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文・写真:松並三男 構成:TRAILS

What’s TRAILS環境LAB? | TRAILSなりの環境保護、気候危機へのアクションをさまざまなカタチで発信していく記事シリーズ。“ 大自然という最高の遊び場の守り方 ” をテーマに、「STUDY (知る)」×「TRY (試す)」という2つの軸で、環境保護について自分たちができることを模索していく。

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『TRAILS環境LAB』の記事シリーズにおいてスタートした、松並三男 (まつなみ みつお) くんの連載レポートの第12回目。

松並くんは一昨年パタゴニアを退職し、山形県鮭川村に家族で移住した。そして鮭川村の鮭漁の現場で、「鮭」をテーマに環境問題に取り組んでいる。この連載を通じて、僕たちも環境保護の「STUDY」を深めていく。

松並くんはちょうど先日、いつもお世話になっている国立研究開発法人「水産研究・教育機構」の鮭の専門家、飯田真也さんに会いに行ってきました。そこで飯田さんから、鮭にまつわる最新データをヒアリングしたそうです。

1つは、鮭の遡上量の数字。歴史的不漁と言われた一昨年と比べ、2020年度の鮭の遡上量はどうだったのか。

もう1つは、発眼卵放流 (はつがんらんほうりゅう) の最新情報に関する数字。「生残率」や「回帰率」、またこの方法の作業効率などから、松並君がチャレンジしている放流方法を科学してきたようです。

今回は、そんな川鮭にまつわる数字から、レポートしてもらいます。


川を遡上してきた鮭。


会津桐を用いたルアーづくりに、どハマり中。


こんにちは! 松並です。今回は、鮭の話の前に、遊びを通じてできるフィールドを守るアクションをひとつ紹介します。自作している会津桐のルアーについてです。

一番大きな目的はプラスチックルアーからの脱却です。プラスチックルアーを水中に投げ入れることは、海にプラスチックゴミを捨てているのに近い感覚があり、これが自分のなかでは課題だと感じていました。


プラスチックではなく、会津桐でルアーを作ります。

使用する木材は軽くて加工しやすい海外産のバルサ材が一般的です。僕もまずはバルサ材で作りはじめましたが、徐々に国産材でルアーを作れないかと考えるようになりました。

調べてみると、国産材では桐が一番バルサに近いことがわかりました。そこで前職のパタゴニア時代に出会った会津の製材所で働く友人に相談し、会津桐をルアー制作用に加工して提供してもらったところ、これが思った以上に素晴らしかったのです。


会津桐の調達元、木工職人として会津の製材所で働く岩淵良太くん。スキーと山を愛する男で、僕のルアーづくりには欠かせない存在です。

色も塗らず、木にアルミテープをはるだけですが、市販品と同じ感覚でストレスなく魚は釣れます。作るプロセスも最高に楽しいので、ルアー釣りをする方にはぜひトライしてほしいです。


鮭の最新情報を入手すべく、鮭の専門家を訪ねました。


さて、本題の鮭の話です。今回は、国立研究開発法人「水産研究・教育機構」の鮭の専門家、飯田真也さんに、鮭に関する話を聞きに行ってきました。


鮭の最新情報を専門家から聞くために、新潟まで行ってきました。

飯田さんは、発眼卵放流 (※1) のことで僕がいつも相談している研究者です。幼少期から釣りが大好きで、小学生の時に「鮭が産まれた川に戻ること」を知って感動したことをきっかけに水産系の大学へ進学し、そこから現在まで20年以上、鮭の増殖手法に関する研究をしてきた鮭のスペシャリストです。

現場に通いこむスタイルの研究の話がいつも本当におもしろくて、僕にとっては頼れる兄貴です。

※1 発眼卵放流:受精後の卵に黒い眼が見えはじめる「発眼卵」の段階で川に埋め戻していく人工孵化の方法のこと。従来の手法と異なり、稚魚まで育てる必要がないため、コストと労力の削減が大きなメリット。しかし松並くんが、この方法に取り組む一番の理由は別にある。実用化にあたり、野生魚と同じプロセスで稚魚が育つ必要があるため、豊富な餌や水質のいい河川環境が前提となる。つまり、この取り組みは「魚がたくさん住める、自然豊かな川」を守っていくことにつながるのだ。


群馬県出身の43歳の研究者、飯田真也さん。

今回は、そんな飯田さんから聞いた情報をもとに、2020年を振り返るべく、鮭の遡上量、発眼卵放流の生残率と回帰率、そして未来につながる新しい放流方法についてレポートしていきます。


