行ったんだけど(笑)。内蔵冷やしたらもうアウトだなって思ったからダウンフードをお腹に入れたんだけど、それでもまだ寒いから、山と道のミニマリストパッドを体に巻き付けたのね。それで「大丈夫、行ける」って(笑)。

TRAILS(三田) それすごい絵だなー(笑)。

夏目 ミニマリストパッドはエマージェンシー用としてもいけるなって(笑)。

小峯 僕らもよくミニマリストパッドは巻きますね。意外と暖かいんですよ。

夏目 防風だしね。

由美子 私も巻いたことはないけどシュラフのなかに入れたりはする。

小峯 カリッカリで行くときダウンパンツのかわりに持ってってました。で、足に巻く(笑)。

夏目 でもOMMではたぶん僕が全部持って、由美子は何も持たないって感じかな。それでも全然まだ軽い、みたいな。

由美子 私はカリカリにはしないけどね。寒いの嫌だし(笑)。

夏目 たぶん「頼むからもうちょっと軽くしてくれ」っていうことになりそう(笑)。

(OMM Japan 2014 )

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TRAILS(佐井) 今年の嬬恋は風が強そうですよね。

小峯 キャンプサイトは結構吹きさらしですね。

TRAILS(三田) 去年の伊豆高原より緯度がかなり上がるから寒くなるだろうな。

小峯 去年は夜も10℃ありましたからね。でも土砂降りの雨が降って風も冷たかったんで、レース中は結構寒かったんですけど。

TRAILS(佐井) でも去年のレースで憶えているのが、土砂降りの雨が降ってきたら「OMMらしくなってきた」っていってたじゃない?

小峯 UKのレースはいつも台風みたいな雨ですからね(笑)。しかも牧草地なんで、地面もぬかるんでキャンプサイトもぐちゃぐちゃで、かなりキツい。だから夜はキャンプサイトについたらみんなすぐ寝るって感じで。日本はまだみんなで和気藹々と話したりしてましたからね。UKのスタッフも「UKのOMMも夜だけは日本みたいだといいな」って。でも今年は日本も雨降ったら結構ヤバいと思う(笑)。

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ノマディクスの小峯秀行さん。

■破線ルートを大手を振って楽しみたい

夏目 さっきも破線ルートとか道がないとこが面白いって話をしたけど、今回もそういうとこを行くわけでしょ? そこを大手振って楽しむってのはさ、個人で山に行くときは割とハードル高いじゃない。それをみんなで楽しめるってのはいい機会だよね。

小峯 僕らもそう思っていて、やっぱり日本でこのレースを作るのって、国立公園の問題とかあってすごくハードルが高いんですよ。会場選びにしても開催しやすい場所でやるか、もしくは今年の嬬恋みたいにちょっとハードだけど出た人に最高の舞台を用意をするのかっていうふたつの選択があって、でもやるからにはハードルは高くとも参加した人に「日本にもこんな場所があるのか!」って思って欲しいんですね。OMMは毎年場所を変えていくので、日本でこれをやり続けるのは僕らにとっても結構チャレンジングなんですけど。

TRAILS(佐井) OMMは基本的に同じとこでは開催しないんですよね。去年も終わった瞬間に「来年の場所まだ決まってないんだよ~」っていってたし(笑)。

小峯 来年の場所は明日下見に行きます(笑)。

由美子 来年の場所をもう目星付けてるの?

小峯 何カ所かピックアップして見にいってるんです。

TRAILS(佐井) 去年も本当によくやりきりましたよね。土屋さんもあのあと「あいつらスゲーうまくやったじゃん!」って激賞だった。

(OMM Japan 2014)

(OMM Japan 2014)

小峯 土屋さんは今年もロングのスコアに出てくれますね。去年もかなり楽しんでくれたみたいで。だからスコアの方に出てくれた人たちは装備もそうだし、全般楽しんでましたね。キャンプを含めて2日間をどう楽しむか、みたいな。

夏目 1日目で沈没した人も多かったけど、それも含めてみんな楽しんでいたって聞いて、まあそれくらいの気持ちで楽しめるなら参加しやすいなって。ウチも由美子と出るってことはそこまでカリカリでやれるわけじゃないし。

由美子 一日目でいなくなるかもしれないしね(笑)。

小峯 去年はストレートの方が人気だったんですけど、今年は去年と逆転して、スコアが一瞬で埋ったんですよ。

TRAILS(三田) たしかにハイカーのためのレースって他にないですもんね。

小峯 ただタイムを競うってだけじゃ魅力を感じないと思うんですけど、そこに地図を読んで彷徨ったりキャンプしたりっていうのがあるとこがみんな魅力を感じてくれていると思うんで、もうちょっとそこのところを伝えていきたいですね。

夏目 だから僕はレースとはあまり考えていなくて、ゲームだと思っている。ハイカーのためのというか、大人のゲーム。

小峯 でもやっぱりレースなんで、始まると対抗心が燃えてきたりもするとこも面白いんですよ。

(OMM Japan 2014)

(OMM Japan 2014)

■様々なバックグラウンドの人たちが一同に集まるイベント

夏目 僕は読図の講習も出たことないしよくわかっていない部分も多いんだけど、これだけ山に行ってて地図を見ていると、地図を見てある程度地形は見えてくるとこがあるから、それが自分がどこまで使えるかっていうのを知りたいんだよね。

小峯 OMMのナビゲーションは基本的に「整地」(地図上の現在位置と向いてる方向をコンパスで確認すること)できれば、参加できると個人的には思いますけど。

TRAILS(三田) 正直、普段トレイルを歩いていてもコンパスを使う機会ってなかなかないですよね。

由美子 使ったことほとんどないかも。

TRAILS(三田) トレイル外れて迷ったりしないかぎり使わないですよね。縮尺5万分の1の「山と高原地図」と使ってもたいして意味ないし。

夏目 普段GPSしか使ってないからなー。実際コンパスっていまスマートフォンにも入ってるから持っていかないしね。

(OMM Japan 2014)

(OMM Japan 2014)

小峯 でもGPSは去年からUKのレースでもOKになったんですよ。ナビゲーションには使っちゃいけないことになっているんですけれど、完全にロストしたときに自分の位置を安全確認できるように。でも、地図とGPSを見比べてナビゲーションしてたら全然レースにならなくて、コンパス使う方が圧倒的に速いんですよ。

夏目 コンパスは自信ないなー。

由美子 迷いそうだよね(笑)。

小峯 正直、僕もUKのOMMに出るまでは何もわからなかったですよ(笑)。

由美子 あらかじめ勉強して行ったの?

小峯 何もしていかなかった(笑)。ただ「整地」だけはできるようにしていきましたけど。でも、レースが2日間なんで、そうすると1日目はたしかに迷うんだけど、2日目になるとだんだん体感的にコンパスに慣れてくるんですよね。だからあくまで個人的な意見ですけど、「整地」っていうキーワードで検索して調べてくれたらそれだけでも参加できると思ってます。整地なら磁北線とコンパスの北を合わせるだけだから、コンパスと地図さえあればどこでも練習できますからね。

夏目 でもそんなふうに地図読みにチャレンジできるってことも、単純に面白そうだよね。

TRAILS(佐井) 夏目さんみたいに経験豊富な人でも、OMMで改めて自分の山のスキルを高めていこうとしているわけで。それが“Face your Challenge”ってことなのかな?

小峯 まさにそういうことが自分たちの目指すことなんです。「自分はハイカーだから」とか「自分はランナーだから」とか、他のアクティビティに手を出さない人も多いと思うんですね。でもOMMって、計らずもいろんなバックグラウンドの人たちが一同に集まって、コミュニケーションがとれる場なんですよ。このイベントが参加してくれた人たちの遊びが広がっていくきっかけになれば、すごく嬉しいな。

■OMM JAPAN 2015 大会概要
開催日:2015年11月13(金)、14(土)、15(日)※13日は前日祭
開催場所:群馬県嬬恋村
大会イベントセンターパルコールつま恋リゾート
カテゴリー
・ストレート Long class 55km 9時間/1日
・ストレート Short class 35km 7時間/1日
・スコア Long class  7時間/6時間
・スコア Short class 5時間/4時間
※各クラスの詳細情報は▶︎コチラのページでご確認ください。
募集定員:各クラス150チーム
申込方法:申し込みは▶︎コチラ

取材:TRAILS  構成/文/写真(物撮り):三田正明 写真提供:小峯秀行

“BIKEPACKING!”

バックパッキングやハイキングというカルチャーにコミットしたことがある方なら、まずこの言葉の響きに心ときめくものがあるのではないでしょうか。このいかにもアメリカ生まれの言葉らしい、即物的で、強引で、でもなんとも魅力的な言葉! バイクパッキングは、2000年代半ばに登場した、バイクツーリングの新しいスタイルです。

もちろん日本でもランドナーの昔から、バイクツーリングは自転車を使ったアクティビティの代表格でした。しかし、道路整備が進んだことやコンビニエンス・ストアなどの充実により、一般道を走るバイクツーリングではキャンプ道具の携行にあまり意味がなくなったこと、ロードバイクの軽量・高速化によって航続距離と登坂性能があがったことで日帰りでも遠くまで行けるようになったこと、それにより郊外の峠を攻めるヒルクライムがブームになったことなどが重なり、キャンプ道具を満載した昔ながらの自転車旅をする人は、滅多に見なくなりました。

その状況は海外でもあまり変わらなかったようで、その証拠にキャリアやパニアバッグなどバイクツーリング用の装備はグラム単位の軽量化に凌ぎを削る自転車の世界でなぜか一向に軽量化が進まず、昔ながらのヘビーデューティな道具が幅を利かせていました。

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http://www.bikepacking.comより

その様相が変わってきたのは、2000年代に入ってから。大きかったのは、やはりアラスカに住むエリック・パーソンズが2007年に自宅の地下室で始めたリベレート・デザインの登場でしょう。前述の通り、それまでバイクツーリングのバッグといえばキャリアがなければ装着できない、しかもあまり軽量化を考えていないパニアバッグが一般的でしたが、パーソンズは自転車のフレームやサドルやハンドルバーに直接取り付ける方式の、軽量でしかも大容量のバッグを開発したのです。

さらに、時を同じくしてそれまでの26インチ車よりも格段に巡航性能の上がった29erと呼ばれる29インチホイールのMTBや、超極太タイヤを装着して雪や砂の上などそれまで自転車には不向きな路面の走行を可能にしたファットバイクなどの登場によって、延々と続くジープロードやダートなど、それまでオーバーナイト・バイクツーリングでは一般的でなかったフィールドでの旅の可能性が一気に広がりました。

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http://www.bikepacking.comより

それからはリベレート・デザインにインスパイアされたバイクバッグを作るコテージ・マニュファクチュアラー(ガレージメーカー)が続々と登場、その波はマスプロダクト・メーカーにも広がり、今年2015年には遂に業界最大手のジャイアントまでがバイクパッキング用バイクとバッグをリリースするなど、自転車界の一大潮流となっているのです。

ですがこの話、TRAILSの読者ならば、「どこかで聞いたことある話だな」と思うかもしれません。レイ・ジャーディンというヴィジョナリ―の出現と、彼の作ったレイウェイ・バックパックを元にしたバックパックを作るコテージ・マニュファクチュアラーの大量発生、そしてその波が大手メーカーにまで伝わるプロセスなど、ウルトラライト・ハイキング(以下UL)の成立過程にそっくりだとは思いませんか? さらにいえば、バイクパッキングの方法論自体がUL以降一気に軽量化の進んだキャンピング・ギアの登場によって初めて可能になったことでもあります。そう、バイクパッキングというムーブメントは、まさに自転車版ULといえる存在なのです。

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http://www.bikepacking.comより

こう聞けば、TRAILSの読者なら「やってみたい!」と思われる方も多いはず。ですが、日本でアメリカのようなバイクパッキングをするには、ひとつ問題があります。それは、アメリカのようなフィールドが少ないこと。

前述したように、アメリカのバイクパッキングは29erMTBやファットバイクにより、国立公園や自然保護区などのジープロードやトレイルを行くのが一般的です。アメリカのフィールドは山の麓を行く比較的ゆるやかなトレイルが多いため、自転車で旅をしやすいのです(たとえば、2011年にハイカーズデポの土屋智哉さんが歩いた全長560kmのコロラド・トレイルなどは、バイクパッキングのメッカとしても知られています)。

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上掲の写真はbikepacking.comよりTom & Sarah Swallow夫妻が西海岸オレゴンから東海岸ノースカロライナまでTrance America Trail( TAT)でアメリカ横断バイクパッキングをした記録から転載させていただきました。興味ある方は是非http://www.bikepacking.comをチェックしてみてください!

一方、山岳大国日本ではトレイルは急峻なことが多く、さらに舗装路大国でもあるので、アメリカのように延々と続くジープロードも滅多にありません。数年前から名古屋のサークルズや東京のブルーラグなど、先鋭的なバイク・ショップがバイクパッキングを日本に定着させようと尽力されていますが、現状で日本のバイクパッキングはロードを走ってキャンプ場に泊まる、というスタイルが一般的なようです。

それはそれで、日本ならではのバイクパッキングのひとつの形ではあると思います。こんなに素晴らしい舗装路が全国津々浦々まで張り巡らされている国はそうないのだから、自転車で旅をするにもそれを活かさない手はありません。だけどトレイルが大好きなTRAILSとしては、日本でもトレイルやジープロードを走るバイクパッキングを模索してみたい。これまで培ってきたハイキングの知識と経験があれば、ライダーとは違うやり方でバイクパッキングの日本でのあり方を見つけられるのではないか

そんな時、アウトドアショップのムーンライト・ギアの運営やOMMの日本代理店などを務めているノマディクスの千代田高史さんと小峰秀行さんが、八ヶ岳でロードとダートとトレイルと、さらにハイキングとトレイルランニングを組み合わせた興味深いバイクパッキングを行ったと聞きました。キーワードは「パスハンティング」。

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日本にウルトラライト・ハイキングが紹介されたとき、大抵の人が「面白い方法論だけど、たぶん日本の山では無理だ」と思いました。ですが、その後の多くのハイカーの実験と挑戦の末にそれが単なる思い込みであったことが証明され、現在では日本ならではのULのスタイルが確立されつつあります。いま日本のバイクパッキングも、かつてのULと同じような状況なのではないでしょうか。

ノマディクス/ムーンライト・ギアの千代田高史さんの話を聞きながら、日本のバイクパッキングの未来を考えてみませんか? この新しいカルチャーを作っていくのは、あなたかもしれません。

■What’sパスハンティング〉?

ーーいま、ムーンライト・ギアでもバイクパッキングをプッシュしてますけど、千代田さん的にバイクパッキングのどこに魅力を感じているんですか?

千代田 僕はまずアウトドアの入り口がマウンテバイクだったんですね。大学のとき、マウンテンバイクをローンで買って赤城山とか行ってたのが始まりで。その後ULに夢中になって、バイクパッキングにはそのふたつの要素が入っているからまずピンと来たっていうのがありました。

――日本ならではのバイクパッキングのあり方ってまだ模索中だと思うんですよ。アメリカだったら延々と続くジープ・ロードをグラベル・レーサーで走ったり、コロラド・トレイルみたいなロングトレイルを29erとかファットバイクで走るようなスタイルが一般的だと思うんですけど、日本にはそういうフィールドがほとんどないじゃないですか? そうなると、日本のフィールドにどうバイクパッキングというアクティビティを落とし込んでいけばいいのかっていうことが、まだ全然確立されていない気がして。

千代田 そうですね。バイク・コミュニティではピスト・ブームが下火になって、そこからメッセンジャーやビルダー文化ってものが出て来て、さらにいまはその次の流れを模索しているような状況だと思うんですけど、そこにアメリカでバイクパッキングっていうのが始まって、日本でも2年前くらいから話題になり始めましたよね。でも正直、キャンピングの部分に関しては、山をやってきた僕たちからしたら「もっとこうしたら面白いのに」っていうのがあって。バイクパッキングに関して、僕たちはバイク・コミュニティの人たちに、「ULの方法論を使えばこんなことができるんだよ」っていうことを示せるような気がしたんです。あと、僕のなかではバイクパッキングとファストパッキングって同じなんですよ。他のことやってる気がしなくて。

ノマディクス/ムーンライトギアの千代田高史さん(右)と小峯秀行さん(左)。(株)ロータスでアルトラを担当している高木義宣さん(中)と一緒に行った能登半島一周バイクパッキングにて。

ノマディクス/ムーンライトギアの千代田高史さん(右)と小峯秀行さん(左)。(株)ロータスでアルトラを担当している高木義宣さん(中)と一緒に行った能登半島一周バイクパッキングにて。

ーーたしかに装備はバイクパッキングとファストパッキングってまったく一緒ですよね。

千代田 パンクキットがあるくらいの違いしかない。で、今回の旅のひとつのテーマとして、むかし「パスハンティング」っていう日本独自の自転車文化があったんですよ。その少しあとにMTBが日本に入り始めていわゆる山をサイクリングする行為、通称「山サイ」がバンと盛り上がって、盛り上がりすぎて登山者とトラブルが起きて、今の一部トレイルランナーのマナー問題がどんどん悪化しちゃった場合の悪い未来みたいな感じで 山から閉め出されちゃったカルチャーなんですけど

ーーパスハンティングって、荒れた林道とか山道を通りつつ峠(パス)を越える感じですよね。ダートを走るとこがいまのロードバイクのヒルクライムとは違うとこなのかな?

千代田 それで昔のパスハンティングの本とか読むと、奥多摩の石尾根上がって鴨沢に下りてくるルート(編注:普通に登山道です!)とか書いてあって、「これいまやったら絶対ヤバいでしょ」って思うんですけど(笑)。

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ーーでもその当時だとランドナーとかリジットのMTBとかで行ってた感じですよね?