2020年における日本の鮭の「遡上量」は、僕が住む山形県が好調でした。


まずは、昨年の日本全体の鮭の「遡上量」についてですが、その前に「漁獲量」との違いを説明しておきます。

#04の記事で書いた鮭の「漁獲量」は、主に市場で出回っている海で獲れた鮭の量を示しており、「遡上量」とは、川を遡上してきて孵化事業のために水揚げされた鮭の量を示すものです。

傾向としては漁獲量と連動するのですが、今回はあくまで僕が関わっている孵化事業の結果として「遡上量」についてレポートします。


川を遡上してきた鮭は、人工孵化事業のために捕獲されます。

全体的には、歴史的不漁と言われた一昨年と変わらず厳しい状態でした。特に東北太平洋側の遡上量は一昨年と同様だったようです。それに対して日本海側は遡上量が比較的安定していて、なかでも好調だったのが山形県でした。

好調の理由は、山形県内の遡上量の9割を占めている月光川水系の遡上量が多かったことです。その月光川水系には3つの鮭の孵化場があるのですが、ひときわ多かったのが「桝川」(ますかわ) という川でした。


2020年の遡上量は、日本全国のなかでも山形県が特に好調でした。

現地にいないため正確にはわからないのですが、鳥海山の麓にある月光川水系は、豊富な湧水の恩恵を受け、年間を通して水質や水温が安定しており、鮭が育つための条件がいいんです。さらに桝川では、4年前に人工孵化場の大規模なリニューアルがあり、最新の設備と孵化事業者の努力が遡上量につながっている可能性も高いと思われます。


発眼卵放流の「生残率」は、5年間の平均が75~98%、2020年は85%。


次に、発眼卵放流の生残率 (卵が稚魚に育つまでの割合) についてです。鮭における発眼卵放流は、全国的にはまだまだ実験段階の方法ですが、徐々にではありますが発眼卵放流のデータが蓄積しはじめているのです。

ちなみに「生残率」とは、発眼卵で川に戻した鮭たちがちゃんと育っているのか? を示す数字で、バイバートボックス (※2) という箱を用いて算出します。

生残率の詳しい算出方法については#08の記事、僕が鮭川でトライした結果については#11の記事をご覧ください。

※2 バイバートボックス:ウィットロック・バイバートボックス (WVB:Whitlock Vibert Box) のことで、2人の研究者の名前が箱の名前になっています。自作品はそれを模倣したものなので、正確には「ハッチェリー・ボックス」または「インキュベーター・ボックス」といった呼び方になるかもしれませんが、一般的にはバイバートボックスと呼ばれているため、こちらで表記しました。


放流した発眼卵がどのくらいの割合で稚魚まで育つか。それが生残率です。

飯田さんが日本海沿岸の河川で実施した調査によると、ここ5年間で算出した年ごとの平均生残率は75~98%となっており、2020年は平均で85%とのことでした。

従来の人工孵化事業よりもコストや労力をかけないこのやり方で、これくらいの確率で稚魚が育つのであれば、増殖手法としては優れていると考えられます。


「回帰率」は、まだ結果が出ておらず調査中です。


もうひとつ、発眼卵放流が有効であることを証明するための重要なファクターが、放流した鮭がきちんと川に戻ってくるのか? を示す数値「回帰率」です。


受精後に黒目が見えはじめて安定した状態が、発眼卵です。

細かい算出方法は割愛しますが、簡単に言うと、発眼卵放流した個体に標識をつけ、川に戻ってきた鮭を調べ、どのくらいの割合で標識のある魚がいるかを算出するというやり方です。

飯田さんは2016年からこの調査を開始し、大多数が回帰すると思われる4年目の2020年の結果に期待していたのですが、残念ながら調査したサンプルの中に標識魚は確認できなかったとのことでした。


鮭川とその支流となる泉田川。回帰率の結果を、こうした自然の川の存在価値を高めることに繋げていきたいです。

とはいえ、まだまだ調査ははじまったばかりで、2016年に10万尾だった標識魚を徐々に増やしているらしく、2020年は初年度の5倍以上の54万尾の標識魚を放流しているそうです。

無事に回帰してくれたら、2022〜2023年あたりには結果が見えてくるだろうとのことでした。この結果が出れば、いよいよ日本の鮭の人工孵化事業が、自然の川をより活かした方法にシフトするきっかけになるかもしれません。発眼卵放流の「回帰率」がどのような結果となるのか、非常に興味深く、良い結果を期待したいところです。


現在実験中の新しい放流方法は、作業効率がこれまでの20倍以上!