千代田 そうそう。昔の『自転車パスハンティング』(薛雅春著 アテネ書房1989年  現在絶版)って本をアマゾンで中古で買って読んでみたら、それがケルティのフレームザックがいいと思うの同じ感じで、トラディショナルでカッコ良いんですよ(笑)。だから今回の気分としては、「山走るならMTBじゃなきゃ無理っしょ」っていうのをいったん置いて、昔のパスハンターの気分になって、シクロクロスの自転車でクラシック・ルートに行ってみたいなって。で、その本に八ヶ岳の夏沢峠を越えるルートが紹介されていたんで、茅野駅から松原湖駅まで八ヶ岳を西から東に横断するっていうのをやってみたんです。

【次ページ:八ヶ岳パスハンティング・バイクパッキング・レポート by ムーンラライト・ギア】

取材/写真/文:三田正明

1923年、エベレスト初登頂を目指した三度目の(そして彼の最後の)遠征を控えた登山家ジョージ・マロリーは、ニューヨーク・タイムズ誌の記者の「どうしてあなたはそこまでしてエベレストに登ろうとするのですか?」という質問に答えて、こう言った。

“Because it’s there.(そこに山があるからだ)”

今回で第二回目となるインタビュー連載“そこに山があったからだ~Because It’s There~”。前回に引き続きジョージ・マロリーのあまりに有名な言葉からスタートしましたが、内容は前回も書いた通り、アルパイン・クライミングとも、エクスペディションとも、まったく関係ありません。僕やあなたのようなどこにでもいる普通の人間が、山でどんな体験をして、何を感じて、その結果としてどのように自分を変化させたのか? 「そこに山があったから」自分のなかの何かが変わった人たちに話を聞いていくインタビュー・シリーズです。

今回のゲストは現代美術を主なフィールドに、様々な活動を行っている豊嶋秀樹さん。クリエイター集団grafの創設メンバーであり(現在はgm projects所属)、美術家・奈良美智氏とgrafとの大規模な展覧会「Yoshitomo Nara + graf A to Z」では中心的な役割を務めたことでその名を知っている読者も多いかもしれません。

30代半ばまで「不摂生を全身で表現していた」生活を送っていたという豊嶋さんは、ひょんなことから山に登られるようになり、山と道の夏目彰さんと旧知の仲だったことから次第にウルトラライト・ハイキング(UL)に傾倒、現在ではハイキングの経験を映像とおしゃべりで綴った「ハイクローグ」を制作したり、山と道の《鎌倉ハイカーズミーティング》を始め様々なイベントでスライドショーやワークショップ(TRAILSでは「第四回鎌倉ハイカーズミーティング報告」で豊嶋さんの手作りエナジーバーのワークショップの模様が読めます)を行ったりもされています。

筆者・三田が豊嶋さんのことを知ったのも《鎌倉ハイカーズミーティング》なのですが、その打ち上げに参加した際、豊嶋さんがとても面白い話をしてくれました。それは、ライフスタイルのUL化。生活にかかるコストを減らせば、仕事量も減らすことができる。そうすればひとつひとつの仕事に丁寧に取り組むことができるし、プライベートな活動を充実させることができる。そして結果としては生活全体のクオリティをアップすることができる…。それを大上段に構えることなく、実に楽しそうに自然体で語り、実践している姿は、何を隠そうこのインタビュー・シリーズを始める大きなヒントになりました。早い話がもっと豊嶋さんの話を聞いてみたくなったのです。

ULにシリアスに傾倒した人ならば、誰もがハイキングだけでなく、生活もUL化したいと思うはず。けれどこの消費社会の荒波に揉まれ、日々の生活に追われ、物欲をコントロールすることすらままならない…そんな人は、是非これから始まる話に耳を傾けてみてください。

■事務職員に求められる才能を持ち合わせていなかった

僕が豊嶋さんを知ったのは2年前の鎌倉ハイカーズ・ミーティングで北アルプスを3週間かけて歩かれたのを「Jウォーク」と題したスライドショーをされていたときで、その手のスライドショーって結構真面目なものが多いなか、すごくテンポの良い楽しいプレゼンで、その時も「この人ただ者じゃないな」っていうのを感じてはいたんです。それでこの春に行われた鎌倉ハイカーズ・ミーティングでふたたびお会いして、その打ち上げでお話していただいた内容がまたとても興味深くて、ぜひTRAILSでも取材させていただきたいと思った次第です。豊嶋さんは現代美術のフィールドでご活躍されている方なんですが、TRAILS読者もそこまでその世界に詳しい人が多いわけではないと思うので、まず読者に自己紹介をしていただいてもよろしいですか?

じゃあざっくりいくと、僕は美大卒のアーティスト志望だったんですけれど、最初はなぜか茶碗屋になりたいと思って陶芸の学校に行って、そこからアメリカの美術大学に留学することになった。サンフランシスコ・アート・インスティチュートっていう学校に編入試験を受けて入ったんです。そこでファイン・アートとアメリカのカルチャーの洗礼をガーっと受けて、ピョコッっと来た日本人には刺激強すぎたんですけど、まあ若かったから自分もそれにすごくフィットして。卒業して日本に帰ってきて、アメリカの美大生活が楽しかったから、学校で働くのも楽しいかなって思ったんです。大阪出身なんで大阪の美術大学で仕事がないか聞きに行ったら「事務職なら募集してるよ」って言われて、「職種はなんでもいいか」と思って受けてみたら運良く通った。でもそれってスーツ着て朝9時に出勤する普通のサラリーマンの仕事なんですね。それでも美大っていう職場はアートってものに触れられるとこであるはずだったし、自分の制作活動は別でやればいいしって思って。でも実際に働いてみると、そこは自分がアメリカで体験したようなアートで溢れているような環境ではなかったんですね。

ーー自分も美大出身なんですけれど、やはり日本とアメリカの美大で結構違いがあるんですね。

アメリカだと学生の年齢もバラバラで多種多様。僕が行った学校はよその大学で経験を積んだ人が来るようなとこだったんで、同級生で60才の人がいたりとか。日本は美大とはいえ普通に四年で卒業する人が大半で、先生も作家というよりは先生業をしっかりやらないとっていう雰囲気もあるし。結局そこで5年弱働くことになったんですけれど、毎朝起きて仕事に行くのが普通に辛かったんです(笑)。ルーティンワークの中で定年まで務めること考えたらそこから人生の道が40年先まで見えちゃう気がした。良い意味では保証されているとも言えるけれど、悪く言うと他の可能性がないわけで、自分はその後者の受け止め方をするタイプだったんです。だんだんそれが心理的な圧迫感に繋がってきて、なんとなく眠れない日とかが出てきて、だんだん「これは良くないな」って思い始めたわけです。

ーー27~8才くらいって将来への不安とか焦りが焦りが出てくる時期ですからね。

あとね、僕は事務職員っていう職業に求められる能力をあまり持ち合わせていなかったんですよ。一生懸命やっても間違えちゃって。でも、仕事をそつなくこなしている先輩を見ていると明らかに事務員向いてるし、しかも楽しんでやっているし、「こういう人がやる職業なんだな」って思った。

ーー事務員でも営業マンでも才能が必要ですからね。

自分はそれに向かなかったってことで、「ここで一回区切ろう」と思ったんですね。同時に、その当時知り合った仲間達と、後にgrafって呼ばれることになるデザインを軸にいろんなことをやる集団の原型になる動きが始まっていて、そっちで頑張ろうと思って退職したんです。grafってみんなバラバラのことをやっている連中が集まっているなかで自分はアートが軸だったんで、graf media gmっていうギャラリースペースの運営をやっていたんですね。50坪くらいの場所にカフェや本屋が併設された場をやっていて、いろんなアーティストやデザイナーの展覧会とか、演劇とかジャンルは問わず、人同士の繋がりで自分たちが面白いなって思えるものを紹介していたんです。インディペンデントでやっていたから、自分で制作もするし、企画もするし、チラシのデザインもするし、とにかく物事の1から10まで全部やらないと完了しないんですね。でも、そういうやり方が自分にはすごく向いていたみたいで、どのプロセスにも等しく力を注げて、楽しく取り組めたんです。それに僕たちももの作りをするから、アーティストの人たちとのコラボレーションもすごく活発にやっていて、それの集大成的なものが奈良美智さんとのプロジェクト(Yoshitomo Nara + graf AtoZ) で、小屋型の空間を僕らが作ってそこに奈良さんの絵を飾るっていうスタイルで全国を巡回して外国にも行って、それが結局その後7~8年続くことになった。


豊嶋さんが携われてきた仕事の一部 上:graf展「ワーキング・ワークショップ」金津創作の森(福井県あわら市)Photo.Hako Hosokawa 中:Yoshitomo Nara + graf BALTIC Center for Contemporary Art (イギリス)Photo.Hako Hosokawa 下:Yayoi Kusama Furniture by graf Photo.Yasunori Shimomura

■不摂生生活から山登り生活に

ーーその頃から山に登ったりもされてたんですか?

そのときは山登りとか一切興味なしで、夜の生活ばっかりで、煙草吸いまくって、酒飲みまくって、食べまくってぶくぶく太って、不摂生を全身で表している感じだったんですけど(笑)。

ーーたしかに豊嶋さん、現在はすごくすっきりされて精悍な印象ですけれど、取材の前に検索して昔の写真を拝見したら、今よりちょっとぷっくりされてましたね(笑)。逆にいまの方が印象が若返っているくらいで。

いちばん太っていたときは今より20キロくらい太ってたよ(笑)。で、ある日嫁さんと「今日は外でゴハン食べようよ」って話になって、当時は東京の中野に住んでいたんですけれど、中央線に乗るときに高尾行きの電車が来て、「そういえば高尾に高尾山っていう山あったよね」って。

――それは何年前くらいですか?

たぶん2006年とか7年の話かな? ミシュランに載る前でまだガラガラだったんですけれど。それで高尾山にお弁当持って行ったら思いのほか楽しくて。秋だったと思うんでけれど、枯れ葉の上をがしゃがしゃ歩くのとか、「この感じ懐かしいな」って。そしたら高尾山って正式には「明治の森高尾国定公園」でしょ? 僕の実家は大阪の箕面市ってとこなんですけど、子供の頃良く遊んでた箕面市の山も「明治の森箕面国定公園」っていうんですよ。そしたら箕面の山と高尾山が東海自然歩道の起点と終点だっていうことを知って、「え、ここから実家に歩いて帰れるの!? 山道ってスゴい!」ってなって(笑)。で、高尾山には普通のスニーカーで行って下りで何回も転んだんで、帰りに中央線を中野で下りずにそのまま新宿まで行って登山靴を買ったんです。そこからいきなり山登りが始まって、誰かに教えてもらったわけじゃないから雑誌や本読んだりお店の人に聞いたりしながら、その冬には冬山登山にも行くようになった(笑)。

春の北アルプス 双六岳(写真:中川裕司)

ーーいきなりすごいハマり方ですね(笑)。豊嶋さんにとって山の何がそんなに魅力的だったんですか?

初めて八ヶ岳登ったときに、天気が良かったんでまわりがぐるっと見渡せて、「世界ってこういう感じだったんだ!」っていうのを物理的に見た瞬間が大きかったかもしれない。

ーーパースペクティブが変わる瞬間ですよね。

そうそう。新しいパースペクティブで世界を見たっていう。「へー!」みたいな。それでもっといろんなとこを見たくなったっていうのはありますね。

ーーまた山に登るようになると日本を改めて発見しますよね。それまで日本って小さくて、壮大な大自然を見たければ海外へ行かなければならないって思い込んでいたんですけれど、それが完全に翻されました。

そうだね。いま頑張ってるクライミングとかスキーもそういう目線で見ているっていうのはあるかもしれないね。

ーーパースペクティブを変えるものとして?

うん。だってボルダリングなんて岩のほんの小さな出っ張りとか窪みを目指して毎日通ったりしてるわけでさ。あれって超ミクロのピンポイントな目線で自然を見てますよね。で、そのミクロな世界が大きな自然にも繋がっている。

ーーそれまで何とも思っていなかったものが急に目に入ってくるようになるときって面白いですよね。まさに世界が変わって見えるというか。

そうそう。それまで意識していなかったものが急に大事になものになってきたりしてね。

ーー僕も山を始めるまでは山のある場所って地図の空白で、何もない場所だと思っていたんですよ。でもそこに実は宝が埋まっていたっていう(笑)。そうすると本当に世界の見方が変わって、日本地図とか世界地図が全然違うように見えてきて。

それぞれの山に名前があるってこともわかっていなかったからね。まあそんな感じで登山を始めたんですけれど、同時期に不摂生生活との決別も始まってジョギングを始めて、ジョギングもハマりすぎて疲労骨折するまで走って、急に松葉杖生活になって。

ーー山とジョギングの生活から松葉杖生活に(笑)。

それで山登り生活も中止になったんですけど(笑)。

タイ ライレイ・ビーチでクライミング(写真:萩原豊)

取材:三田正明 佐井聡 写真/構成:三田正明

1923年、エベレスト初登頂を目指した三度目の(そして彼の最後の)遠征を控えた登山家ジョージ・マロリーは、ニューヨーク・タイムズ誌の記者の「どうしてあなたはそこまでしてエベレストに登ろうとするのですか?」という質問に答えて、こういった。

“Because it’s there.(そこに山があるからだ)”

今回から始まるインタビュー連載“そこに山があったからだ〜Because It’s There〜”。ジョージ・マロリーのあまりにも有名な言葉からタイトルを拝借しましたが、内容はアルパイン・クライミングとも、エクスペディションとも、まったく関係ありません。なにも未踏峰を制した登山家や、前人未到の原野を旅した冒険家の話だけに価値があるわけではない。むしろそこからこぼれ落ちていく話にこそ僕たちが山に向かう「リアル」があるのではないか? 僕やあなたのようなどこにでもいる普通の人間が、山でどんな体験をして、何を感じて、その結果としてどのように自分を変化させたのか、または変わっていくのかをシェアしたい。つまり山にハマったときに誰もが感じるあの気持ち……ワードローブを替え、遊び方を替え、ライフスタイルを替えさせてしまうあの気持ち。あの初期衝動にこそ用がある!……と、まあそんなことを考えながら、TRAILSが出会った面白い人たちに話を聞いていきます。

記念すべき第一回のゲストはスタイリストであり、BROWN by 2-tacsのディレクターでもある本間良二君。実は良二君と筆者・三田とは両者とも縁の深い雑誌スペクテイターを通じて旧知の仲なのですが、そんな良二君が本格的に山にハマったと聞いたのは1年ほど前。伝え聞くところによれば暇さえ見つけては山に赴き、装備の一切をUL(ウルトラライト・ハイキング)化し、ミシンに向かってはMYOG(=Make Your Own Gear。ULカルチャーにおけるギア自作のこと)りまくっているとか…。つまり、あの「初期衝動」のまっただ中にいる! 

さらに展示会に赴いてみると、BROWN by 2-tacsらしい一見ベーシックながらも凝ったディティールとこだわり抜かれた素材の使われた服たちが並ぶ隅に、スピンネーカーで作られたポンチョやサコッシュ、X-Pacで作られたメッセンジャーバッグ、極めつけはブルーシート生地で作られたハイカー・ウォレットなど、今どきコテージ・マニファクチュアラーでもここまでしないよ、という程ULマインド溢れるギアたちが並んでいた。

そんな彼ならきっと面白い話が聞けるに違いないと、僕たちは彼の自宅兼工房兼2-Tacs事務所のある都内某所を訪れた。昼間からビールを飲みつつ豚ホルモン屋へと河岸を替えて行われた長い長い会話は、BROWN by 2-tacsのもの作り論に始まり、山での初めての感動、ULの衝撃、そしてTRAILS読者ならよく知るあの人の話など、バラエティに富んだ内容になりました。どうぞ友達の話を聞いているような気分で、最後までリラックスして楽しんでいただけたら幸いです。

■人のいない場所で波に乗りたい

三田 良二君はファッション誌とかカルチャー誌を読んでいるような人にはすごく有名だと思うけど、TRAILSの読者にはそういう方面には疎い人もいると思うので、まずは読者に自己紹介をしてもらえるかな?

本間 えーとですね、生業は一応スタイリストって名乗っているんだけど、いまは殆どやっていなくて、お店を中目黒と池尻の間にある東山っていう場所でThe Fhont Shopというお店をやっていて、それと2-tacsっていう洋服のブランドをやってます。で新品服を作ったり、ちょこちょこ手作りのものも作ったり、あとは古着のリメイクものを作ったりって感じです。

三田 最初はスタイリストとしてキャリアをスタートさせたんだよね。

本間 そうそう。でもスタイリストをやっていくことにちょっと疑問を感じたんだよね。自分のやりたいことをやっていきたいなって思ったんで、ちょっとシフトして今に至るというか。

三田 なんでスタイリストに疑問を感じたの?

本間 スタイリストってまずメディアがあって、発表する場所があって成立する仕事じゃない? 仕事を貰うまでは自分で「攻めて」いくこともできないし、他には広告やったり芸能人の専属になったりっていう方法もあるけど、どれも自分の行きたい方向じゃなかったんだよね。それでもともと自分は古着が好きだったから、それを加工して売りたいなって。

三田 昔は「古着再生家」っていう肩書きをよく使っていたもんね。

本間 そう。古着を買ってきてそれをミシンで加工したりとかしてて。そうすればアメリカにも買い付けという名目でいっぱい行けるじゃん(笑)。サンフランシスコが好きで当時よく行ってたんだけど。

三田 それで2-tacsを始めたんだ。それっていつ頃のことなの?

本間 23歳のときだからもう17年前だね。そのときすでにスタイリストに疑問を感じてて。

三田 そんな早くに始めたんだ。

本間 うん、子供生まれたのが早かったんだ。24のときに長男が生まれて、そのときに「このままじゃちょっとマズいな」って思った。

当日はサーフィン帰りで真っ黒に焼けていた良二君。最近は60年代製のロングボードにハマっている。

三田 夢を持ってスタイリストになってみたが、なかに入ってみるとちょっと違うぞと?

本間 そうそう。将来的なビジョンを描いたときに、「ずっとこれをやっていけんのかな」って不安があって。自分のやりたくないことをやればお金になるのはわかってたけど、そっちに行くの俺は無理だなと。

三田 でも当時もスタイリストとして結構カリスマだったんじゃないの?

本間 どうだろう。でも、あの頃の俺の仕事を見てたいま30代の中頃の子とかによく「本間さんのスタイリングは俺でも真似できた」っていわれるんだけど、なんでかっていうと、安いものをいっぱい紹介してたのね。高いコートとかじゃなくてワークジャケットとか。だから「自分でもできるっていうリアリティがあった」って。俺も当時はカツカツだったから、ヘルムート・ラングの20万のコートなんて買ってる場合じゃなかったからね。だからあのとき戦っていたのは、いわゆるトップメゾンのブランドの服に古着をかませること。その許可を貰うのにすごい時間を費やしていた。いまはそんなの普通かもしれないけれど、当時はレギュレーションがすごいキツくて。

佐井 当時僕も良二さんのスタイリング見て、「こう着ていいんだ」って思ったのはすごい憶えていますよ。

本間 ありがとね。俺はスタイリストの役目って、まさに「こういう着方があるんだ」って思わせることだと思っているんだよね。ルックブック通りに着なくたっていいし、全身同じブランドなんて気持ち悪いじゃん? ちょっと頑張って高いジャケット買ったらボトムは安いのでもいいし、それで浮いた金で本なりレコードなり飲みに行くなり、そっちにまわした方がカッコ良いんじゃん? 当時まさに今いったみたいなことを編集者に話してそういうページを作ってたんだけど。

三田 当時の90年代後半ってある意味ファッション黄金時代っていうかさ、みんな洋服にいまよりすごく金を使っていた時代だよね。モデルとかスタイリストが次々ブランド立ち上げたりしてさ。でもそういうブランドって実はバックに「大人」がいて、どっかの会社の一部門としてやってることがほとんどだったじゃない? そんななかで良二君は2-tacsを最初からインディペンデントで始めたのが凄いなって思って。

本間 そこがポイントで、俺は何かをやりだすときは絶対自分の資本で、なければ5万とか10万でもいいから、そこから始めるのがいいなって思ってたのね。どんなにいいアイデアでもそこに投資してくれる人が入ってくると、モノが売れても売れなくても必ず揉めてたんだよね。それで空中分解するのをいくつも見てたから、じゃあ俺は自分の金でアメリカ行って古着買ってきて、それを自分で加工して売るとこから徐々に初めていこうと思って。時間は腐るほどあったしさ。いまもそれは基本的に変わってないよ。さすがにお店始めるときは国庫で一回金借りたけど。

三田 ベイシング・エイプとかに行列がダーっと出来てた時代でしょ? そこに乗っからなかったのが良二君が良二君たる所以だなって。

本間 だからサーフィンでいったら「波待ち」だよね。大波来てるのはわかっていたけど、自分に来ている波じゃないからずっとスルーしてた。超ビッグウェーブだったけど人がいっぱい群がっていたから、無理矢理乗っても危ないじゃん。それより人知れず波が割れてる場所で乗りたいから。

新作のX-Pac製トートバッグを縫う良二君。現在でも少量生産のものは自分で手作りしている。

■服の「外延」と「内包」

 

三田 で、BROWN by 2-tacsでオリジナルを作り始めたんだ。

本間 そう。新品服をBROWN by 2-tacsっていう名前でやろうと。その時に考えてたのは、古着でも着てて気持ち良い服ってあるじゃん? その気持ち良さって、服が持っている「情報」だと思うんだよね。着たときに感じる気持ち良さってロゴでもプリントでも柄でもないじゃん? 柄とかロゴは外延的な情報だけど、着心地の良さってその服の素材が持っている内包的な情報だから、その内包的な部分にフォーカスしたいなって。

三田 こないだ一緒に山行ったときもその「外延的」と「内包的」って話聞いたと思うんだけど、誰の本がヒントになってたんだっけ?

本間 九鬼周造さんっていう哲学者がいて、『「いき」の構造』って本を30才のときに買ったんだけど、最初は何書いてるかまったくわかんなかったのね(笑)。

三田 「いき」って「粋」のことね。たしかに良二君なら気になるタイトルだと思うけど、よくその本に辿り着いたね。戦前に書かれた本なんでしょ?

本間 本屋で見に付いて、パッと手に取ってみただけなんだけど。粋ってなんかおぼろげな概念で、なにが粋かって実はよくわかんかったりするじゃない? それをしっかり教えてくれる本なのかなって思ったら、とんでもない哲学書で(笑)。でも32くらいのとき、「なんかあの本にヒントが書かれている筈だ」って思ってもう一度読み直してみたら、すごい理解が出来たんだよね。で、その本の内容を洋服に置き換えてみると、俺はいままで洋服の外延的情報……人に見せるための部分ばっかり考えてて、洋服が内包している情報についてはまったく無知だったってことに気がついたのね。そこで一回ワッと考え方を変えて、シフトして。そっちの方が絶対長く着れるし、いいものになる筈だと。まあ超地味な服になるし(値段も)高くもなるけど。

三田 なるほどね。たしかにお店に売ってるときとか雑誌に載ってるときに伝わってくるのは服の外延的情報だけど、それを買って実際に着始める段階になると大事になってくるのは着心地とか機能性とか丈夫さとか、内包的情報だもんね。

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良二君所有の『「いき」の構造』(九鬼周造著/藤田正勝注釈/講談社)。すでに10回以上は読んでいるとか。

本間 で、服のその部分が引き立ってくるのって、古着屋に並んでいるときなんだよね。新品の状態だとわかんないけど、着古されたときに本当の質の良さが現れてくる。古着屋でハンガーに吊るされてるのをパッパッパと見てくとき、たまに「なんだこれ!?」って思うのがあるのね。

三田 それは有名なブランドとかは関係なくそういうことがあるってこと?

本間 そうそう。でもやっぱりブランドものはしっかりした作りが多いけど、たまに素っ頓狂なとこから突然でてくるときもあるんだよね。で、その良さがどこから来てるのかを調べていくと、いいものには理由が絶対にあるってことに気がついて。

三田 でもそういったらアウトドア・ウェアは内包的だよね。山に登り始めると、みんな山の服に夢中になる時期があるじゃない? それってやっぱり山服の内包性っていうか、機能性に気づくからだと思うんだ。メリノウールの着心地にびっくりしたり、ナイロンのトレッキングパンツの快適さとか知っちゃうと、夏場にGパン履くなんてありえないってなったり。

本間 Gパン履けなくなるよね。

三田 で、気がつくと休日のおじさんみたいな格好になってたりするんだけど(笑)。

本間 それはしょうがないよ。俺たち立派に休日のおじさんだから(笑)。だからそれまでもおぼろげながら素材への興味はあったけど、九鬼さんの本がそれを明確にしてくれたって感じかな。

三田 モノの内側が気になってきたと。

本間 そう。だからモノの本質だよね。植物でいっても、根っこが元気だから茎や枝や葉っぱがあるわけじゃん。だから本当に重要なのは根っこなんだけど、それは見えない部分なんだよね。

三田 なるほどね。BROWN by 2-tacsのコンセプトもその話を聞くとよくわかるな。BROWNの服って毎シーズン形はそれほど変えないで素材をアップデートしていくって感じだもんね。

本間 形も少しずつ変えてはいるけどね。だから最終的には超普通の服になるんだと思う。なんでもない服になるんじゃないかな。でも素材が良いと、買ってくれた人が戻ってきてくれたんだよね。「やっぱりこれ良いです」って。

三田 着てて気持ちよかったらまた欲しくなるもんね。

本間 それでリピーターが増えてきて、やっぱ間違ってなかったなって。それでどんどん素材の方をやりだして。

三田 最近の良二君が山にハマって以降のコレクションはメリノウールとか、山に着ていっても良さそうな素材も増えているよね。

本間 増えてるね。ウールはやっぱ凄いから。だから素材に関しては一本の繊維をどうブレンドしていくかってとこからやってる。それをどう織るかってなると、今度は綾織りなのか平織りなのかとか、それによってどう繊維の特性が現れてくるかっていう組織の話になってくる。

佐井 掘ってますね~。

本間 でも面白いよ。形はメンズだからベーシックだし、それ以上いらないじゃん。ていうと後は……もう「内包」っちゃってるワケですよ(笑)。でもお客さんもだんだんジワジワとそれについて来てくれてるんだよね。なかでもメリノウールのTシャツは今回ヒットメイク。みんなすごい調子良いって。

三田 メリノウールは単純に着心地がすごく良いもんね。初めて着たときは俺も感動したもん。

本間 だからまた買いにきてくれる。いままで山に登ったことのない人も買ってくれてるわけじゃない? だから都会でもこの気持ちよさはアリってことだよね。

三田 しかも胸ポケット付きのメリノTって、いままでありそうでなかったもんね。この絶妙な塩梅がすごく2-Tacsっぽいっていうか良二君っぽい。

本間 スポーツウェアっぽい立体裁断とか嫌じゃん。その必要性は俺のなかになかったところで、普通のTシャツが欲しいんだけどなかったから。

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BROWN by 2-tacsのメリノウールTシャツ。絶妙な色とシェイプがなんとも2−tacsらしい(三田私物のため数回着用後の状態です)。

■アラスカでスイッチが入った

三田 で、山にハマったきっかけは雑誌のポパイの取材でアラスカ行ったことなんだよね?

本間 そう。それが山に行った初めてじゃないけど、なんかあれでスイッチが入っちゃったんだよね。去年の6月くらいに行ったんだけど。

三田 その企画自体はどういう話だったの?

本間 それは冒険がテーマの号で、アラスカのクローパス・トレイルっていうアンカレッジからクルマで一時間くらいのとこからガードウッドっていう街に抜ける二泊三日のトレイルを歩くのがメインで、あとはアンカレッジの街の紹介をしたり、マッカーシーっていう炭坑の街に行ったりしてアラスカを紹介する企画だったんだけど。

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ポパイ2014年8月号(マガジンハウス)より。

三田 その「スイッチ入った」ってのはなんでだったんだろう?

本間 野生の熊を見たのが俺のなかでひとつポイントだったんだよね。親子連れの熊をすごく遠くから見ただけなんだけど、すごく神々しかった。「ああ、会えたな」と思って。で、帰ってから「また山に行きたい」みたいな。あと単純に自然のなかでゴハン食べたいなって(笑)。アラスカ歩いてるときに食料配分を間違えちゃって、めちゃめちゃ飢えたのね。最後はこんなに腹減ったの生まれて初めてってくらい腹ぺこになっちゃって(笑)。

三田 二泊三日なのに?

本間 元太良(石塚元太良さん。アラスカをテーマにした作品などを多数発表している人気写真家)と行ったんだけど、あいつ完全に食料配分を間違えちゃって。

三田 でも元太良君ってひとりでアラスカのウィルダネスを彷徨っているようなベテランじゃない?

本間 いや、実はやらかすんだよ、あいつ。ときどき超やらかすんだ(笑)。まあ今となってはありがたいネタなんだけど、当時はトホホですよ(笑)。

三田 初日に食べ過ぎたとか?

本間 そう。初日にハンパなく食べちゃって。あの餓え感はハンパなかった。アラスカだと夜キャンプのときに食料を全部ベアキャニスターに入れなきゃならないから、チョコ一個とかでも持ってたらそのときわかるじゃん? そうすると「コイツまだ持ってやがんな~」とか思ったりて(笑)。

三田 食い物問題は険悪になるからね〜。

本間 でも、逆にその餓えが楽しかったというか、街に下りて食った飯がホント旨かったの。で、すぐまた行きたくなって、帰ってきて丹沢に行ったのね。塔ノ岳の向こうに「本間の頭」って場所があって、そこを一応目指してみたんだけど、そしたら「あれ!? ツラい」って(笑)。超ゼーゼーしちゃって。そっから家帰って荷物チェックだよね。「このMSRの鍋カッコいいから持っていったけど全然使ってなーい!(放り投げる仕草)」って(笑)。それから「そういえばスペクテイターのバックナンバーで三田君がUL(ウルトラライト・ハイキング)について書いてたやつがあったな」って思い出して。

三田 ああ、MYOGの特集やった号ね?

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スペクテイター Vol.26 「OUTSIDE JOURNAL 2012」(エディトリアル・デパートメント)より。この号は写真のMYOG特集の他にSky High Mountain Productionsの北野拓也さんのロングインタビューも掲載されているTRAILS読者必読号です(手前味噌!)。

本間 そうそう。あれ出た当時もULには引っかかっていたのよ。あのバックパックのフォルムの面白さとか、なんつってもメーカーのタグが入っていないとこが格好いいなって思ってたのね。それで読んで、そっからはもうビンビンに入っていって、まずハイカーズデポ行って、アートスポーツにも行って、そっから中田商店(上野アメ横にある米軍放出品ショップ)も行って、あとはサバゲー(サバイバルゲーム)ショップ、100円ショップ、スーパーのキッチン用品売り場とか(笑)。

佐井 その話わかるな~(笑)。

本間 「なんか使えるのあるんじゃねえか」ってね。もう全部軽くしてやろうと思って。で、どんどん軽くしてって「よっしゃ!」とか思ってたんだけど、でもホームページとかブログとか読むと、もうみんなとっくにやってるじゃん。だからULに関してはすごい出遅れた感があったね。「こんなに楽しい世界だったのにな」って。

三田 確かにもはや情報は出そろってる感じはあるからね。

本間 そう。シーンとしてすでに成熟しきっちゃってて。その時期にピーンと来てなかったのは俺のミスなんだけど。でもそのコミュニティに入ることが目的じゃなくて、山に行くことがいちばんの目的だから、まあ自分は自分なりにやればいいんだけど。それで去年のいちばんのトピックとしては、西穂高~奥穂高間の縦走をULでテン泊でかますっていうのを自分のなかで目標として設定して、まあそれをやったんだけど。道具の重さを計って書いたりとかして(笑)。

佐井 絶対やりますよね(笑)。

本間 やるよね〜。あとギアを並べて俯瞰で撮って「これやってみたかった~」って(笑)。だからハマったよね、完全に。

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2-tacsブログ(http://2-tacs.com)より。

■旅の醍醐味を凝縮して味わえるのが山

三田 それであらためて日本の山を歩いてみてどうだったの?

本間 最高! 「こんな近いとこにこんな場所あったんだな」って改めて思った。最初に丹沢行ったときは小屋に一泊して帰ってきたんだけど、それでも「これはいいぞ」と。俺はサーフィンも好きなんだけど、一泊くらいでパッと行ってパッと帰って来れる感じが海に近いなって。そこからもうどんどん山との距離が近くなってきて、もう「行こう行こう」みたいな。

三田 たしかに北アルプスとかも初めて行くとビックリするもんね。「こんなとこ日本にあったんだ!」って。

本間 超カッコいいよね。おまけにそんなとこまでクルマで何時間かで行けちゃうわけじゃん? 俺たちめちゃくちゃアクセスのいい場所に住んでるんだなって。

三田 そうなんだよね。東京から奥多摩とか丹沢もクルマ乗ったら1~2時間じゃん。ポートランドとかバンクーバーってよく自然までのアクセスがいい街っていわれるけど、でも街から山まではクルマで一時間とかはかかるんだよね。だから、実は東京だってそこまで変わらないんじゃないかなって思うんだ。

本間 ぜんぜんいいところに住んでるし、日本って国土めちゃくちゃいいとこだなって思うよね。

三田 俺も山に登るようになって日本が好きになった。それまで外国行くと現地の人に日本って国がどれだけクレイジーで変わった国なのかってことをこんこんと語ってたんだけど(笑)。

本間 若いね~(笑)。

三田 でも山に登るようになってから確かに日本の政治とか社会はイビツなとこもあるけど、「自然は素晴らしいよ」っていえるようになった。

2-tacsブログ(http://2-tacs.com)より。

本間 不思議なのはさ、山の上で会った人とはすぐ話せるじゃん? ギャグで笑ったりしてすぐ仲良くなれるんだけど、街の人も同じ人間の筈なのに、なぜかそういう感じにはできないよね。だからみんな山ではどっかスイッチが入ってるのかな。山に入った瞬間に肩書きも何も関係なくなるじゃん。

三田 だから山はさ、俺は何が気持ちいいかって社会から外れていく感覚なんだよね。

本間 そうそうそう。だからピークを目指さないっていう歩き方があるじゃない? それはサーフィンでいったら波が良いときに行かないってのと同じだなって。なんでかっていったらピークは人が多いから。海でも「ここは(東京メトロの)南北線か!?」って思うときあるからさ(笑)。わざわざそんなとこに行きたいために行ってるわけじゃないじゃん? それは山も一緒で。

三田 「俺と山」って感じになりたいんだよね。まわりに人が沢山いるとそっちに気を取られちゃって、なかなか山に集中できない。

本間 そうそう。「俺と山」とか「俺と波」って感じになりたいんだよね。あとたまにひとりでキャンプとかしてると、山のなかで完全に自分だけ異物感があるときあるじゃん。ちょっと怖かったりもするんだけど、でもだからこそ背負ってきた荷物でリカバーしようとかってのもあるわけで、そういうのも楽しい。ふと我に帰って「ああ、なんで俺こんなとこひとりで来たんだろう」って思ったりするときもあるんだけど(笑)。で、それをやり終えて帰ってきたときの、品川駅とかで歩いている人の動きが超速くて、「よくぶつかんねえな~!」とか思いながら見てるときの感覚も楽しみなんだよね。「山から下りたら街の風景がどういうふうに見えるのかな?」っていう。

佐井 たしかに山のなか行くと感じたり見えたりが鋭くなるってのはありますよね。

本間 その感覚も三日もすると戻っちゃうけどね。でもそれが楽しい。むかし20代のときとかだったらバックパッカーでタイとか放浪してさ、それで戻ってきた時にちょっと景色が変わって見えたようなのが、もうちょっとギュッと凝縮して味わえる感じ?

三田 俺もすごくそれ思う。たとえば2週間と1ヶ月とかちょっと長めの海外旅行に行ってきたときみたいな感慨を、山の旅は2泊3日とか3泊4日とか、割とインスタントに味わえるんだよね。

本間 そう、それもかなり濃いめの。

三田 それで下りてきたとき「この3日間いろんなことあったなー」とか思ったりするんだけど、その間やってたことをよくよく考えてみると歩いて、飯食って、寝てっていうことだけでさ(笑)、でもそこも面白い。

2-tacsブログ(http://2-tacs.com)より。

本間 だから端から見たら変なんだよ。よく山のブロガーの人って本名出してないじゃん? あの人たちってたぶん会社員だから、有給取ってこんなことやってるのが会社の人に見られるとヤバいからだと思うんだよね。かなり社会から外れてるじゃん(笑)。この感覚はたぶん山に行ってない人にはわからないよね。

三田 社会から外れる感覚がね。山の奥の方ってグレーゾーンっていうか治外法権っていうか、ある意味法律が支配している世界じゃないじゃん? 北アルプスの上の方なんてさ、街の感覚でいったら「ここ法律で立ち入り禁止にした方がいんじゃないの?」っていう場所いっぱいあるじゃん。

本間 俺あそこ閉鎖されたらやだな~。困る!