今回の飯田さんの話で特に興味深かったのは、発眼卵放流の作業効率をあげる新しい放流方法についてでした。


これまでの放流方法は、川底に穴を掘り、塩ビパイプで卵を流し込み、パイプを抜く、というやり方。

この新しい放流方法についてはまだオープンにできないのですが、これまでの放流方法の作業効率が「約1万尾」(4人で1時間実施した場合) だったのに対し、今回実験した新しい方法では「約24万尾」(4人で1時間実施した場合) だそうです。

つまり、同じ労力で20倍以上の数を放流することができたわけです。鮭川の例年の放流数が100万尾なのですが、作業する人が4人いればたった4時間で終わってしまうのです。実用化できれば、非常に有効な放流方法となるでしょう。


まだまだ解明されていないことが多いからこそ、鮭はおもしろい。


現場から研究のアイデアが生まれ、研究は現場の存在意義につながっていきます。

飯田さんとはお互い釣りと魚が大好きなことが共通しているので、いつも魚の話が止まりません。先日の帰りがけの会話が印象的で、高齢化で若い人たちが鮭の現場にいなくなっているという話になったとき、飯田さんはこう言いました。

「っていうかさ、なんでみんな鮭やらないんだろうね? すごくおもしろいのにね」


ベテラン中心の鮭漁の現場。

ちなみに、鮭の増減については水温上昇などの影響がよくフォーカスされますが、複雑なライフサイクルをもつ魚種のため、いずれもはっきりした要因はわかっていないようです。なにかと言い切れないことが多いのです。

とはいえ、この複雑さ、未解明な部分の多さが鮭のおもしろいところでもあり、生態も、歴史も、食べ方も、とにかく奥が深い魚です。だからこそ、多くの人に知ってほしいし、鮭の現場にもっと若手が入ってくれることを願い、引き続きトライしていきたいと思います!


鮭は、とにかくおもしろい魚です。2021年も、いろいろトライしていきます。

鮭の研究者から最新情報を聞いたことによって、これまで試行錯誤をしながら実験してきた「発眼卵放流」の有用性を確かめることができた松並くん。

あらためて鮭の奥深さを実感し、彼の活動の勢いも、さらに加速しそうだ。

昨シーズンの経験と学びを活かして、また秋以降にはじまる次のシーズンにどんなトライをしていくのか。これからのレポートにも注目したい。

文・写真:松並三男 構成:TRAILS

What’s TRAILS環境LAB? | TRAILSなりの環境保護、気候危機へのアクションをさまざまなカタチで発信していく記事シリーズ。“ 大自然という最高の遊び場の守り方 ” をテーマに、「STUDY (知る)」×「TRY (試す)」という2つの軸で、環境保護について自分たちができることを模索していく。

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『TRAILS環境LAB』の記事シリーズにおいてスタートした、松並三男 (まつなみ みつお) くんの連載レポートの第11回目。

松並くんは一昨年パタゴニアを退職し、山形県鮭川村に家族で移住した。そして鮭川村の鮭漁の現場で、「鮭」をテーマに環境問題に取り組んでいる。この連載を通じて、僕たちも環境保護の「STUDY」を深めていく。

今回は松並くんが、あらたに取り組んだ「発眼卵放流 (はつがんらんほうりゅう)」の実験結果発表だ。これは「魚がたくさん住める、自然豊かな川」を守っていくことを目指した試みである。

10〜12月に遡上した鮭が産んだ卵は、その後、卵がかえって3〜4月頃に群れで海へと降りていく。

鮭の場合、この孵化〜放流を今まではすべて人工的に管理していた。それを一部自然の力を取り入れて孵化させるのが「発眼卵放流」だ。はたして、実験結果はどうだったのだろうか。

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鮭漁の現場風景。水揚げされた鮭のほとんどが、人工孵化事業に使われる。


渓流釣り、解禁!