三田 そんな場所に行ける快感っていうか、人の作ったルールじゃなくて、自然のルールが支配している場所に行く快感があると思うんだよね。それでそこだとさ、いちばんホットなトピックが天気予報っていう(笑)。

本間 確かにそれがいちばん知りたいよね(笑)。

三田 山小屋とかでさ、ラジオの天気予報をみんなで固唾を飲んで聞いてる感じね(笑)。でもそのピュアさがいいなっていうか。

本間 いい、いい。最高にいい。でさ、年を重ねるごとに遊び方のスケールとかスタイルも変わってくるわけじゃん。それで今まで憧れだったとこに行けるようになってきて、それで行ってみると、「なんだ行けんじゃん」っていうのが、なんかスゲー嬉しいっていうか。

三田 「ジャン(ジャンダルム)」とかね(笑)。2-tacsのブログに書いてたあの山行記は本当に面白かった。

本間 いや、ジャンダルムは行けなかったんだ(笑)。戻ってきたんだよね。その日曇りで、もう登っても意味ないなと思って引き返したんだけど、帰る途中にザックを落として、それを取りに行ったら死にそうになって(笑)。

三田 あの極限状態の心理描写とか迫真だったもん。TRAILSの読者にもぜひ読んで貰いたいけど。

2-tacsブログ(http://2-tacs.com)より。

取材/文/写真(会場):三田正明

このマニアックなウェブ・マガジンをチェックされている方なら、「山と道」のことは当然ご存知だろう。夏目彰氏と由美子さん夫妻によって2011年に創業した、日本のU.L.コテージ・マニュファクチャアラー(『ガレージメーカー』という言葉は和製英語なので、今後当サイトでは本場アメリカに即して積極的にこの言葉を採用していきたい)の草分けのひとつだ。現在では両手両足を使っても数えきれないほどのコテージ・マニュファクチャアラーが誕生して活況をしめしている日本のシーンのなかで、山と道が頭ひとつもふたつも抜きん出た存在となってきている理由を筆者なりに考えてみると、執拗なまでのフィールドテストを経てデザインされる美しいプロダクトの魅力はもちろんのこと、山と道がスタート地点から一貫してハイキング・カルチャーの敬虔な使徒として、その文化と情報を発信し続けてきたことへの信頼も大きいのではないだろうか。

2015年4月5日、そんな山と道の文化面を代表する主催イベント「鎌倉ハイカーズ・ミーティング」が行われた。2011年の創業直後から年に1回ほどのペースで続けられてきたこのイベントも第四回目を迎え、限定150人の予約はあっという間に定員に達した。今回のミーティングのテーマは「食」。ハイキング・フードをテーマに、ハイカーのための栄養学やオリジナル・エナジーバーやアルコール・ストーブの作り方、ハイキング・フード座談会など、様々な角度でのプレゼンテーションやワークショップが行われ、個人的には日本でのこのカルチャーのひとつの成熟を示す、昨今のハイキング系イベントのなかでも白眉といえる内容だったように思う。

ともあれ、イベントからすでにひと月近くが経過しているというウェブ・メディアにあるまじきレポートの遅さはご容赦願いたい。その代わりといっては何だけど、例によって膨大な情報量を詰め込んだので、時間のあるときに興味のある場所だけでも読んでみてほしい(とくに最後の『べぇさん』こと勝俣隆さんのプレゼンテーションは必読だ)。このカルチャーに興味のある人なら、何かしら得るものが絶対にあるはずだから。

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北鎌倉駅から浄智寺の参道へと入り、お寺の脇を抜けさらに進むと、森の奥へと続くような細い路地に突き当たる。路地をさらに進み、石造りの古い階段を登ると視界がパッと開け、広い庭のある洋風の古民家が現れる。第一回から鎌倉ハイカーズミーティングの会場となっている「たからの庭」だ。かつて陶芸家の釜場だったというこの家は廃屋になっていたところをNPO法人が借り受け、イベントスペースとして活用されているらしい。山林と寺社文化と洋風趣味が一体になったいかにも北鎌倉らしいスペースである。

開場の午前11時になると続々とハイカー・ファッションに身を包んだ参加者が集まってきた。当然ながら山と道のバックパックを背負った人が多く、足下はアルトラのシューズの人気が高い。フェスで見るような素っ頓狂なアウトドア・ファッションは皆無で、みんなお洒落。変な話、こんなところにも僕は日本でのハイキング・カルチャーのある種の成熟を感じるのだった。数年前のこの手のイベントでは、身につけているものひとつひとつは良いものなのに全体としてはちぐはぐな、ブランドという記号を着て歩いているような人が多かったけれど、その日は要所要所はハイカー好みのアイテムを身につけながらも、それを自分なりに着こなしている人が目立った。それはつまり、みんな昨日今日このカルチャーにはまったわけではない、ということだ。挨拶もそこそこに、まずは主催者である山と道の夏目彰氏にお話を伺った。

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山と道の夏目彰さん・由美子さん。

■「ハイキング・カルチャーをみんなで体験できる場所」山と道 夏目彰インタビュー

「そもそも山と道はたとえば寺澤さんのブログ(『ウルトラライトハイキングギア(山と渓谷社)』著者の寺澤英明氏のブログ『山より道具』のこと)だったりハイカーズ・デポの土屋(智哉)さんに影響を受けて始めたものだから、彼らが教えてくれたハイキング・カルチャーを自分たちも伝えていかなくてはいけないという意識があったんです。ハイキング・カルチャーを体感できる場所があって、参加者同士交流できて、そこから何かが生まれたり、僕たちの道具にも近づいてきてくれたら理想じゃないですか。そんな思いで山と道を立ち上げてすぐの2011年からこの鎌倉ハイカーズ・ミーティングを始めました。(イベントを)まず僕らのホームグラウンドである鎌倉でやりたいという気持ちがあって、場所もできればトレイルのそばの自然の中でやりたいと思っていたんです。そうしたらこの「たからの庭」という場所を見つけて、ご紹介いただいて会員になって。会員になると定期的に草取りとか掃除とかしなくてはならないんですけれど、そうでないとここまでは使わせてもらえなかったと思います。」

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ケータリングには地元鎌倉・大町のお店『おいちいち』が出店。焼き玄米や鎌倉野菜を使用したメニューの他、逗子の地ビール『ヨロッコビール』や鎌倉の『ツバメ珈琲焙煎所』によるコーヒーなどが供された。

「一回目はローカスギアやハイカーズ・デポにも参加していただいて、共同開催的な感じで考えていたんですよ。けど、いざ蓋をあけてみると僕が主催って感じになっちゃって。そうであればもっと教育的な発表であったり、より深いコンテンツを学べる場所にできたらいいなと思ったんです。それで二回目からうちの主催イベントって色が強くなってきた。こういう場がないと僕たちもお客さんと直に触れ合えないですしね。『なら普通の展示会やれよ』っていわれるかもしれないけど(笑)。なのにこういうことやっちゃっててんてこ舞いになって、自分たちの展示がおろそかになっています(笑)。でも、今回も座談会をやってくれるHBMのクロちゃんとかOsonさんとかジャッキーさんとかが繋がったのもここだって聞くと嬉しいですね。実際やってみると大変なんで、毎回「もうやめよう」と思いながら続けていますけど(笑)。」

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「山と道としては5年目に突入したんですが、粛々と最初に思い描いていたことを実行に移している感じですね。ほんとなら今ごろ実店舗を出しているつもりだったし、シェルターも出したいと思っていて出せていなかったりはするんですけれど、カルチャーや情報を発信しながらモノをしっかり作ってゆく、それでお客さんの共感を得ていくっていうスタンスは、どうにか形になってきたと思います。」

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新作Backpack Threeの試作品とジェリー鵜飼さん所有/カスタムのUL Frame Pack One。

「それと、何よりも山と道は僕と家内の由美子の会社で、由美子もプライドを持って仕事をやれて、ふたりでちゃんとやれているっていうのが、まずいちばんの成果だと思っています。山と道はそもそも『夫婦で仕事をしたい』って思って始めた部分も大きいですから。立ち上げの時期はキツかったから、これで夫婦が壊れるんじゃないかと心配したこともありますけど(笑)。僕はなにかと飛ばしがちなんだけど、夫婦でやっている以上はゆっくり行く所はゆっくり行かなくちゃなならないし。まあ山歩くのと一緒ですよ。」

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「今年はとりあえずいま準備している新しいザックとかロングパンツを出して、次に作りたいものもたまっているから、それをどれだけ手をつけられるかなっていう感じです。もう去年くらいから明解に作りたい形が見えているものもあるし、ずっと試作を続けているメリノのTシャツも形にしたい。あと、いくつか冬用のウェアも。冬用の服ってアイスクライミングとかバックカントリー向けのウェアが多いから、それをもっとハイキング向けにいいものが作れないかなって思っています。」

取材/TRAILS 訳/大島竜也・三田正明  写真提供/ブレッドウッド・ヒグマン&エリン・マキトリック

2010年、「A Long Trek Home」という本の存在を知った。この本は、ヒグとエリン夫妻が、シアトルからアリューシャン列島(アメリカのアラスカ半島からロシアのカムチャツカ半島にかけて約1,930キロメートルにわたって延びる列島)まで、ハイキング、パックラフティング、スキーというヒューマンパワーのみで4,000-mileを旅をするという内容だった。僕らも、トレイルズを立ち上げる前から夫婦で旅することが多かったこともあり、彼らの旅のスタイルに刺激をもらったし、参考にさせてもらっていた。

そして、2013年。今度は、幼い子供と一緒に家族で北極を旅をするという内容の「Small Feet,Big Land」という本を新たに出版した。日本では子供が生まれて小さいうちは、アウトドアフィールドから遠ざかってしまうことも少なくないし、僕たちもお手本が少ない中でどのようにトレイルとつき合っていこうか模索していた時期でもあった。またしても彼らがどのように小さな子供を連れて、家族でトレイルでの旅、そして生活を実践しているのかとても興味を持った。

彼らは子供たちを寝かしつけた後の時間で、スカイプ越しのインタビューに答えてくれた。エリンは、少女のような眼差しをしたとても雰囲気がある女性で、ヒグは、インタビュー中ずっと笑顔で答えてくれるナイスガイだった。今回のTRAIL TALKを読んだことがきっかけで、家族で自然の中に入っていく人たちが増えてくれるとうれしい。ぜひ最後までごゆっくりお楽しみください。

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子供たちを抱っこしながら歩く、ヒグとエリン

■アウトドアで色々なことを体感することが重要と考えているわ

――まず今回のインタビューの目的について説明させて下さい。日本でも多くの人がアウトドア・アクティビティを楽しんでいますが、結婚して子供ができるとアウトドアで遊べなくなる人が多いのが現実です。そこで、実際に子供たちと沢山のアウトドア経験を共有しているエリンさんとヒグさんに、どうすれば小さな子供がいてもアウトドア・アクティビティを続けることができるのか、そのヒントとなるようなお話を伺いたいと思っています。まずは日本の読者に向けて自己紹介をお願いします。

ヒグ「OK。エリンと僕は二人とも出身地とは離れたミネソタの大学へ通っていたんだけど、そこで僕は地理学を専攻し、地震や津波の影響について研究していたんだ。そこでエリンと出会って1999年から交際を始め、2001年に初めて二人で長い旅をして、沢山のウィルダネスでの経験をした。8年後の2009年に第一子のカトマイが生まれて、それからエリンと僕はどうやって子供と一緒にウィルダネスを一緒に体験できるかということを真剣に考えるようになったんだ。」

エリン「長男のカトマイはいま5歳で、下のラトウーヤは3歳9ヶ月になるわ。」

――お子さんたちはとてもユニークな名前ですね。

エリン「カトマイはアラスカにある火山の名前から、下のラトウーヤは私たちの住むセルドヴィアの近くにある港の名前から名付けたの。カトマイは自宅でホームスクール(保護者自らが教科書などを使い子供に勉強を教えるアメリカではさかんな制度)をしていて、ラトウーヤは地元の幼稚園に週2~3回通っているわ。私たちはアウトドアで色々なことを体感することが重要と考えているので、勉強以外では毎週金曜日に地元のネイティブ・アメリカン団体と協力して、子供たちを外にハイキングに連れて行くアクティビティを毎週金曜日に行っているの。」

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エリンとラトウーヤ

■自給自足に近い生活をしていている

——どんな場所で、どのように暮らしているのですか?

ヒグ「僕たちの住むセルドヴィアの町の人口は300~400人程で、道も十分整備されてなくて、国道につながっている道もないんだ。この町はアメリカ領になる前はロシア領だったので、その名残でロシア語の名前(=Seldovia)がついている。昔も今も町の主な産業は漁業で、他には建設業や観光で成り立っている。ここでは多くの人が自分で魚を釣ったり狩りをしたり、野菜を自分の畑で育てたりして自給自足に近い生活をしていて、家も自分で建てる人が多いよ。そこで僕たちは『ユルト』と呼ばれるモンゴルの遊牧民が住んでいるような円形のテント式住居に住んでいるんだけど、素材や構造は現代の技術を使っているので、住み心地はまったく問題ないよ。セルドヴィアにユルトを販売している会社があるので、そこでお願いして建てたんだ。」

エリン「私はシアトル出身だけど、母がたまに遊びに来て数週間滞在するので、母用のユルトもあるのよ(笑)。」

――なぜユルトに住もうと思ったんですか?

ヒグ「選んだというより他に選択肢がなかったからなんだ(笑)。アラスカに引っ越したときエリンは妊娠1ヶ月だったし、冬も近づいていたからとにかく家を見つける必要があった。検討をしているとユルトだと通常の家を建てるよりかなり短い工期で建設できるということを知ったんだ。ユルトは遊牧民の住居なので本来は簡単に移動が可能なんだけど、僕たちの家には窓ガラスなどが入っているので簡単には動かせないけどね。」

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ユルトの住居

■二年に一度は家族で六~七ヶ月の旅に出ている

——ライフスタイルについても教えてください。普段の一日のスケジュールは?

エリン「朝起きたら朝ご飯を準備して、朝食後にヒグか私のどちらかが子供たちと遊んだり、カトマイに勉強を教えたりします。手の空いている方がPCを開いて自分の仕事をするというルールにして、お互いの仕事の時間を確保しています。午後になると外へ出かけて短いハイキングに行ったり、ビーチに出かけたり、雪遊びやスキーをしたりして過ごします。夜になると近くに住むヒグのお母さんやお姉さんと一緒に夕食を食べたり、頻繁に友人が遊びに来るので、友人らと一緒に食事をすることもあります。なので、夕食は大人数でわいわいと食べることが多いわね。家族のイベントとしては、ひと月に一度満月の日に一泊二日のキャンプに出かけます。毎月のキャンプ以外も頻繁に家族で外へ出て、テントを張って夜を明かしています。それ以外も夏には一、二週間の旅に出たり、二年に一度の頻度で6~7ヶ月の旅に家族で行きます。」

——お二人はどんな仕事をされているんですか?

ヒグ「普段はセルドヴィアにある環境コンサルティング会社で働いていて、様々な分析や調査をしているんだ。具体的には(アラスカ沖は多くの原油タンカーの航路になっているので)タンカーから漏れた原油の周辺への影響調査を担当している。その他にも分析プログラムを書いたり、実際に海辺へ出て沿岸部の実地調査にも関わっている。それにNPOの代表もしていて、アラスカにおける環境問題の啓蒙活動や、大学時代の専攻を活かして地震や津波の調査にも携わっているよ。」

エリン「 私はライターをしています。たとえばヒグが関わる原油タンカーの問題であったり、アラスカの自然環境についてだったり。記事は地元の新聞向けに書くことが多いけど、他のメディアにも書くこともあります。それ以外では地元の環境整備に関わる友人とトレイルに立てる動物の標識や解説ボードづくりにも関わっています。生活費が多くかからないので、それほどお金は必要じゃないの。でも二人の仕事は専門性が高くてそれなりの収入を得ることができるから、家族で長旅に出ることができるんです。」

——エリンさんはトレイルに立てる標識づくりをされるとの事ですが、トレイルの設計等にも関わったりもされているんですか?

ヒグ「トレイルの設計は実は僕がやっているんだ。セルドヴィアの自治体に国から予算がおりて環境保護や公園整備をする話があったりすると、いつも僕らのNPOに相談があるんだよ。 僕らの専門性や実際に色々なところへ行って多くの自然や町づくりを見て来た経歴を知っているので、その経験を活かしてトレイルのルートづくりやその設計に関わる機会をもらえるんだ。エリンもその流れで標識づくりを担当することになったんだけど、彼女が作っているのはより観光やレジャーで訪れる人を対象にしたものだね。」

——普段はほぼ自給自足の生活をされているとのことですが、ちなみに今晩はどんな夕食メニューだったんですか?

エリン「ディナーは畑でとれたビート(甜菜)とジャガイモのスープ、自分で焼いたパンを食べたわ。パンの小麦粉はスーパーから買ってきたものですけど。他にはたとえば畑でとれた野菜や野生のきのこを炒めてごはんと食べたり、川でとれた魚を食べたり。魚はサーモンをよく食べるけど、殆どは地元のマーケットで買っているわ。実は先日も冷凍のサーモンを40匹分買って、冷凍保存用に缶詰め作業をしたところなの。 あと約100リットル分のブルーベリーも頂いたので、それもほとんどジャムにして缶詰にしたわ。ちなみにサーモンはオイル漬け。薫製にして缶詰する人もいるけど、私達はオイル漬けにしています。」

ヒグ「サーモンはよく刺身や寿司にして食べるよ。僕のお気に入りさ。」

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洞窟の中での焚き火

■過去三度の旅はハイキングとパックラフティングの両方で旅をした

——これまでご家族で何度も長期間の旅に出られていますが、過去にどんな場所へ行かれたか教えて頂けますか?

エリン「家族全員で長い期間を旅したのは過去に三回あって、初めて旅をしたのはカトマイが1歳半でラトウーヤがまだお腹の中にいた頃で、そのときは北極の海岸沿いを約一ヶ月間旅しました。二回目はカトマイが2歳半でラトウーヤが1歳のときにマラスピナ氷河へ行き、そこで二ヶ月間キャンプを張って生活しました。三回目はカトマイが4歳でラトウーヤが2歳の時に三ヶ月半をかけてアラスカの西からアンカレッジまでの海岸沿いを旅しました。 次の旅はアラスカ北部に二ヶ月間の旅に出る予定で、そこで犬ぞりをしたり、スキーをしたりする予定です。また、来年の夏はアリューシャン列島のウナラスカ島にあるダッチハーバーという町に行く予定です。」

——それらの旅はどんな手段で旅をされたのですか?

エリン「過去三度の旅はいずれもハイキングとパックラフティングの両方で旅をしました。次回の旅では初めてスキーも取り入れる予定です。」

――パックラフトを旅で使用されるのはどんな理由からですか? また、どんな種類のものを旅で使用されていますか?

エリン「理由は、今まで訪れた旅先は氷上や雪の上を進むことがあるので、より効率的で楽しいから。また子供達と一緒に行動するのにより便利であることも理由です。種類はアルパカラフトのDenali Lama等の一番大きなサイズからAlpakaサイズまで使っています。パックラフトの多くはスポンサーからの支給なので、沢山の種類を今まで使いました。ちなみに次回のアラスカ北部への旅ではスキーもあり荷物が多くなるので、Denali Lamaを二つ持って行く予定です。」

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家族4人でパックラフトで移動する

■MYOG (ギアの自作)をすることもあるわ

――旅の道具はどのような基準で選んでいますか?

エリン「道具選びでいつも課題になってくるのは、どれだけ妥協するかですね。要素としては費用と重量が最も大きくて、耐久性も重要です。他には、数ヶ月間に渡る旅だと様々な状況に出くわすので、多用途性も重要になってきます。費用を安く抑える為や、私たちの目的に沿った軽量な道具を手に入れるためにMYOG (ギアの自作)をすることもありますが、自分でつくるのは時間もかかるし、多くの場合見た目がファニーになってしまいますよね(笑)。子供用のギアは特に難しいです。子供の成長は早いし、子供用のギアの多くは大人用ほどよくはできていませんからね。」

――お気に入りの旅道具とその理由を教えてください。

ヒグ「まずパックラフトは欠かせないね。これまでのすべての旅でその必要を感じてきたし、実際使いまくっているよ。特にアルパカラフトのパックラフトは僕たちの旅の目的を満たすのには充分以上の働きをしてくれている。寒さの厳しいコンディションの時はチタニウム・ゴートのウッドストーブがお気に入りだよ。とても軽くて、テントの中でも使えて、テントをまるで家の様な空間にしてくれる。他にはパタゴニアのパフジャケットとキャノンの一眼レフのRebel(日本名はEos Kiss)もお気に入りだね。」

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氷河の中でのキャンプ

――熊対策はどのようにしていますか?

ヒグ「熊に襲われることはしばしば起こることだし、実際に起きたとしたら本当に大きなリスクだよね。でも、多くの人が思うほど熊は危険な動物じゃないんだ。僕たちはこれまで多くの熊と出くわしてきたけれど、問題が起きたことは一度もない。多くの場合は熊のほうから逃げていったね。でも危険であることに変わりはないので、子供たちと行動するときはいつも以上に気をつけているよ。キャンプの時は各自が熊対策用のペッパースプレーと手持ちたいまつを携帯し、テントの周りにはウルトラライトな電気フェンスを設置し、食料は防臭バッグに入れて熊が臭いを嗅ぎ付けないようにしている。バッグに入れた食料はテントの中に置いているけど。このシステムは今のところうまく機能しているけれど、大人だけでキャンプするときにははちょっとやり過ぎかもしれないね(笑)。」

――道具選択の失敗や怪我や病気、急な悪天候など、失敗談を教えていただけますか?

ヒグ「ギアでは数えきれないほどの失敗をしてきたよ。靴がバラバラになったりテントが壊れたり、電化製品がまったく動かなくなったり。こういったケースの対策として、常に修理ができるよう準備をしている。過去に熊にキャンプをめちゃめちゃにされたこともあるけれど、その時は90cmもテントを縫って修理した。スリーピングバッドやパックラフト、他にも様々なものを修理したよ。今までで最悪の失敗は凍った入り江を横断する際に氷の状況を見誤ったことだね。詳しくはエリンの一冊目の本に書いてあるんだけれど、地平線の向こうの氷の状況が想像つかなかったせいで、みぞれに吹かれながら氷山に囲まれた場所で立ち往生して、命の危険すらある状況に足を踏み入れてしまった。もしもあんなことが起こると知っていたら、絶対に行かなかっただろう。」

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テント内での食事

■ウィルダネスで過ごす方が自由だし、もっとシンプルなの

—— 日頃から自然の中で生活しているのに、なぜまた自然を旅したいと思うのでしょうか?

ヒグ「それもそうだね(笑)。でも、それは多くの自然を見れば見るほどより多くのことを学べるからだと思うよ。自然での経験は子供たちによっても良いと思うからね。また、普段から自然の中で生活をしているとは言え、そこには日常があるのでパソコンや電化製品があり必要なものは手に入りやすい便利な生活なので、自然にいることで本当に自由な時間を家族と一緒に過ごすことが大事だと思うからかな。」

――小さな子供たちを抱えてウィルダネスを行くことは苦労も多いと思いますが。

ヒグ「たしかに、小さな子供たちは日常生活でも手に負えないのに、アウトドアではもっと大変だと思うよね。でも、実際に子供たちと一緒にウィルダネスで過ごすことで僕たちはまったく大変な経験はしていなくて、むしろよりシンプルになっているんだ。」

エリン「そうなの。日常生活では色々なルールや壁があるから子供たちがいると大変なことも多いけど、ウィルダネスだったら自由だし、もっとシンプルなの。誰も仕事に行かなくていいし、予定も入ってないし、学校もイベントごともない…みんな一緒にいられて、お話や遊びや冒険をする時間が沢山あるわ。」

――おむつはどのようにしていました? 使い捨ての紙おむつも使うのですか?

エリン「ありがたいことに今は二人の子供たちにおむつをはかせる必要はないけど、まだ二人の子供達が両方おむつだった時に旅先で二ヶ月間外にいてオムツの替えも充分でなく、水へのアクセスもないときは、G-Diapers(G―おむつ)というシステムを使っていたの。布製の生地が一番外側でその内側にゴム製のライナーがあって、さらに使い捨てパッドが入った三層構造になっているんだけど、私たちは沢山の替え用のパッドを持ち歩いて、他のパーツは数点しか替えを持っていませんでした。パットを替える他は二週間ごとにオムツの外側をお湯で手洗いしたけれど、あまり楽しいことではなかったわね(笑)。使ったパットは大人の排泄物と一緒に土に埋めていたわ。」

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ウィルダネスの中で、おむつを替える

――旅の間、赤ちゃんにはどのようなものを食べさせていたのですか?

エリン「子供たちは2歳半までおっぱいを飲んでいましたけど、生後6ヶ月からは普通の食事も食べさせていたの。だから子供たちは私たちと同じものを食べることを学ぶ時間が充分にあって、そのやり方はうまくいったの。結局、子供達に離乳食のような乳児用の食べものをつくることはなかったわ。」

――お子さんの背負子にはどんなものを使っていましたか?

ヒグ「僕たちは背負子ではなく、ラップ式のものを使っていたんだ。ベイビー・ラップはすごくいいよ。親の身体によくフィットするから赤ちゃんと身体の暖かさをシェアできるし、より体の近くで固定できるので赤ちゃんの顔が外に飛び出して危険にさらされるようなこともないんだ。ラップは綿を編んだものが一般的だけど、僕たちは少しでも軽く、乾きやすくするためにナイロン製のものを使っていた。時にはバックパックを背負いながら前にラップで赤ちゃんを運ぶこともあったけど、荷物の重いときはちょっとキツかったね(笑)。でもすごく役立った。」

■自由のある生活をしたいと思っている

――おふたりが目指している目標や価値観はありますか?

ヒグ「特に壮大な目標はないよ。僕らにしてみたら、ただ毎日の生活をより良く効率的にするためにできることをひとつづつやっているだけなんだ。たとえば、最近だったらシャワーを浴びるときに安定的に水が出るように井戸を掘ったり、自家農園用の畑をつくったり。僕にとってアラスカで暮らすことの良さは、多くのを自分の力で自給自足しなくてはならないところなんだ。ここには工夫を凝らして自然のなかで暮らしている人が沢山いて参考になる生活の知恵を実践しているので、本当に沢山のことを学ぶ機会に恵まれているよ。」

――生活や人生において、大切にしている理念はありますか?

エリン「自由のある生活をしたいと思っています。二~三ヶ月働かなくてもやっていけるようなるべくコストをかけずに生活をしたいし、仕事の時間よりも家族の時間がとれるライフスタイルを目指しています。ただ一つあるのは、“Impact of beyond our life style”という考えね。簡単に言うと、自然と共存するライフスタイルを実践すれば、自然はそこから得られる価値以上のものをもたらしてくれるということ。そして、そこで得られた多くの学びによって周りの人にも良い影響を与えて、後世にとってより良い世界にしていけたら嬉しいわね。」

——その理念に至った背景には、やはりお子さんを持ったことが影響していますか?

ヒグ「僕らがもともと考えていた部分と勉強の積み重ねで行き着いたことだと思う。僕は大学で地理学を専攻して今まで多くのリサーチを重ねてきたし、仕事でも専門家に会って実際に話を聞いたり、沿岸部の環境破壊の現場に出たりして、論文や本に書いていることを実際に自分の目で見てきた。また定期的に色々な土地へ旅に出ることで多くのことを見て、いろいろな方に話を聞いて、より深く考えるようにもなった。でも、子供を持つことで考えがより具体的になったかもしれないね。」

――家族で長期旅行をすることの魅力はどんなところにあるのでしょう?

エリン「家族みんなが一つの方向に向かって進むことね。旅の間は字の如くまさに一つの方向に歩き、感情的にもチームとして協力して一つのゴールを目指すでしょ? もちろんいろいろ大変なこともあるけど、その間も家族同士なのでリラックスしていることができる。私たちはウィルダネスが好きで、そこから学ぶことも大好きで、子供たちにもそうあって欲しいと願っているの。彼らには強く、自信を持ち、どんな場所でも生きていける人になってほしいから、壁に囲まれた場所でなく、自然の中で多くの時間をもち、沢山のことを学んでいって欲しいわ。」

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北極の旅

取材/TRAILS 訳/大島竜也 文/三田正明    写真/Barefoot Jake

数年前、オレゴンのスリーシスターズ自然区域でオーバーナイト・ハイキングをした時に、ひとりの女性ハイカーに出会った。ヘビーデュ―ティなスタイルの男性バックパッカーが多いなか、35リッターほどの小さなバックパックひとつで数日間のハイキング&キャンピングを楽しんだという彼女は「ビューティフルな週末だったわ」というと、踊るような軽い足取りでトレイルを下っていった。日本の山で女性のソロキャンパーに出会ったことがなかった僕に彼女の存在はとても印象的で、その後ろ姿を「アメリカはやっぱ違うな」といいながら、友人とふたりでいつまでも見送ったものである(もちろん、彼女が美しかったこともその理由のひとつだが)。

今回のTRAIL TALKに登場してもらうのも、そんなアメリカの素敵な女性ハイカーだ。しかも彼女はこれまでにアパラチアン・トレイル(AT)、パシフィック・クレスト・トレイル(PCT)、コンチネンタル・ディバイド・トレイル(CDT)を踏破したトリプルクラウン・ハイカーであり、さらには通常ならば踏破に4~5ヶ月は要する全長3510キロのATを80日と半日という驚異的なスピードで(ノン・サポートによる女性最速記録)でスルーハイクをしたスーパー・ハイカーなのだ。

そんな彼女……”Snokel” というハイカー・ネームでも知られるリズ・トーマスさんが、オレゴンでのハイキングに出発直前の慌ただしいなかスカイプ越しのインタビューに答えてくれた。お母さんが日系人だということもあって日本人にもとても親しみの持てる容姿をした彼女はとても聡明で利発で、そしてチャーミングな女性だった。こんなふうに素敵な女性と日本のトレイルでもたくさん出会えるようになったら、僕たちはとても嬉しい。

■一年の三分の一づつをコロラドとカリフォルニアとトレイルの上で過ごしているわ

——はじめまして、僕たちは日本のTRAILSというウェブマガジンです。多くの日本の読者はこのインタビューを通じて初めてあなたのことを知ることになると思うので、自己紹介していただけますか?

OK! 私はリズ・トーマスよ。これまでにAT、PCT、CDTを踏破した女性のロングディスタンス・ハイカーで、人には歩くことが速いとよくいわれます(笑)。海外をハイクすることも大好きで、過去には日本、コスタリカ、ニカラグア、ザンビアなどを歩いたこともあるわ。」

——普段はどこに住んでいるのですか?

「基本的にはハイキングをライフスタイルの中心にしているので、一年の三分の一づつをコロラド州とカリフォルニア州、そしてトレイルの上で過ごしているわ。基本的に夏はハイキングに出かけて、それ以外の季節を街で暮らしているの。カリフォルニアは私の実家で、コロラドのデンバーではベジタリアンの友達の家に居候させてもらってるんだけど、彼らには代わりに食事をつくってあげているわ(笑)。街ではトレーニングを兼ねて都市を『アーバン・ハイキング』したり、ヨガやクライミング・ジムに通ったりもしているけれど、冬の寒い日は読書していることも多いわね。」

——「アーバン・ハイキング」って面白そうですね。もう少しくわしく教えてもらえますか?

「そもそものきっかけは友達から誘われたからなんだけど、やってみると思いのほか楽しくて、それ以来続けているの。たとえばロスアンジェルスではパサデナからサンペドロまで、175マイル(約280km)を歩いたわ。ロングディスタンス・ハイキングの魅力のひとつは歩くうちに自然の移り変わりを感じることだと思うのだけれど、都市でのハイキングも街の歴史的、環境的、文化的な移り変わりを感じることができて、とても楽しかったの。それは車では絶対に味わえないことだし、その街の良さも再認識できたわ。」

——ああ、つまり都市をオーバーナイトでハイキングするのが「アーバン・ハイキング」なんですね。どんな場所に泊まるんですか?

「たとえばロスアンジェルスではホテルには困らないけれど、私はなるべく小さな予算で抑えたいから、友人・知人の家やバックヤードを貸してもらいながら歩いたわ。彼らはアーバン・ハイキングのトレイル・エンジェル(ATやPCTなどのロングトレイルでスルーハイカーたちを物心両面でサポートするボランティアのこと)というわけ(笑)。彼らのような人々に出会えることもアーバン・ハイキングの魅力のひとつね。」

ロスアンジェルス市内をアーバン・ハイキング

——たしかに友達の家を泊まり歩きながら住み慣れた街をアーバン・ハイキングするのも楽しそうですね。

「だから基本的にはひとりで歩くことが多いけれど、自分が行っているワークショップの一環として参加者を連れていくこともあるわ。『アーバン・ハイキング』という名前は言葉としてはちょっとおかしい表現だけど(笑)、私自身としてはあえて自然の中とは異なる都会でのハイキングの醍醐味を参加者に感じてもらうことで、『アーバン・ハイキング』をひとつのアクティビティとして確立していこう思っているの。」

——アーバン・ハイキングには特別なルールはありますか? たとえばなるべく坂道を歩くようにするとか、途中でバーガー・ショップに立ち寄ってはダメとか(笑)。

「とくに厳しいルールは決めていないわ。過去にアーバン・ハイキングをしたロスアンジェルスやサンフランシスコは起伏の多い街だから、よりハイキングの感覚を得られたけれど。これはルールではないけれど、私は自然の中を歩くときに得られるメディテーション的な感覚を大事にしたいから、アーバン・ハイキングでも歩くことに集中するように心がけているわ。それとバーガー・ショップへの立寄りは、休憩も必要だろうから一応OKということにしておきましょう(笑)。」


■自然の中にいるときのメディテーショナルな感覚が好き

——普段はどんなお仕事をされているんですか?

「仕事という意味ではハイカーとしてメーカーからサポートを受けたりハイキング・レポートを書いたり講演やワークショップをすることが私の本業だけど、それだけでは十分でないので、大学での専攻を活かして環境団体やNPONGO団体向けのリサーチもしているわ。こないだは脳波の研究実験で頭に装置をつけて被験者になったところ(笑)。」

——友人にリズさんはよくどんな人だといわれますか? 

「そうね…(すこし考えて)普通に会社で仕事をしている友人からは、『“Unconventional (枠にとらわれない)”な生き方で、自分の好きなことをしていて羨ましいよ』といわれるかしら。私にとっては今の生活が『普通』だから、あまりそうは感じないけど。」

アメリカ最高峰Mt. ホイットニー山頂にて

——アウトドアとの出会いを教えてください。

「小学校6年生の時に両親が連れていってくれたアウトドア・イベントがきっかけで、体を動かして、景色を見て、自然の中にいるのがとても楽しかったの。当時は体育の授業以外で体を動かすことがなかったから肉体的にはきつかったけど、それ以上に素敵な経験ができたわ。何より自然の中にいることがとても楽しくて、その気持ちは今でも変わっていないと思う。」

——ロングディスタンス・ハイキングを始めたきっかけは?

「大学卒業後に友人の誘いで170マイル(=約270km)を歩いたけれど、そのときはうまくいかなかったの。それから『次こそは』という思いで経験を積んでいって、結局今に至っている(笑)。ロングディスタンス・ハイキングは心身ともにタフな体験だけど、それ以上に得るものも大きいから、継続できているんだと思うわ。」

——ハイキング以外にもトレイルランニングやクライミングなど様々なアウトドア・アクティビティがあると思うのですが、その中でもとくにハイキングに惹かれる理由は?

「私がトレイルランニングをしないのは膝に負担がかかることが一つの理由だけど、何より自然との関わり方においてハイキングの方が私は好きなの。トレイルランニングは自然のなかを走って終わりだけど、私はキャンプすることも好きだし、ハイキングだとゆっくり自然の移り変わりを感じたり、動物たちとの関わりを持つこともできる。それにトレイルランニングは走るコースが決まっていて記録達成のために自然を楽しむ余裕はないけど、ハイキングだと自分で好きな場所へ好きな時間だけいくことができるわよね。そんなとこも好き。」

Photographed by Barefoot Jake(http://www.barefootjake.com/p/about.html)

——ロングディスタンスと短いハイキングの違いはどこにあると思いますか?

「これはベアフット・ジェイクの言葉だけれど、短いハイキングは極論を言えば二日酔いでも歩けるもので、特に綿密な準備は必要ないし、あくまで日常の一部に過ぎないわ。けれどロングディスタンス・ハイキングは長い時間をかけるからより自然との深い関わりを持つことができるし、もっとメディテーション的な感覚で自然に浸ることができるの。」

——ハイキング中のメディテーショナルな感覚がお好きなようですが、それはご自身の東洋系のルーツに影響されている部分はありますか?

「そう言われると影響があるかもしれないわね。でも、メディテーショナルな感覚というのは、自然の中にいれば東洋の人だけでなく誰もが得られる感覚だと思うの。」

■ハイキングそのものを楽しんで記録達成することができたわ

——トリプルクラウンと呼ばれるAT、PCT、CDTの三本の超ロングトレイルを達成したことによって、何か変化はありましたか?

「うーん、達成してまわりの対応が変わったとかってことはないけれど、少しは変わったといえるでしょうね。トリプルクラウンは私がハイキングを始めて以来、ずっと達成したかった目標だったの。だから25歳でトリプルクラウン最後のコンチネンタル・ディバイド・トレイルに挑戦して、残り800マイル(=1280km)の地点で目標達成が現実味をおびて来たとき、正直これでハイキング人生が終わってしまうのではと寂しい気持ちになったわ。トリプルクラウン達成のためにそれまで頑張ってきたので、達成してしまうと次になにをしていいかわからなかったというのが本音で(笑)。いま考えるとトリプルクラウン達成者という経歴を持っていることは自分のキャリアにとってプラスになっているし、その上で何か他のことにも挑戦しようと思えるから、達成をしたことには満足しているわ。」

PCTにて

——そうしてトリプルクラウンを達成して新たな目標としてATのスピード記録に挑戦されようと思ったわけですね。

「トリプルクラウンを達成した後に、次は記録に挑戦しようと思ったの。でも、記録だけではなく、私が考えるハイキング・プランや準備をきちんと形にした上で、そしてハイキングそのものを楽しむ事を前提に、記録達成することを目標にして歩いたわ。ATは私にとって初めてロングディスタンス・ハイキングに挑戦したトレイルだったんだけど、当時はうまくいかなかったの。だからそこからの経験を活かして、個人的にリベンジをしたい気持ちもあってチャレンジの舞台としてATを選んだの。」

 ——2008年の最初のATと2011年ではまったく違いましたか? 2011年は記録への挑戦がかかっていたから、プレッシャーも感じられた思うのですが。

「それまでに多くのトレイルを歩いていたし、その経験を通じてウルトラライト・ギアの使い方や効果的な食事や栄養管理も理解していたの。そういう意味では2011年はfocus & discipline(集中と規律)があったので自信があった。だからプレッシャーもなかったし、ハイキングそのものを楽しんで記録達成することができたわ。」

2011年ATスピードハイキング達成の瞬間

——歩くスピードはどのくらいだったのですか?