こんにちは! 松並です。4月1日より、渓流釣りが解禁しました。今年は雪が多かったものの、気温が一気に上がり、すごいスピードで春が進んでいます。

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会津桐の自作ルアーにてシーズン開幕。楽しい季節のはじまりです。

解禁直後は、まだまだ魚も動きが鈍くて渋い時期ではありますが、まずは自宅近くの秘密の源流に入水し、会津桐の自作ルアーでイワナに挨拶を済ませることができました。

サクラマス釣りや海釣りもこれから楽しくなるばかりで、春は気持ちが高まる季節です。


「発眼卵放流」は、自然豊かな川を守っていくことにつながる。


さて、本題です。鮭に関する僕のアクションは大きく分けて「食べること」と「増やすこと」の2つです。

直近2回の記事では、新レシピの開発や伝統保存食の新しい食べ方など「食べること」を紹介してきました。今回は、もう1つのテーマ「増やすこと」についての近況をレポートします。

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鮭川の鮭ふ化場で育てられる稚魚たち。稚魚まで育てて放流するのが、日本における鮭の人工孵化事業です。

テーマは「発眼卵放流」です。この手法の詳細や取り組みについては、過去の記事 (TRAILS環境LAB | 松並三男のSALMON RIVER #06 自然豊かな川を守るための鮭の育て方の模索, TRAILS環境LAB | 松並三男のSALMON RIVER #08 この冬の川鮭チャレンジ、進捗レポート) で書きましたが、ここで簡単におさらいしておきます。

日本の鮭の人工孵化事業は1980年以降、稚魚まで育てて放流する方法が主流でした。それに対して「発眼卵放流」とは、受精後の卵に黒い眼が見え始める「発眼卵」の段階で川に埋め戻していく人工孵化の方法です。イワナやヤマメなどではよく行なわれている方法ですが、鮭に関してはまだ研究段階です。

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卵にうっすらと黒い眼が見えはじめています。この段階で川に埋め戻していくのが「発眼卵放流」です。

大きなメリットとしては、稚魚まで育てる必要がないことによるコストと労力の削減ということが言われています。

でも、僕がこの方法を進める一番の理由は、実用化にあたり、野生魚と同じプロセスで稚魚が育つ必要があるため、豊富な餌や水質のいい河川環境が前提とされることです。つまり、この取り組みは「魚がたくさん住める、自然豊かな川」を守っていくことにもつながるのです。

できる限り人が手をかけない方法で、健全な河川環境を残し、それによって生じる恩恵を「食べること」につなげていくことが、僕の狙いです。


2020年12月、発眼卵を入れたボックスを川の中に設置。


鮭川では、これまで「発眼卵放流」が行なわれたことはありません。そのため、まずは発眼卵が川でしっかり稚魚まで育つかどうかを確かめるために、生残率を算出することにしました。

生残率を出すために使用するバイバートボックス (※) は、網状の虫かごを細工したものです。12月頃に発眼卵を入れて川に埋設し、順調に孵化すれば、稚魚は3月頃には浮上して網の隙間から旅立っていくという仕組みです (詳細はコチラ)。

※ バイバートボックス:ウィットロック・バイバートボックス (WVB:Whitlock Vibert Box) のことで、2人の研究者の名前が箱の名前になっています。自作品はそれを模倣したものなので、正確には「ハッチェリー・ボックス」または「インキュベーター・ボックス」といった呼び方になるかもしれませんが、一般的にはバイバートボックスと呼ばれているため、こちらで表記しました。

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生残率を算出するために使用した「バイバートボックス」。

たとえば発眼卵を100個入れたボックスが、春になってすべて孵化してからっぽになっていれば、生残率は100%ということになります。

発眼卵放流を実施した場所は、鮭川の支流「泉田川」で、鮭ふ化場から1kmほど上流部にある産地直売所「鮭の子館」付近です。今回は条件がいいと思われる本流側に6カ所、本流との比較のために流れの小さな支流に1カ所、バイバートボックスを埋設しました。

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設置場所は、鮭川の支流「泉田川」の鮭ふ化場から1㎞ほど上流です。

余談ですが、隣接する産直施設「鮭の子館」は、鮭川村が鮭をPRするために約20年前につくった施設で、例年10月に行なわれる「さけがわ鮭まつり」の会場にもなっています。

冬でも駐車スペースがあり、川へのアクセスがいいこともありますが、この活動を多くの人に知ってもらいたいという想いも込めて、この場所を選びました。


2021年3月末、結果を確かめに現場の川へ行くと……。


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2020年12月に埋設したときの本流側6カ所の様子。各ボックスにはピンクリボンの目印がつけてあります。また、このほか支流1カ所にも埋設しました。

うまく孵化していれば稚魚が旅立ったであろう3月末のある日、人工孵化事業を長年やってきた大先輩二人と一緒に現場に向かいました。

まず、メインとなる本流の設置場所へ向かったのですが、いくら探しても目印のピンクテープがまったく見当たらず、嫌な予感が……。あらためて設置時の写真を見返してみると、設置したエリアの地形が若干深くなっていて、どうやら埋設したボックスは流されてしまったようです。