「ペースによっては早いときも遅いときもあるけれど、平均すると4.8km/hくらいかな。この時速は他のハイカーと比較しても同じくらいだと思うわ。でも私の場合は人より効率的に歩くことができるので、そこでタイムの差が出てくるのだと思う。」

——リズさんは身長も日本人女性の平均身長と変わらないですよね。特別な歩き方のトレーニングや工夫はされているのですか?

「日本で一般的かわからないけれど、ウォーキング・コーチから指導を受けているわ。具体的には坂道を登るときに余計な体力を失わないよう狭い歩幅で歩いたり、逆に下り坂ではペースが乱れないように呼吸法を変えてみたり、足への負担軽減のための効率的なポールの使い方などのアドバイスを受けているの。もちろん、コーチの指導以外でもウルトラライト・ギアを使って極力重量を減らす工夫はしているわ。」

■両親には今も心配されているわ

——ハイカーとして影響を受けた人物はいらっしゃいますか?

「昔はロールモデルになるような女性を探していたこともあったけれど、ハイキングを始めた当初は特にそのような人はいなかったの。でも、最近は尊敬する女性のロングディスタンス・ハイカー、例えばジェニファー・ファー・デイヴィス(補給等のサポートを受けながらのAT最速踏破記録を持つ女性ハイカー)やヘザー・アンダーソン(PCT最速踏破記録を持つ女性ハイカー)が出てきて、彼女たちから良い刺激を受けているわ。彼女たちは女性だけどひとりで恐れずにロングディスタンス・ハイキングができるタフさがある。そんな彼女達の存在は私にとっても良い励みになっているの。」

——ロングディスタンス・ハイキングを始めたとき、ご両親は心配しませんでしたか?

「とても心配されたし、今も心配しているわ(笑)。私が大学卒業後の2008年に初めてロングディスタンス・ハイキングに行くときはすごく心配をされたけれど、その後何度も行くようになってからは少しずつ理解をしてくれてるみたい。でも、さすがにアフリカに行くときは引き止められけど。私も伏線を張る意味で数年間からアフリカに行くことをそれとなく伝えていたんだけれどね(笑)。でも、結果的には納得をしてくれたわ。」

 ——今まで危険な目に会うことはなかったですか?

「運良くこれまではないわ。ただ、メキシコへ行ったときはちょっと驚いた経験があるの。いつものようにキャンプを張ったんだけど、その場所がドラッグを栽培する農園の近くだったみたいで、真夜中に銃声が聞こえて、テントの外に出たら男の人が立っていたんで、急いでテントを畳んで逃げたの! 彼は私をドラッグの取り締まりに来た人間だと勘違いしていたみたいだけれど、女性だったから大丈夫だったみたい。」

■もっと多くの女性がハイキングしてくれたら嬉しい

——リズさんは”Women Going the Distance”という記事をAmerican Hiker誌に寄稿されていて、近日TRAILSでも掲載させていただこうと思っているのですが、あの記事には何か特別な目的はあったのですか?

「若い女性のハイカーにとって、すこしでも良い刺激になればと思って書いたの。あの記事を通して、『こういう女性もいるんだ』と共感を持って、日本からももっと多くの女性がロングディスタンス・ハイキングに参加してくれたら嬉しいけど。」

——そうなったら素敵ですよね。女性と男性で、歩き方や他の点で違いはあると思いますか?

「あると思う。たとえば女性は体調や感情の変化が男性より多くあるので、歩くペースにムラがでる傾向があるといわれていたり。でも女性の方が男性よりロングディスタンス・ハイキングには向いているともいわれているの。女性は体脂肪率が男性より比較的高いので、ロングディスタンス・ハイキングのような過酷な状況でも体に蓄えがあるぶん体調を崩しにくいんですって。」

——ハイキング時のお肌のケア等はどうされていますか?

「アメリカ南西部の砂漠地帯に行くときはローションを持参したり、日常的に日焼け止めを使ったりはしているけれど、それ以外は特別なにもしていないわ(苦笑)。」

——ハイキング・ギアに関して女性ならでは装備はありますか?

「女性サイズのバックパックのショルダーハーネスや幅の狭いスリーピングバッグを使っているけれど、ウルトラライト・ギアには女性用のラインナップが少なくて、女性用の特別な装備があまりないの。個人的な希望を言えば、女性は男性より下半身が冷えやすいので、スリーピングバッグの足もとの綿を多くして欲しいわ。」

——ハイキング中にはどんな食べ物を好んで食べますか?

「普通にエナジー・バーやドライフードね。あと、私はクッキーが好きなのでよく食べるわ(笑)。」

——もしハイカーになっていなかったら、どんな人生を送っていたと思いますか?

「環境関連の仕事かな。女性が多く働いている仕事でもあるし。でも本が好きで読むことも書くことも好きだから、小説家を目指していたかも。」

Photographed by Barefoot Jake(http://www.barefootjake.com/p/about.html)

——去年の夏に来日されて、奥秩父、那須、八ヶ岳を歩かれたと聞きましたが、日本はいかがでしたか?

「トレイルで出会う方々はみんなとても親切で、ハイキング自体も体力的につらいということはなかったけれど、トレイルの設計上、水を確保しにくかったので、その点はちょっと困ったかな。あと、私はひとりでハイクしていたので、そのことに驚く人もいましたね。私はハイキングには困らないくらいの日本語は話せるので会話には問題なかったけれど、発音等の違いから『見た目が私たちと変わらないから日本人だと思ったわ。どこから来たの? 女性一人でなにをしているの?』とよくいわれたわ(笑)。」

——次に挑戦したいトレイルは?

「アメリカ国内ではまだ自然が多く残っているオレゴンやユタのトレイルを歩くつもり。実は今夜オレゴンに向けて出発するの。あとはパシフィック・クレスト・トレイルにはもう一度挑戦してみたいわね。国外で言うと、日本88の寺院をまわるハイク(四国のお遍路)は楽しそうだと思う。あと、北海道にも行ってみたい! アメリカでは北海道は日本の中で手つかずの自然が残された数少ない場所として有名だから興味があるの。他にはニュージーランドも自然が素晴らしいと聞くので行ってみたい。けれど大きな目標としては、とにかく人がまだ行ったことのない、特に女性が制覇したことのないトレイルを制覇してみたいと思っているわ。」

取材:TRAILS  文・写真:三田正明

(前編から続く)
トリプルクラウン・ハイカー舟田靖章氏へのインタビュー後編。今回はロングトレイルを歩き終えた舟田氏の「その後」に迫ります。

* * * * * * * *

前回のインタビュー後、舟田靖章さんがいくつかの農場を働きながら点々としているという話を聞いたとき、妙に納得したことを覚えている。トレイルから農場へと場所は変わっても、彼は今も「生活の実験」を続けているということなのだろう。なので、TRAIL TALKで舟田さんに登場してもらうならば、僕たちはどうしても彼の現在を知らなければならないと思った。トリプルクラウンの向こう側にいったいどんな風景が広がっているのか、それが知りたかった。

「いま舟田さんが生活している場所で話を聞きたい」とメールを送り、返信に記されていた現住所を見て少し驚いた。〈茨城県石岡市柿岡 organic farm 暮らしの実験室 やさと農場〉とある。〈暮らしの実験室〉なんて、まさに彼にうってつけの場所じゃないか…。

田園風景の広がる茨城県石岡市のそのまた外れ、かつては八郷村だったという里山に、現在舟田さんが暮らす〈やさと農場〉はあった。この農場は40年程前に現代の食料生産を取り巻く環境に危機感を持っていた都市住民と農業を志す青年たちによって設立され、オーナーや代表者はおらず、現在もそこで働く人と会員たちの合議によって運営されているのだという。運営費は会員からの会費で賄われ、作物は基本的に市場への流通はせず、月ごとに有機野菜や肉や卵を会員へ発送しているほか、農体験やファームステイなどワークショップも行っている。

丘の中腹にある農場内には居住棟や畑の他、豚舎や鶏舎もあり、さらには食品加工室や体験イベントで作られたというツリーハウスやかつてのスタッフによって作られたという竪穴式住居まであった。スタッフは研修生も含めて現在5人程で、基本的にはここで採れた作物によるほぼ自給自足の暮らしを送っているのだという。

カーナビの設定ミスのおかげで待ち合わせ時間に少し遅れて到着すると、舟田さんはチェーンソーで薪を切っている最中だった。例の人懐こい笑顔で僕たちを迎えてくれた彼は、心なしか以前よりもすこし逞しくなったように見えた。

■目の前に道があるうちは楽だった

――今回のインタビューではトレイルの話ではなく、トリプルクラウンを歩き終えた舟田さんの現在についてお話を伺っていきたいと思います。トリプルクラウンを達成した後、農業の道に進もうと思ったきっかけは何だったんでしょうか?

舟田:前のインタビューでも言ったかもしれないですけれど、トレイルを歩きながらずっと「生活の実験」ということを考えていて、やっぱり自分は食べ物のことがまったく未熟だと気づいたんですね。スニッカーズばっかり食べてて(笑)。これでは自分の力で生活しているとは言いきれないと思って。

――スルーハイク中はセルフエイドとはいえ、食料はお店で買うわけですからね。

舟田:そんなふうにして非日常の山での生活だけじゃなく、やっぱり日常からやらないとって思ったときに、野菜を売るための農業ではなく、「農的な生活」というか、そっちに目が向かったんです。その時に〈WWOOF〉というシステムを知って、それから農場をいろいろまわり始めました。

――WWOOFという仕組みを詳しく説明してくれますか?

舟田:お金のやり取りなしに、農場で働きたい人が農作業を手伝う代わりに農場から食べものや宿泊所を提供してもらう仕組みです。年会費を6000円くらい払うとWWOOFのウェブサイトでホストをしている農場のリストを見れるようになって、その中から自分で選んで連絡を取り合って、向こうからOKが出たらそこへ行くという感じです。それで僕も5~6軒はまわりました。基本的に関東の農家をまわって、ここの前は埼玉の〈皆農塾〉っていう場所に半年間はいたかな? そこももちろん楽しくて、羊を飼っていたんで手紬でセーターを作ったりして。いま着ている服も自分で飼った毛を自分で編んで作ったんですけど(笑)。その後ここ(やさと農場)に来たという感じですね。働き始めて二~三ヶ月たったときにちょうど人手が足りていなかったんで、そこからは正式にスタッフとして働いています。

――アメリカのトレイルを歩いているときからそういうことは考えていたんですか?

舟田:全然そんなことないです。終わったらどうするか何のビジョンもなかったですね。自分の前に道がある間は、基本的に何も考えなくてもいいんですよ。目の前のことだけ考えてたらいいんで、かえって楽なんです。でも、僕が最後に歩いたインターナショナル・アパラチアン・トレイル(アパラチアン・トレイル終点からカナダへと続くトレイル)って、まさに最後トレイルが海に着いて終わるんですよ。そこで「終わっちゃった~!」って感じで(笑)。7月に歩き終えて、その後1ヶ月くらいアメリカ各地を旅行してから帰国して、9月は南アルプスを全山縦走したり、日本の山を歩いていました。

――たぶん前にお話を聞かせていただいたのもその頃ですね。

舟田:あの頃が一番予定がなくてフラフラしてた時期でしたね(笑)。でも、別に農業をどうしてもやってみたいわけじゃなかったんです。ひとまず試しに行ってみたというか。行く当てもなかったんで。

――実際にそうしていろいろな農場や農家をまわってみてどうでしたか?

舟田:自分が何もできないということがよくわかりました(笑)。料理もできないし、野菜のことはもちろんわからないし、その他の生活技術ということでも、山で得た知識が役立つことも勿論あるんですけれど、むしろ未熟なことがよくわかりました。だからこそ、その辺のことをもっと知りたいなと思って。

■生きることは殺すこと

――やさと農場に来てからはどのくらいですか?

舟田:2年弱くらいです。それまでいろんな農場をまわってて思ったことなんですけど、野菜を売って生活するいわゆる「農業」だと、野菜の市場に振り回されるんですよ。季節ごと値段が上がる野菜があったりして。それに追われている人たちを見て、「これでは違うレースにまた巻き込まれるぞ」って思って。そんなときにここに来たら、なんか飛んでる、ちょっと面白い人たちがいて(笑)。もちろん生産もしているんですけれど、それだけじゃない自由さというか、遊びがあるというか。それで「いいな」って思って。

――いま1日のスケジュールはどんな感じですか?

舟田:今は冬なんでのんびりペースなんですけど、朝八時から豚の世話をして、餌をやって豚糞の掃除をして、その後畑仕事を草むしりとかやって、昼を12時半くらいに食べて、その後畑仕事をまた少しやって、4時くらいからまた豚の午後の世話を餌やったり水を変えたりして、それで終わりですかね。午後5時前には終わっちゃう。

――やることはおのずと季節によって決まってくるというか、自分で決めてやるという感じですか?

舟田:そうですね。今だったらビニールハウスが壊れたからハウスを立てなきゃだとか、そのときによって変わります。僕の場合は豚を出荷するという仕事があって、それが毎月第4週の土曜日にあるんです。その一週間前から僕は豚の屠殺場に行って、屠殺した豚肉をカットして梱包してっていう仕事をずっとやっています。

――今は主に豚舎を担当されているんですよね。そうやって自分で育てた豚を屠殺場に連れて行って、解体して出荷して、というのも、なんというか、それまでまったくなかった体験ですよね。

舟田:僕はまったく素人だったんで、まさか自分がこんな体験をするとは思いませんでしたけど。

――やっぱり初めは葛藤もあったと思うんですが。

舟田:やっぱり豚かわいいですからね。

――さっき豚舎も見せてもらいましたけれど、すごく手をかけて愛情注いで世話しているのを感じました。

舟田:「ここまでして肉を食べる必要はあるのか?」って思ったりもします。今でも答えは出てないですね。

――どうやって自分の気持ちを納得させてそういう作業をされているんですか?

舟田:でも、誰かがやらなきゃならない仕事ならやるしかないという感じですかね。「手を汚す」じゃないですけど、自分も肉を食べるからにはやるしかない。

――僕も「いのちの食べ方」(食べ物の大量生産の現場を追った2005年のドイツ映画。大規模農場や食肉工場の様子が淡々と描かれる)というドキュメンタリーを見たとき、始めはすごくショッキングだったんですけれど、だんだんああいった屠殺場で働いている人たちが、イエス・キリストみたいに思えてきたんですね。人類の原罪を背負ってくれている人たちのように感じて。

舟田:本当にそう思いますね。僕は土浦の屠殺場に行っているんですけれど、心臓を裂く職人さんは一日中ベルトコンベアで来た豚の心臓を裂いているんですよ。

――その光景をみるとやっぱり「げっ」って思うんですけれど、それを誰かがやってくれているから僕らも肉が食べられるわけで。肉を食べるなら本来は自分がそれをしなければ食べられないわけですからね。

舟田:逆に綺麗事は言えなくなりますよね。まあ、この葛藤は解決することはないと思いますけど。そう言ったら野菜だって命ですからね。(収穫の時に)悲鳴を上げないだけで。

――それを突き詰めていったら、野菜を育てるためにまわりの雑草を摘んだり害虫を殺すのだってどうなんだって話にもなりますよね。

舟田:だから、生きることは殺すことなんだろうなって思います。それは避けれないし、それ以上の答えは出ないんですよね。でも、それは知っておかないといけないことですよね。

■4000キロ歩いても悟りの境地へは行けない

――その前の3年間はずっと歩き続ける生活をしていて、この3年間は農業の現場に携わってきて、マインドの変化はありましたか? 

舟田:それはあるとは思いますね。僕の中で長距離(を歩くこと)は一段落している気持ちがあって、歩いているときに、ここからもうワンステップ先へ行きたいなら5千キロじゃだめで、10万キロ歩かないと次は見えないと思ったんです。でも「10万キロはひとまずないだろ」って思って(笑)。

――たとえばもう一度PCTを歩いてみたいという気持ちはありますか?

舟田:歩けたら歩きたいですけどね。純粋に歩くことを楽しめると思いますし。そうも思うんだけどなんか…

――今ではない?

舟田:いつかまた歩けたらなとは思いますけど、今やることではないかなっていう気がしています。

――舟田さんはトレイルを歩いているときから自分の生活をすべて自分の手でしたいという欲求を持たれていたと思うんですが、今こうした環境で自分が食べるものは自分で育ててという生活をされていて、生活を自分自身で作っている実感は以前より格段にあると思うんですが、それを実践されてみてどうですか?

舟田:歩いているときよりはいろいろ学んで、なんとかこなせるようにはなったとは思いますけど。だけど、アメリカ行く前も4000キロ歩いたらきっと悟りの境地に達しているだろうと思っていたんですね。でも実際に歩いてみたら毎日のことをやっていただけで、そんな感じじゃ全然なくて(笑)。だから今もそれと同じような感覚ではありますね。ここでこういう生活をやってきて、だからって別次元に行けたかって言ったら全然そんなことないですし。すべてを自分でやるっていうのも限界があるのも事実で、やっぱり人の社会で生きていくなら100%自分でやるっていうのも違うと思うんで。いまもたとえば畑で綿花を育てていて、その木綿を紡いで糸にしたり、いろいろやっているんですけど、その一方で「まだまだだな」ということもつくづく感じます。

やさと農場の食堂。農場では農体験や宿泊も行っているので興味ある人は是非訪れてほしい。

やさと農場の食堂。農場では農体験や宿泊も行っているので興味ある人は是非訪れてほしい。

――逆に自分のできないことや足りない部分を知るというか。

舟田:移動生活をしているとある意味責任がないというか、極端な話、土地を汚しても次の土地に移っちゃえばそれで済むわけで。でも留まると自分の出したゴミは自分で処理しなければならなかったり、いろいろ背負うものが生まれるというか。そんな中で自分がどこまでやって行けるのかって見てみたい気持ちもあります。歩いているとすごく軽くなるんですよ。責任もなくて、本当に自分が生きていることだけになってきて、気持ちの上でもウルトラライトになる(笑)。もちろんそれも快感なんです。縛られるもののなさとか。でも、それで自分の力だけで生きているって思っちゃうのもまた傲慢かなって、それは歩いているときから思っていました。

――普段この辺を歩いたりもしますか?

舟田:行けたら年一回くらいは行きたいなって感じですかね。こないだのお正月は奥秩父の山へ行って、ひとりで雪の中でキャンプしましたけど。もちろん今も山は山で、自由で楽しいですけどね。自分のことは全部自分でやるのとか。でも、やっぱり一カ所に留まることの方が難しいなって思います。この感覚が一般的かどうかはわからないですけど(笑)。ロングディスタンスを歩いていたときに得られた軽さって、それまで貯めたお金なりなんありがあったから飛べたわけで、長期的に見たら続かないんですよ。どこかに降りるしかない。でもスポンサーを見つけて歩くというのは、僕は考えられなくて。僕も(トリプルクラウンの)二本目のCDTの時からあるとこからスポンサードを受けて、靴や服を提供してもらっていたんですけど、ちょっとミスったなと思って。向こうも縛ってくるわけじゃないし、本当によくしてくれたんですけど、どこかでやっぱり純度が落ちるというか。「自分はそういうのはないな」と思って。

古い機械で糸を紡ぐ舟田氏

古い機械で糸を紡ぐ舟田氏

■苦労しなきゃならない人がいるならそっち側を見たい

――さっき言っていた「自分で木綿を紡いで~」というのは、どういう計画なんですか?