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2021年3月末に訪れた本流側の埋設場所。探しても、探しても、ピンクの目印は見当たりません。

「やってしまった……」。しばし放心状態で、さまざまな原因がぐるぐると頭をかけめぐります。

「春の増水を加味して、もっと浅瀬に設置するべきだった?」「回収するタイミングが遅かった?」「もっと途中経過を、マメに見に行くべきだった?」

いくら後悔しても、無くなってしまったものはどうすることもできません。放流した卵が、無事に孵化して旅立っていることを願うしかありませんでした。

こうなってくると、残りの1つ、流れの緩い支流のボックスに期待するしかありません。頼む、無事でいてくれ!

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僕が立っている場所が、支流側に埋設した場所 (撮影したのは2020年12月)。思いがけず、この1箱が成果につながりました。

こちらは地形もさほど変わっておらず、近くまでいくと、目印のピンクテープを確認してひと安心。

ドキドキしながらボックスを引き上げると、なかには泥やゴミのようなものがぎっしり詰まっていました。

「うわっ、ダメかも……」と思いつつ、泥を振るい落としながら中身をあけてみると、元気に泳ぎ回る稚魚がたくさんいました。


「川に戻すだけでもちゃんと育つんだなぁ」。大先輩のこのひと言が、いちばん大きな成果。


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バイバートボックスの中にいた発眼卵放流の稚魚たち。無事孵化して、生きていました!

うまく孵化したら旅立っていなくなっているはずだと思っていたので、これには驚きました。死んでしまった卵や稚魚はいなかったので、このボックスの生残率は100%でした。

ボックスの隙間が狭すぎて出られなかった可能性もあるので、構造に課題が残る結果ではありました。

でも、元気に泳ぐたくましい稚魚の姿を見た瞬間、シビれたというか、本当にうれしい瞬間でした。

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泉田川沿いにある鮭川村の「鮭ふ化場」。1980年に建設され、今もここで鮭の人工孵化事業が行なわれています。

1980年以降、約40年にわたって従来の人工孵化を行なってきたこの地の歴史を思うと、発眼卵の状態で川に戻してもきちんと孵化することを実際に確認できたことは、大きな一歩となりそうです。

「川に戻すだけでもちゃんと育つんだなぁ」

稚魚を眺めながら発した、大先輩のこのひと言は、今回のチャレンジの中でいちばん大きな成果だと思っています。

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今回、同行してくれた鮭漁の大先輩たち。発眼卵放流の結果を、しみじみと噛みしめていました。


自然の川で鮭が命をつなぐ「野生区」を検討中。


卵を生まれた川に戻し、孵化させる。冷静に考えれば当たり前の自然の営みです。しかし、現代社会は、鮭に限らずたくさんの生物たちに対して、この当たり前の自然の営みを軽視してきたように思います。

すべてを人の都合で支配しようとした結果、自然は破壊され、魚は減り、さまざまな不都合が生じ始めているのではないでしょうか。

発眼卵放流は、人の力に偏りすぎた方法を自然の営みに寄せていくための最初の一歩です。今回は、支流に設置した1箱のおかげで、鮭が元気に育つことを確認することができました。設置場所の検討、ボックスの改良など、来シーズンへの課題ははっきり見えています。

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この泉田川が、発眼卵放流のフィールドです。

ちなみに次の一手として、人の手を一切加えずに鮭が自然の川で命をつなぐ「野生区」を設定できないかと考えています。

「野生区」という言葉は定義がないためこれが正しいかは定かではないのですが、鳥獣類でいう「自然保護区」「野生生物保護区」といった言葉と近い意味です。

「近い」としたのは完全な保護区とも少し異なるような気がしているためなのですが、簡単に言うと鮭川で今も相当数存在している自然の川で産卵している野生魚の存在をきちんと認識し、価値を置きたいのです。

これについては僕自身もまだ勉強中かつ漁協や関係者との連携や理解も必要なため、少し先の話になるのですが、いずれレポートしていきたいと思います。

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厳しい生存競争を勝ち抜き、生まれ故郷に戻ってきた鮭たち。かつては当たり前だった、自然の営みに立ち返ろうと思います。