舟田:自分で機(はた)を織って、糸を紡ぐとこから服を作りたいなと思っているんです。「原始機」って言って、大きい機織り機じゃなくてもっと原始的なやり方があって、柱に縦糸を張って、もう一方の糸を腰にかけて織っていくやり方があるんですけど、それをやりたいなと思って調べたりしています。農場来てからもちょくちょく普段着を作っているんですけど、生地からやってみたいなと思って。

――とりあえずまず自分で全部やってみないと気が済まないんですね。

舟田:僕はもともと自己満足型というか、すべて自分でやりたいっていう気持ちが強いんです。メーカーよりいいものが作れるわけじゃないけれど、ひとまず自分でわかっておきたいというか、クリアにしておきたい。作った後は結局あるものを着ているんですけど。今着ているのもユニクロですし(笑)。でも、ひとまずは自分で作ってみて知りたいんですね。それがどういうふうにできているのか。そこにどういう苦労があってそれが出来上がっているのか。誰かがそれをやってくれているわけじゃないですか。その苦労を自分でも味わっておきたい。

――さっきからお話を伺っていると、何をするにせよ「あえて苦労したい」というような傾向が感じられるんですが(笑)。昔からそうだったんですか?

舟田:まあ前からですね。大学を卒業するときもあえて就活はしなくて、「搾取する側になるなら搾取される側がいい」と思って下町の製本工場に入ったんです。机の上の仕事じゃなくて、苦労しなきゃならない人たちがいるならそっち側を見たいというか。

舟田氏が糸から紡いで作ったセーター

舟田氏が糸から紡いで作ったセーター

――それはどこから影響を受けてそういう志向になったんでしょうか。ご両親がそうだったとか?

舟田:いや、親は普通のサラリーマンです。どこで植え付けられたのかはわかりません(笑)。

――とくに影響を受けた本があったとか?

舟田:それがどんな影響を与えているかは分らないけど衝撃的だった本はあって、もちろんソロー(ヘンリー・D・ソロー。19世紀アメリカの作家・思想家。人里離れた湖畔での自給自足の暮らしを綴った著書『ウォールデン・森の生活』はナチュラリストのバイブルとしてあまりに有名)もそうですし、あとは大学の哲学科で勉強した哲学書とかもそうだったのかな。僕はスピノザ(汎神論を唱えた15世紀オランダの哲学者。存命中は無神論者として批判を浴びたがその思想は後世の無神論や唯物論にも強い影響を与え、ドイツ観念論やフランス現代思想の礎になった。代表作『エチカ』)が好きだったんですけど。でも、説明はできないな。「大きな影響を受けたのはこれです」とは言えないですね。少しずついろんなものが影響しているんだとは思いますけど。ここに農体験に来る人たちを見て思うんですけれど、豚というだけで嫌悪する人もいるんですよ。単純に汚いとか、こういうのは底辺の仕事だとか。豚糞掃除するのとかもありえないだとか。でも、逆に何ら抵抗なくできる人たちもいて。そのへんの違いがどこで生まれてきてるのかなって考えたりはしますけれど。ただ自分のことを言えば、いまは頭じゃなく体で理解したいと思っているのかもしれない。僕は学生時代までは頭でっかちで、本ばっか読んでたんですね。処世術ってものを嫌悪していて、世渡り術とか自己啓発書も大嫌いで、図書館で働きたいと思っていたくらいなんですけれど(笑)。

――今はそうやって体を使って、少しづついろんなものを自分の手に取り戻している最中なんですね。

舟田:そうですね。もし自分が無人島とかでロビンソン・クルーソー的な状況に放り出されたとしたら、生き生きすんだろうなとは思うんですよ。でも、そういうことをやるよりも今はさっきの豚の話とか服作りの話みたいに、お金で買うことによってブラックボックスになっているものを、ひとつひとつクリアにしている段階というか。その中できっと社会やお金との折り合いもついていくんじゃないかと思っています。だから、今のテーマはむしろ社会とのバランスかな。最終的にはそこになる気がしています。

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ハイキングを長く続けていれば、当然現代社会への疑問は湧いてくる。山の中で必要最低限のものだけで過ごす自由と喜びを知れば自ずと普段の僕らがいかに不必要なものに囲まれて生活しているのかが見えてくるし、すべての環境破壊はそんな僕たちのライフスタイルが引き起こしていることだということもわかってくる。だから自分たちが愛する自然を汚すようなこととはなるべく関わらずに生きていきたいと思うけれど、この現代社会に生きている以上、なかなかそれも難しい。真っ当なハイカーならば、誰もが感じているジレンマだろう。

さて、ここでこの長いインタビューの冒頭に戻りたい。「日本を代表するハイカーは誰か?」という、あのナンセンスな問である。

ここまで読んでくれた人ならば、彼ほど真っ当に歩き、真っ当にジレンマと向き合い、真っ当にそれとどう折り合いをつけながら暮らしいくのかを模索している人はいないということがわかってくれたと思う。いま歩いているかどうかなんて関係ない。彼のような人こそがハイカーだ。

彼は今もトリプルクラウンから続く長い長い一本のトレイルを歩き続けながら、「生活の実験」を続けている。息を切らせるシェラネヴァダの高峰や延々と続くアパラチアの峠道のように、これからも困難はたくさん待ち受けているだろう。けれど、きっと乗り越えていけるはずだ。だってハイキングとはトレイルを歩く過程そのものを楽しむことだし、ハイカーとは「その瞬間瞬間に楽しみを見いだしている人たち」なのだから。

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取材・写真・文/三田正明 写真提供/舟田靖章

日本を代表するハイカーは誰だろう?
もちろんハイカーはアスリートではないし、ハイキングは誰かと競うものでもない。だから、そんなのまったくナンセンスな問いかけであることは重々承知だけれど、あえてこの問から話を始めさせてもらいたい。日本のロングトレイルカルチャーの伝道師であった故・加藤則芳氏や、日本のハイキングカルチャーの確立に尽力するハイカーズデポの土屋智哉氏、2013年に日本人二人目のトリプルクラウンを達成した斉藤正史氏など、様々な意見はあるだろう。だがTRAILSとしては、やはり「日本初のトリプルクラウン」舟田靖章氏の名前を挙げておきたい。本人は否定するし、嫌がるだろうけれど。

トリプルクラウンとは、それぞれ踏破に数ヶ月を擁するアメリカの三本の超長距離自然歩道(メキシコ国境からカナダ国境まで南北に縦断するパシフィック・クレスト・トレイル(PCT)コンチネンタル・ディバイド・トレイル(CDT)東部のアパラチアン山脈に沿って伸びるアパラチアン・トレイル(AT))と、それらをすべて踏破したハイカーに贈られる称号で、舟田氏は2009年にPCTを、2010年にCDTを、そして2011年にはATを踏破して、前述のとおり日本人で始めてトリプルクラウンを達成したハイカーとなった。

ともあれ、僕らは彼が「日本初のトリプルクラウン」だから日本を代表するハイカーだと考えているわけではない。実際に会ってみればわかるけれど、彼は実直で純粋な普通の青年であり、偉業を成し遂げた冒険家でもなければ、超人的な体力を持ったスーパーアスリートでもない。ましてやこれから始まるインタビューの後編を読んでもらえればわかるけれど、現在の彼は歩くことをほとんどやめている。けれど、あえてこのナンセンスな問いの答えに僕たちは舟田靖章の名を挙げておきたいのだ。そしてこの長い長いインタビューは、その理由を解き明かしていくものでもある。

このトリプルクラウン•ハイカーの全貌に触れるべく、今回は特別に2本のインタビューを用意した。1本目は彼がトリプルクラウンを達成したAT(及び国境を超えてカナダへと続くインターナショナル・アパラチアン・トレイル)のスルーハイクを達成して帰国した直後の2011年の10月に筆者(三田)が行いながら、諸般の事情によりお蔵入りになっていたもの。もう3年前の証言だけど彼のハイカーとしての歩みがここまで詳細に語られた機会はないし、手前味噌ながらアメリカのロングトレイルやスルーハイクの実情を知るには最適な記事だと今でも思う。

そしてもう1本は、2014年2月に現在の彼が生活の拠点とする茨城県にある農場へ訪れて収録したもの。ロングトレイルやそこを歩くことについては様々な人が様々なことを語っているけれど、「ロングトレイルを歩いたその後」についてのインタビューはこれまでなかったはずなので、こちらも興味深い内容になっていると思う。

それではこの希代のハイカーの話に耳を傾けてみよう。ハイキングとは何か、ハイカーとはどんな存在か、そんなことをより深く考えるヒントになれば幸いである。

メリノウールのシャツにナイキのランニングパンツ。自作のバックパックにトレイルランニング・シューズ。ハイカーのスタイルで東京近郊の私鉄沿線の駅前に現れた青年は、数日前まで南アルプスを一週間縦走していたようには思えないほどピカピカとしていた。それどころか、サラサラの髪の毛とツルツルの肌をした彼は、とても今年(2011年時)29歳になるようにも見えない。失礼ながら、駅前で所在なげに佇む姿はどう見ても部活帰りの高校生だ。だが何を隠そう、彼こそは日本で始めてトリプルクラウンを達成したスーパーハイカーなのだ。

それにしても、目の前に現れた舟田靖章さんの颯颯としたたた佇まいと威圧感の無さ、若々しさは驚愕的でさえある。いったい、彼はこの数年で何千マイルを歩いてきたというのか? そんな経験をすれば肌も日焼けでガサガサになり、筋骨隆々として目がギラギラと光っているような、只者でないオーラを発散するものではないのか? なのに、目の前にいるのは痩せっぼちの、まだ幼ささえ感じるような青年なのだ。

 その個性が彼本来の持つものなのか、この三年間トレイルを歩き続けたことによる効果なのか出会ったばかりの僕にはわからなかったけれど、その感想を本人に伝えると「ああ、よく言われます。なんだか歩けば歩くほど軽くなる感じなんですよね」と言って、スルーハイク中も多くのハイカーたちを油断させたであろう、その人懐っこい笑顔を見せてくれた。

 ■運命を変えた事故

――まずはスルーハイキングに旅立つ以前の、舟田さんとアウトドアやハイキング・カルチャーとの出会いからお話をお聞きしたいのですが。

舟田:僕の場合は、最初は自転車キャンピング旅行ですね。大学生の頃から自転車で北海道をまわったりしていました。

――自転車旅行をする以前から、冒険や放浪のようなものへの憧れはあったんですか?

舟田:漠然とした「どこか遠くに行きたい」という感覚はずっとあったんだと思います。それで大学の後半頃から、なんとなく自転車キャンピング旅行というのが自分の旅のスタイルとして出てきたというか。でも、それをやって気づいたことが、自転車だと道路のあるところにしか行けないということで(笑)。自転車の良さももちろんあるし、今でも自転車は大好きですけれど、それだと自分の行ける場所が限定されちゃう場合がある。「もっと自由に旅をしたいな」と思ったときに、山歩きが視野に入ってきたんですね。

――「もっと自由に旅をしたい」というのは、「舗装された道のその先に行ってみたい」ということなんでしょうか?

舟田:そうですね。もっと自由な旅のあり方が、そっちに見えたというか。だから、もともと僕はいわゆる「ヤマヤ(山男を指す日本登山界の伝統的なスラング)」みたいなものとは求めているものが違くて、『遊歩大全』(1968年にアメリカで出版された伝説的バックパッキング入門書)みたいなバックパッキング・カルチャーの本の方が感覚が合ったんですね。「あの山の上に行きたい」じゃなくて、「あの山の向こうに行きたい」っていう感覚で最初から歩いていて。だから、僕はまだまだ経験も浅くて登山歴何十年とかじゃ全然ないんですよ。

――それは意外ですね。

舟田:そんなふうに大学卒業してすぐの頃から歩き始めたんですけど、やっぱり最初は僕も大きいバックパックがかっこいいと思っていて、80リッター位のを背負っていましたね。大きければ大きいほどいいと思っていたんで(笑)

――そこから徐々にスルーハイキングの世界に傾倒していったきっかけは何かあったんですか?

舟田:最初にPCTのことを知ったのは、2003年に日本人で日色健人さんという方や石部政和さん明子さん夫妻という方々がPCTを歩いているんですけど、その人たちのホームページですね。それと同時にJMT(シェラネバダを縦断するジョン・ミューア・トレイル。PCTのトレイルの一部でもある)の情報も加藤則芳さん(2012年に逝去された日本のロングトレイル文化に多大な貢献をしたバックパッカー/作家)経由で入ってきて、アメリカにはそういう超長距離のトレイルがあるということがわかってきた。でも、その時の僕は単純に「ああ、すごい人がいるんだなあ」という感じで、彼らが超人にしか見えなかったですけれど(笑)。

――それが実際に『行こう!』と決意する過程には何があったんでしょうか?

舟田:僕は大学を卒業して製本屋に……と言っても大きな印刷所とかでなく、普通の町工場の製本屋さんに勤めていたんですけど、そこで機械のオペレーターをやっていて、入社一年くらいしたときに、指を四本落とす(切断する)という事故をやってしまって。

――え!? (左手を見て)あ、本当だ…。全然気がつきませんでしたけど…。

舟田:左手の掌ごと中指・薬指・小指の三本と、あと右手の親指も落としたんですね。結果的には手術で親指と小指は着いて、もう生活にはほとんど困らないんですけど。そういう経験もあって、「いつかは行きたいと思っていても、いつまでもチャンスがあるとは限らないんだぞ」と思うようになったというか。

――へえ、興味深いですね。変な話、それで運命が変わったのかもしれない。

舟田:たしかに、これが背中を押してくれたひとつの要因でもありますね。だから、事故のことはぜんぜん悪いようには考えていないです。その頃レイ・ジャーディンの“Beyond Backpacking”(ULハイカーのバイブルとも言えるULハイキング入門書で、レイ・ジャーディンはULのゴッドファーザー的存在)なんかを読んで、ウルトラライト・スタイルの歩き方を自分でもやってみて、荷物が軽ければ一日20マイル歩くということが可能なんだということがわかってきて、そこで初めて「行けるかも」と思い始めたんです。だから、もしもウルトラライト・ハイキングと出会わずにあのまま荷物が重いままだったら、行ってなかったかもしれないですね。20キロの荷物を背負って一日20マイルを五ヶ月も歩くなんて超人としか思えなかったですから(笑)。

 ■はじめてのスルーハイキング

――そうやって徐々に準備をされて…

舟田:そうですね。でも会社を「やめる」って言ったことが、僕にとってはいちばん大きな一歩だったかもしれない。そのあとビザを取ったりだとか、情報集めとかは決めちゃったらもうやるだけで。簡単に後戻りしないために自分のホームページ(舟田氏自身のトレイルログの他、ロングトレイルにまつわる様々な情報も網羅された『逍遥遊』という名のホームページ。アメリカのトレイルを目指すハイカーならば必読な内容です)も立ち上げて。あれは、最初は自分を鼓舞するために作ったんです(笑)。だから仕事の最後の半年は、なんだかんだと転がるように過ぎていきました。僕の場合は海外へ行くのも初めてだったんで。

――それも意外ですね。でも見るものすべてが新鮮で面白かったでしょう?

舟田:カルチャー・ショックはたくさん受けました。高校卒業までの英語力しかありませんでしたけど、なんとかなると信じてて。で、行ってみたら、やっぱりみんなが助けてくれて(笑)。スルーハイカー同士はひとつの共通言語を持っているようなものなので、一日のうちになにをやりたいのか、街に降りたら何が必要なのか、お互いわかっている仲ですから。だから、最初から英語の苦労はさほど感じなかったですね。いろんな人から優しくされて、ロクに英語も喋れないのにみんな食事に誘ってくれたりして、微妙に日本語喋れる人がまた他の人に紹介してくれたりもして、もう、いたれりつくせりというか(笑)。だから、歩くのはもちろん自分なんですけど、「自分ひとりの力で歩く」なんてことは、歩いた後では言えなくなりましたね。

――2010年にPCTをスルーハイクされた三鷹のハイカーズデポの長谷川晋さんも「PCTは自然はもちろんだけど、出会った人のインパクトがより大きかった」とおっしゃってました。

舟田:それはわかります。僕も最初は自分一人で全部できる準備をしていったつもりで、人に頼らないでやっていこうと考えていたんですけど、でも、行ってみるともっと適当になったというか、肩の力が抜けちゃったというか(笑)。

――ホームページでも、『歩き始めて一ヶ月くらいでやっとPCTの歩き方がわかってきた』と書かれていましたね。

舟田:歩き方のリズムとか、ハイキングのモチベーションとか、スルーハイカー同士の関係やあり方とか、そういうのが一ヶ月くらいするとわかってくるんですね。ハイカー同士、抜かしたり抜かされたりするなかで、時には一緒にキャンプしてご飯食べたり、あるいはいっしょにヒッチハイクして街に泊まることもあったりして。そういうなかで、どこまでハイカー同士が協力しあうのか、どこまで独立しているのか、そういうことも歩き始めてひと月くらいで見えてくるんです。スルーハイカーって、基本的には自分一人でも歩ける人たちなんですよ。だから固定されたパーティは作らなくて、たまたま会ったから一緒に歩くし、休憩するなら「じゃあ俺は先に行くよ」って別れたりして、そういうかんじで一緒に歩いたり離れたりしているんですね。「頼るところは頼ってもいいし、でも無理して一緒にいることもない」っていう、ハイカー同士の関係がわかってきて。

――そこには自分ひとりだけで歩いているんじゃなく、「大きな人の流れの中に身を置いている快感」みたいなものがあるんでしょうか? 僕は昔パーティ・トラベラーをしてて、レイブ・パーティを求めて世界中を旅したんですけど、いくつかパーティを追いかけていると同じ奴にまた会ったり、そこで出会った奴と次のパーティに行ったり、「こうして旅しているのは自分だけじゃない」と思えることがすごく魅力だったんです。たとえばグレイトフル・デッド(ヒッピーカルチャーの代表的存在のアメリカン・ジャムバンド。1995年にリーダーのジェリー・ガルシアが死去したことにより活動停止)のツアーを追いかけて旅するデッドヘッズの世界なんかでも同じだと思うんですけど。

舟田:それはすごくわかります。だから、そこはロングディスタンス・トレイルじゃなきゃいけない部分というか、ロングディスタンスだからこそ生まれる関係ですよね。別れてもどこかでまた会うし、ひとりぼっちで歩いていても前後には誰かがいて、「あの人もこの道を歩いたんだろうな」と思ったりして。ロングディスタンスを歩く上でのモチベーションとしても、「あいつらも歩いているんだ」というのはすごく大きいと思います。

 ■ロングトレイルは「生活の実験」である

舟田:それで、スルーハイクっていうと「ウィルダネスにどっぷり浸かる」ってイメージがあると思うんですけれど、歩いているハイカーの現実は、実は常に文明に支えられているんですね。僕も最初のPCTのときは5日歩いたら1日休むかんじで、(スルーハイクにかかった)4ヶ月半のうち「ゼロ・デイ」っていう歩かない日が25日もあった。スルーハイカーといっても、実はそれだけ街で過ごしているんですよ。でも、そうやってたとえば5日間ごとに街で補給しながら歩くとすると、いつのまにかただ単に次の街に着くことが目的になっているハイカーって、すごく多くて。それで街へ降りたらもう食べて食べて飲んで……初めての人は、大抵そうなるんですけど(笑)。

――たしかにそうなるでしょうね(笑)。

舟田:街に降りたら寝る場所の心配はないし、ベッドは快適だし、食べ物はいつでも手に入る。まあ、それはそれで「文明の価値を見直す」というか、ひとつの真実ではあると思うんですけど。でも、たとえばレイ・ジャーディンは「それも違うんじゃない?」って言って、その先に行っているんですよ。

――その先?