発眼卵放流で使用したボックス7個のうち6つが消失するという、予期せぬ事態に見舞われながらも、残り1個で見事、生存率100%という結果を手にした松並くん。

模索をつづけてきた、川鮭の新しい「増やし方」においても、大きく前進することができたようだ。

まだ実験段階ではあるが、今後の実用化に向けた取り組みや進捗も、随時レポートしてもらおうと思う。

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文・写真:松並三男 構成:TRAILS

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『TRAILS環境LAB』の記事シリーズにおいてスタートした、松並三男 (まつなみ みつお) くんの連載レポートの第10回目。

松並くんは一昨年パタゴニアを退職し、山形県鮭川村に家族で移住した。そして鮭川村の鮭漁の現場で、「鮭」をテーマに環境問題に取り組んでいる。この連載を通じて、僕たちも環境保護の「STUDY」を深めていく。

鮭川村には、昔から川鮭の伝統保存食として「鮭の新切り (ようのじんぎり)」というものがある。

鮭の新切りは独特の臭みがあるが、「活き締め」を取り入れたり、熟成の工程も見直すことで、味を向上させ、この郷土食の文化を残していくチャレンジをしている。今回は、その新しい「鮭の新切り」の試作品をつくる工程をレポートしてもらった。

自然環境の点でも、鮭の新切りの文化を残すことは意味がある、と松並君は捉えている。川鮭を食べる文化を残すことは、川漁師を活かすことにつながる。その川漁師は、川の状況や変化を誰よりも熟知している人たちであり、結果として川の環境を守ることにつながるからだ。

TRAILS編集部が試作品を食べさせてもらった内容も、今回の記事でその一部をレポートしている。

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軒下で寒ざらししている「鮭の新切り (ようのじんぎり)」。


ローカルのスキー場で、仲間とパウダーセッション。


みなさんこんにちは! 今年はいい雪降りました。僕が住んでいる鮭川村は、全国でもトップクラスの豪雪エリアです。

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ローカルスキー場のナイターで、鮭川の仲間と連日のパウダーセッション! 今年の雪は最高でした。

仕事あがりに保育園の迎えや家事をこなし、寒波のたびに近所の仲間とローカルスキー場のナイターでスノーボードをしていました。仲間だけで貸し切り状態のローカルパウダーセッション。蹴り飛ばした粉雪に飛び込んでは奇声を発し、横乗り特有のシアワセな空気感を楽しみました。


鮭川村の伝統保存食「鮭の新切り (ようのじんぎり)」。


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塩抜き中の鮭の新切り。まるで絵に描いたかのような鮮やかな婚姻色が浮かびます。雪が降る頃に流水で塩を抜きます。

さて、本題です。今回は、鮭川村の伝統保存食「鮭の新切り (ようのじんぎり)」に関する新しい挑戦を紹介します。

まず、鮭の新切りについて簡単におさらいします。これは、川を遡上した鮭の内臓を抜き、たっぷりの塩に漬けて保存し、雪が積もるころに流水で塩抜きし、軒下で寒風干しにした鮭川村の伝統食です。

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「じんぎり」の言葉の由来となった切り方。昔は白く塩が吹くくらいしょっぱくて、それが夏の農作業の塩分補給にもなっていたそうです。

「新切り」の言葉の由来は、キセル用の葉たばこを入れるケース「じんぎり」に似ていることからと言われています。

上の写真がこの由来となった鮭の切り方で、農作業時にこれを腰にぶら下げて、汗をかいたときの塩分補給やおかずとして、少しずつかじって食べていたそうです。


伝統食の新しい挑戦「鮭の新切りオーナー制度」。


今シーズンはこの伝統保存食の新しい食べ方への挑戦「鮭の新切りオーナー制度」を実施しました。

この取り組みは、若手鮭漁師の矢口春巳 (はるみ) さん (以下、春巳さん) が作る鮭の新切りセットを、オーナーになってくれた人に食べてもらい、フィードバックをいただくことで、共に美味しい食べ方を目指すという取り組みです。(詳細はこちらhttps://yamagata-okoshiai.net/8030/)

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新しい鮭の伝統食に挑戦した矢口春巳さん。まだ40代で、鮭漁メンバーの中では最年少。

春巳さんは、昨年亡くなった父の跡を継ぐかたちで鮭漁メンバーに加わりました。

鮭漁師だった春巳さんの父は、「鮭川村の強みは、村名の由来となっている鮭川を遡上してくる “鮭” だ!」という想いで20年前に有志団体「サーモンロードの会」を立ち上げた人物。新切りの販売、子どもたちとの稚魚放流活動など、鮭川村の鮭のPRに尽力してきた人でした。

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鮭漁で使うウライに入った鮭をすくう春己さん。鮭漁師だった亡き父の背中を追っています。

春巳さんのお父さんは、鮭をテーマに神奈川から移住したばかりの僕を、鮭川の川漁仲間に紹介してくれた人でもあり、川の未来を語れる川の師匠のひとりでした。春己さんはそんな父の背中を見て育ち、使命感をもって今年から鮭漁メンバーに加わった新人鮭漁師です。

僕としても少しでも、そんな春巳さんの力になりたいという想いで、彼の挑戦をサポートすることにしたのです。


川鮭を美味しく食べることが、川を守るためにできる最初の一歩。


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僕が春巳さん応援する理由は、彼が次世代の鮭漁を担う鮭漁師だからです。

僕が川漁師を応援するのは、彼らが誰よりも川を知っていて、魚たちが住みやすい環境を守る役割があるからです。

現代の食生活では、川を遡上した鮭をはじめ天然の川魚を食べる機会はほとんどなくなってしまいました。それに伴い、川漁師の高齢化と後継者不足は深刻な状態です。

川は、海と比べると漁法や漁期に関するルールも多く、世襲制といった閉鎖的に見える要素も確かにありますが、だからこそ守られてきたことも事実です。

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水源となる広葉樹の森、生物多様性、それらを繋ぐ川と人のバランス。素晴らしい自然環境が育む鮭川の鮭を、多くの人に食べてもらいたいです。

川漁師がいなくなってしまうと、最前線で川の変化に気づける人がいなくなり、不必要なダムや護岸整備など、魚たちの住処を奪う無秩序な開発に繋がってしまうことも考えられます。何より、日本が誇る美味しい天然魚の存在を知る人がいなくなることは、僕にとっては非常に悲しく、避けたいことです。

では、どうしたらいいのか。その答えは単純で、川鮭を美味しく食べることです。鮭川で食材として扱う鮭は、鮭を増やすために採卵、放精されたあとの鮭です。人の手で尽き、命を繋いだ魚を正しく扱うことは、川のためにできる最初の一歩だと思っています。


5種類の試作品をセットにした、鮭の新切りセット。


今回オーナーになってくれた人に送ったセットは、これまでの製造方法をベースに塩分濃度や切り方が異なる3種類と、新しい食べ方のジャーキー2種類(塩味と醤油味の味付けをして燻製したもの)、計5種類の試作品です。

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5つ試作品が入った「鮭の新切りセット」。

試作品を作るにあたっては、水揚げ時の血抜き処理を徹底し、伝統食の新切りについてもこれまで漁師ごとに感覚的に作られてきた工程 (塩抜きの時間など) も記録しました。

そして今回、実はTRAILS編集部のみなさんもオーナーになってくれました! ここで、TRAILSからのフィードバック内容を紹介します。


TRAILS編集部crewのトライ。


今回、僕たちTRAILS編集部crewも、オーナー制度に応募しました。送られてきたセットにはレシピも入っていたので、それを参考にして実験してみました。

根津が試した「じんぎり鍋」。

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味付けは、じんぎりから出た塩分のみという、じんぎり鍋。

小川が試した「じんぎり和風マリネ」と「じんぎり入りなめこ」。

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お酢で和えた和風マリネ (左) と、なめこと合わせたじんぎり入りなめこ。

佐井&カズが試した「じんぎりおにぎり」。

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茹でた鮭の新切りをおにぎりの具にした、シンプルなじんぎりおにぎり。

みんなで感想を話し合ってみて、いちばん最初に調理して食べるなら、やっぱり伝統料理の「じんぎり鍋」が王道かなという印象でした。そのまま食べられるジャーキーも、手軽だし山に持っていくことができるのも便利という意見でした。

今回は、TARILS編集部それぞれで違うレシピを試してみました。根津は、王道の「じんぎり鍋」を銀山街道ALEと一緒に。佐井&カズは、「じんぎりおにぎり」を作って、息子たちに川鮭のことや伝統食のことを伝える食育としてもよい素材だ、という感触を得たよう。小川は、「じんぎり和風マリネ」と「じんぎり入りなめこ」にくわえて、ハイキングにジャーキーを持って行き、行動食としても使えることも実感しました。

そして松並くんには、良い点はもちろん、気になっことや改善点なども率直に伝えました。TRAILSとしても、これで終わりではなく、今後も「ようのじんぎり」をいろいろ実験していきたいと思います!