舟田:最初は僕も、彼はエクストリームに体を酷使して、めちゃめちゃストイックに歩いていると思っていたんですけど、歩いているうちに、僕にもだんだん彼の歩き方が見えてきた。実際にレイ・ジャーディンがPCTを歩いた日程を見ると、よくわかるんですよ。彼は街で全然時間を過ごしていないんですけれど、それは単にスピードや記録を求めてそうしているんじゃなくて、いったん常識を排除してもっとトレイルに浸かって、そこで本当に必要なもののエッセンスだけを取り出して、「生活そのものをトレイルの上で組み立てる」というか…。彼のスタイルがただ単に装備を軽くしたというわけでなく、そういうことをやった結果だってのはすごく感じましたね。

――それはまさにロングディスタンス•トレイルを実際に歩いた人でないとわからない感想ですね。

舟田:なんていうか「トレイルを軸にした生活」。それも一時的ではなく、「トレイル上での持続可能な生活」というか。僕も、たとえば一週間のハイキングならなんでもいいやって思うんですけど、ロングディスタンスの場合は、もっとトレイルの上で何ヶ月も続けられるような生活のサイクルを作らないといけないんですね。そこに毎日なにか特別なエキサイティングなことがあるわけじゃないけれど、その暮らしそのものが楽しみになるような。そういうサイクルが、トレイルでの生活をシンプルにしていくほどに見えてくるんですよ。それこそソロー(19世紀アメリカの作家・思想家。人里離れた湖畔にひとり自給自足で暮らした日々を綴った『ウォールデン;森の生活』はナチュラリストのバイブルとしてあまりにも有名)じゃないんですけど、「生活そのものを生きる」というか。

――確かにソローも苦行として「森の生活」をしたわけじゃなく、きっとあの暮らしそのものを楽しんでいたはずですよね。

舟田:ハイカーズ・デポの土屋智哉さんも今年(2011年)長いトレイル(アメリカ・コロラド州にある471マイルに及ぶコロラド・トレイル)を歩いたんですけど、「トレイルが単調だった」って言うんですよ。でも、逆に「だからこそスルーハイキングがわかった」と。毎日特別ドラマチックな何かが起こるわけじゃないんですけど、シンプルな生活のサイクルがあって、逆にそこに楽しみを見いだすというか。だからスルーハイクを数回繰り返している人は、たいてい街で過ごす期間が短くなってくるんですけれど。

――ずっと歩いていると歩く時間も長くなってくるんですか?

舟田:一日十時間以上は歩くようになりますね。それで持続的に歩き続けるためには、ワンセクションごとに完全燃焼して街に飛び込むんじゃなくて、毎日十時間以上歩くけど、次の日に疲れを残さないような生活のリズムもだんだんできてきたりして。トレイルの上での洗練された生活が見えてくる。最初PCTに行ったときは、僕にとっては大冒険だったんですよ。「自分の力で歩ききってやるぞ!」っていう気持ちがあったんですけれど、それが歩き始めて、言い方は悪いですけど、ちょっと拍子抜けしたというか(笑)。一ヶ月くらいたつと肩の力が抜けて、スルーハイキングがそういうものじゃないんだっていうのがわかってきた。日本を発つ前に僕が求めていたものとは違うものだったんですが、もっといいものを見つけたというか。「あ、これは居心地がいいな」と思ったんですね。スルーハイキングはタフでハードなものというイメージは僕からしたら全然違くて、もっと気楽に、”Take it easy~♪”みたいなかんじで口笛吹きながらどこまでも歩いていけるような、そんなイメージなんですけど(笑)。

――ロングトレイルは冒険ではないと(笑)

舟田:僕の人生にとってはたしかに一種の冒険だったんでしょうけど。でも「冒険」というよりは「旅」と言った方がいいですし、もっと言えば「実験」ですかね。「生活の実験」。人跡未踏のピークを登るようなチャレンジとは根本的に違いますよね。

 ■ハイカートラッシュ!

――そういった、いま現在ロングディスタンス・トレイルに集っている人たちを何と呼ぶかといったら、やはりアメリカでも「バックパッカー」というより「ハイカー」という感じなんでしょうか?

舟田:「バックパッカー」てのとは、ちょっと違う感じですね。「ハイカー」はもっと肩の力が抜けてるというか。正直、いまの僕には「バックパッキング」というとマッチョイズムというかナルチシズムというか、ちょっと肩肘張っているイメージがあるんですね。それに対して「ハイキング」っていうのは気楽に、純粋に、歩くことそのものを楽しんでいるというか。バックパッキングは重い荷物を背負うことにある種の意味を見いだす部分があると思うんですけど、僕からすれば、ハイキングの方がもっと純度の高いやり方な気がしますね。何も「ウルトラライトなスタイルじゃなくちゃダメ」というわけじゃないんですけれど。本物のスルーハイカーって、実は道具にこだわりがないですし。

――確かに長く旅を続けていたらそうなるかもしれませんね。

舟田:道具が目の前にちらついちゃうのって、目標が見えてないからだと思うんですよ。目標がちゃんと見えてて、道具が必要最低限の機能さえ果たしていれば、道具って視界に入ってこなくなると思うんですね。でもベテランのスルーハイカーたちはこだわりがないから、たとえば写真を撮っても絵にならない(笑)。ほんとにゴミ袋を駆使してたりとか(笑)。アメリカだと口のところに紐のついたゴミ袋があって、その底を抜いてスカートみたいにして履くと、膝上から腰まで濡れないですむんですね。換気もそこそこで蒸れないんで、スルーハイカーの間では定番テクなんですけど。「これ絵にならねーな」って、僕も写真撮りながら思います。「きれいな山をバックにしてゴミ袋かよ」みたいな(笑)。

――(笑)。

舟田:だから、ハイカーのなかでは自分たちのことを「ハイカートラッシュ」って、誇りを込めていう言い方があるんですよ。それこそ、体に入墨ででっかくHIKER TRASHって入れている人もいますし、体中(入墨で)自分で歩いたトレイルの地図やエンブレムだらけなんて人もいるんですけど(笑)。ハイカートラッシュの TRASHって「ゴミ」とか「乞食」っていう意味で使う言葉で、ほんとに汚いし臭うかもしれないんですけれど、僕らからしてみたらそれが一番かっこいいんですよ(笑)。だから装備も最高の性能のものを揃えるというよりも「ひとまずこれで済んでるからこれでいい」という感覚なんです。歩き続けて街に降りて、そこにたまたまあったものを着ているという感じで。

――たしかにロングトレイルを実際に歩いていたらそうならざるをえないでしょうね。

舟田:結局、やりたいことのためにはそれで済んじゃうんですよね。そういう人たちがハイカートラッシュなんです。

――そういう話は向こうのメディアでは紹介されているんですか?

舟田:まず出ないですよね。

――たしかにBackpacker MagazineやOutside(アメリカでの山と渓谷やBE-PALのようなアウトドア雑誌)がハードコアなハイカーの世界をフューチャーできるのかと言われたら、日本と同じくできるわけがないですよね。向こうのアウトドア雑誌だってアウトドア業界からの広告収入で成り立っているわけで、「特集ハイカートラッシュ」じゃ、広告入るわけがない(笑)。そうした現在のアメリカのハイキング・カルチャーというものは、やっぱりロングディスタンス•トレイルをスルーハイクする人たちの間で生まれてきたものなんでしょうか?

舟田:僕はやっぱりロングディスタンスが本場だと思います。もちろん数日単位のハイキングも楽しさはあると思うんですけれど、やっぱりロングディスタンスじゃなきゃ駄目な部分てのもあるですね。だからこそロングディスタンスを歩く人がいるわけですし。

――PCTを歩いているハイカーはどんな人が多かったですか?

舟田:大学卒業して仕事に着く間のタイミングで来ている人が多いですね。それか仕事について三~四年やってからやめて来たとか。あと世代的には50代以上のすでにリタイアした人も多いです。向こうではスルーハイクは、たぶん3000ドルくらいあればできるんですね。なかには、500ドルくらいで全部歩く人もいますけど(笑)。「ダンプスター・ダイビング」って言葉知ってますか? ダンプスターってアメリカの会社や企業が使っている巨大なゴミ箱なんですけど、そこに飛び込むっていう意味で、それで食料を調達したりして(笑)。あと「ハイカーボックス」っていうスルーハイカーが不要になった食料や道具を置いていく箱が、たとえばトレイル上の郵便局の前だとかハイカーの集まる場所に置いてあって、それでやりくりする人も多いですね。僕が会った中でも、四ヶ月間でシャワーを一回しか浴びていないという人いましたし。それでもやっていける、なんとかできるんだっていうのが僕からしてみれば衝撃で。僕も今年のATは、シャワー浴びるのは月イチって決めてたんですよ。宿に泊まるのも月イチで(笑)。だから、いろんな可能性が本当はあるんですよね。そういう人たちの中で、すごく面白いことをやっている人たちもいます。

――「面白い」っていうのは、「自分のハイキング・スタイルを確立している」ということですか?

舟田:スタイルもありますし、お金じゃない部分……「生活って、こんなやり方でもなんとかやっていけるんだな」というか。普段の生活からダンプスター・ダイビングやっている人たちもいますし。夫婦で家持っていて、パッと見すごくいい生活しているのにダンプスター・ダイビングで生きている人なんかもいますし(笑)。だから、生活のいろんな可能性が見えてくるというか。

――僕も以前ポートランド(現在全米で最も急進的でリベラルな街だと言われるオレゴン州の州都)を訪れた時、お洒落な家に住んでいるのに食料はほとんどスーパーの廃棄品で暮らしているアーティストのカップルに会いました(笑)。ロング・トレイルを歩く人は、だんだん価値観も”TRASH”になって行くんでしょうかね。

舟田:そういう部分はありますね。お金のことにしても、だんだんお金を持っている持っていないってのが見えなくなってくるというか。街にいるといろいろあるわけじゃないですか。身につけている物が違うとか、レストランに行っても注文するものが違うとか。

――社会のなかのクラス(=階級)というのは、どこに行ってもありますよね。

舟田:トレイルではそういうのがすごく薄くなるとは思います。それでみんなハイカートラッシュの一語でくくれるような人たちになっていく(笑)。

――ハイカーのあるべき姿を追求していくと、ハイカートラッシュになっていく(笑)

舟田:もちろん、そうじゃない人たちもいますけど。たとえば、加藤則芳さんなんかは、求めているものが違うんだと思うんですね。加藤さんはたぶん「ハイカー」じゃなくて「バックパッカー」というか……僕はそう思っていますけど。長い距離歩いた後でも、そういう感覚の人ももちろんいます。でもロングディスタンスを何度か歩いた人は、限りなくハイカートラッシュに近づいていく(笑)。トリプルクラウンなんてアメリカにはいっぱいいますし、Wトリプルクラウンって言って、全部二回歩いている人もいっぱいいいるんですけど、そういう人たちのスタイルは大抵みんなハイカートラッシュですね(笑)。

――アメリカでそういう文化が生まれてきたのはいつごろなんですかね?

舟田:やっぱり2000年入ってからだと思いますけど。レイ・ジャーディンの最初の本(“Beyond Backpacking”の底本となった“PCT Thru-Hiker Handbook”)が出たのが96年とかだったんじゃないですか。

――やっぱりアメリカにおいても“Beyond Backpacking”はひとつのエポックだったわけですよね。

舟田:だったと思いますけど。でもあれが出た当時は、あのやり方でできるとは誰も信じなかったみたいですけどね(笑)。2003年に行った日本人の方々のホームページを見ると、その人たちのスタイルはまだスタンダードなやり方に近いんですけど、まわりの人たちはウルトラライトが多いというのはわかります。だから昔とは、スルーハイキングも根本的に違いがあるみたいですね。レイ・ジャーディンも最初は重たいスタイルで行ってたみたいですし。だから2000年代の後半くらいからじゃないですかね、すごく盛り上がってきたのは。

――とはいえ、まだまだハイカートラッシュみたいな世界はなかなか紹介されないわけで……

舟田:ハイカートラッシュは、大きくはならないんだと思いますけどね。大きくなったらお金とかが絡んできて、ハイカートラッシュじゃなくなっちゃうし。

取材:TRAILS   構成/文:三田正明 写真:MC2T撮影班

■マウンテン・サーカスって何だ?

紅葉も真っ盛りな2013年11月の土曜日、TRAILS取材班は一路神奈川県の丹沢山系へと向かっていた。とは言え、これから山に登るのではない。「マウンテンランニング・レース」の取材に行くのだ。ここで読者の頭に当然浮かぶであろうでかいクエスチョンマーク。「マウンテンランニング・レースって何なのさ!?」…当然我々にもわかるわけがない。だからこそ今からそれを確かめにいくのだ!

そのレースは名前を『マウンテン・サーカス』といい(何とも謎めいたク―ルな名前だ)、第1回目はTRAILSでもお馴染みのスカイハイ・マウンテンワークスの北野拓也氏と彼のランニングチームMt.Rokko Hard Core(MRHC)がホストとなり2013年6月にスカイハイの地元六甲山で行われた。今回はその第2回目なのだという。

クルーに配られたMC2Tロゴ入りのスタッフキャップ

このレースはサーカスよろしく各地を転戦しながら開催することをコンセプトとするため、今回はホスト役を関東のランニングチーム「RUN OR DIE!!(ROD!)」と「TRAIL TOBA」が務め、運営はすべて彼ら自身の手で行われている。つまり、ランナーのランナーによるランナーのための草レースだ。

取材前のリサーチのため「マウンテン・サーカス」と検索してみても、第1回目の情報は出てきても肝心の第2回の情報が出てこない。ネット全盛のこのご時世に!?   この界隈の「情報通」TRAILSの佐井聡に「何人くらい集まるの?」と尋ねると、「だいたいスタッフ60人でランナー50人って聞いてますけど」との答え。100人以上も集まるイベントで今どきブログやフェイスブックやツィッターが一件も引っかからないとは、ますます謎が謎を呼んだ(後でわかったことだが、まったくのステルスで行われるレースのため、事前に外部に情報を流すことは一切しなかったとのこと。現在では第2回マウンテンサーカスの大会報告用ウェブサイトも閲覧出来る)。

TRAIL TOBAとROD!!チームフラッグ

コース・ブリーフィングの様子

昼過ぎに選手/クルーの宿泊所件前夜祭会場となるキャンプ場に着くと、今大会の実質的責任者のROD!ランブラーさん(トレイルランニング/ULハイキング系の有名ブログ『夜明けのランブラー』を執筆しているため仲間うちからこう呼ばれている)が出迎えてくれ、TRAILSチームにも撮影班の役割が割り振られた。そう、この大会はまったくのDIY。参加するからには何らかの役割を果たさなければならないNo Spectatorなレースなのだ。

さて、「マウンテンランニング・レース」とは何なのか? 通常のトレイルランニング・レースではランナーの安全のためコース上に大量のマーキングが置かれ、また極力危険のないコースが選ばれる。だが、そのためランナーが「お客さま」状態になってしまうこともあり、それに違和感を感じるランナーがいることもまた事実だという。

「ならば参加者自らリスクを負えるクローズドな環境ならば、ルートファインディングや徒渉や岩場でのクライミングなど、トータルな山のスキルが必要とされるレースができるのではないか?」とスカイハイ・マウンテンワークス北野拓也氏が発想し、それをマウンテンランニング・レースと名付けた。

すると賛同するランナーやランニングチーム、全国各地のランニングショップが次々と集まり、さらにはそれら各地のチームが持ち回りでサーカスのように転戦しながらレースを開催することによって自分たちのホームグラウンドを紹介し、ランナー同士の横の繋がりも深めようという構想も瞬く間に決まっていったのだという。

午後になると続々と全国各地からランニングチームが集結を始めた。静岡や三重、新潟や岡山や京都、遠く愛媛から参戦するチームもあり、北野氏率いるMRHCも兵庫県芦屋川から到着した。第1回マウンテン・サーカスに参加したチームも多いため再会を喜ぶ和やかな雰囲気の中でコース・ブリーフィングが始まり、コース班、医療班、エイド班、車両班などからの報告が行われた。

宴もたけなわ…。

皆さすが社会人だけあって草レースとは思えないほどキッチリとした報告ぶりであったが、ROD!もTRAIL TOBAもレースを主催するのは初めての経験であり、今回はコースに危険箇所も含むため、ブリーフィングにも緊張感が漂っていた。最後に第1回大会のブリーフィング以来お約束になったという「生きて帰ってきて下さい!」というメッセージが画面に映し出されて一同爆笑、キャンプ場に場所を移してお待ちかねの前夜祭に突入した。

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宴は結局0時過ぎまで続いた…。

前夜祭班による食事が振る舞われ、総勢100名以上からなる盛大な宴が始まった。クルーや選手にはショップやガレージメーカーのオーナーなどこのシーンのキーパーソンが幾人もいたため、彼らのおかげで豪華賞品が揃ったじゃんけん争奪大会も大いに盛り上がった。焚火には次々と薪がくべられ、ホットワインは空になり、ランナー同士の会話は深夜まで途切れることがなかった。

あらためて一般には告知していないにも関わらず、ここにこうしてこれだけの人々が集っていることに驚きを禁じ得なかった。マスメディアや大メーカーの与り知らぬ場所で、こんなに面白いことが起こっているのだ。ここで何が起きているのか、僕たちはもっと深く知るべきだと思った。それには直接話を聞くのが一番だ。 そんなわけで、TRAILSでは前夜祭会場で第1回と第2回のマウンテン・サーカスの中心的な役割を担った方々を集め、緊急座談会を敢行することにした。

【マウンテン・サーカス緊急座談会に続く】

ライターA群

WRITER