フィードバックから得た気づきと、これから。


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今回一番人気が高かったのが、このジャーキー (塩味) でした。

「美味い!」という声はもちろんですが、独特の香りや販売の課題、その解決に向けたアイデアまで、ポジティブなアドバイスとしていただけて、おかげさまで次シーズンに向けて非常に有益な情報を得ることができました。

また今回のオーナー制度を通じて、僕自身が強く感じたのは情報発信の必要性でした。

どんな人が、どこで、どう扱っているのか、美味しく食べてもらうための努力や鮭のストーリーを伝えることで、食べる意味は変わります。

一番わかりやすいのは、漁期に現場で一緒に魚を見てもらうことなんですが、情報ツールが充実した今だからこそ、できることはまだまだあるはずです。

ということで、次のシーズンは、動画? 鮭の教科書? 体験ツアー? 発信力のある地元若者の巻き込み? などなど、より多くの人に知ってもらうためのアクションにもトライしていきます!

8 ようのじんぎり
伝統保存食である「鮭の新切り」がどう進化していくのか。これからが楽しみ。

今回の取り組みで、また新たな気づきと学びを得た松並くん。伝統保存食「鮭の新切り (ようのじんぎり)」の食べ方はもちろん、伝え方のアイディアも生まれたようだ。

TRAILSも今回、初めて鮭の新切りを食べてみて、さらに興味を抱いたので、松並くんとともに、あらたな食べ方を模索していきたいと思う。

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TRAILS環境LAB | トレイルズなりの “ 大自然という最高の遊び場の守り方 ” を STUDY (知る) × TRY (試す) で模索する

文・写真:松並三男 構成:TRAILS

What’s TRAILS環境LAB? | TRAILSなりの環境保護、気候危機へのアクションをさまざまなカタチで発信していく記事シリーズ。“ 大自然という最高の遊び場の守り方 ” をテーマに、「STUDY (知る)」×「TRY (試す)」という2つの軸で、環境保護について自分たちができることを模索していく。

* * *

『TRAILS環境LAB』の記事シリーズにおいてスタートした、松並三男 (まつなみ みつお) くんの連載レポートの第9回目。

松並くんは一昨年パタゴニアを退職し、山形県鮭川村に家族で移住した。そして鮭川村の鮭漁の現場で、「鮭」をテーマに環境問題に取り組んでいる。この連載を通じて、僕たちも環境保護の「STUDY」を深めていく。

山形では伝統食として、川鮭を寒干しにした「ようのじんぎり」などはあるが、それだけでは使い切れずに無駄になる川鮭が存在する。

伝統食にはない、川鮭をおいしく食べられる調理方法が見つけられれば、あらたな川鮭の循環のあり方をつくれるはずだ。

そんな思いをぶつけてみたところ、快く協力してくれたのが、今回登場するこめ油メーカーさんだ (経緯については前回の記事にて紹介。詳しくはコチラ)。

今回の記事は、そのこめ油メーカーのテストキッチンを借りて、プロの栄養士のサポートも得ながら、川鮭の新レシピ開発の実験をしたレポートである。

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こめ油製造をしている三和油脂株式会社のテストキッチンでのレシピ開発。


春の釣りを妄想しながら、手作りルアーを仕込む日々。


こんにちは! 松並です。今年は雪が多くスノーボードが楽しすぎて若干遅れ気味になってしまったのが、春にむけたルアーづくりです。

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春に向けたハンドメイドルアー制作。僕の作るルアーは、会津桐を削り、色も塗らずにアルミを貼るだけ。

今作っているのは春のサクラマスに向けたものですが、シーバスやブラックバスなど、だいたいなんでも釣れてしまう万能選手。

東北の木で東北の魚を、ということで会津桐を使っているのですが、硬さ、浮力、加工のしやすさ、ルアーを作るうえではどれをとっても素晴らしい木材だと思います。ストーブの前で春を妄想する幸せな時間です。


「伝統食で使い切れない川鮭」を、どうやって食べるか。


さて、本題です。今回は川鮭の新たな調理法を紹介したいのですが、そもそもなぜ新しい調理法が必要なのかを説明します。

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鮭川村の「鮭の新切り (ようのじんぎり)」は、塩と乾燥による伝統食のひとつ。鮭の旨味が最も引き出される。

まず重要な前提ですが、僕は、鮭の個性が一番際立つのはあくまで伝統的な保存食だと考えています。

塩引き、鮭とばなど、古くから伝わる鮭の伝統食は呼び名や細かい違いはあれど、塩と乾燥という基本要素はすべて同じです。

冷蔵庫がない時代に保存性を高めるために生まれた方法ですが、旨味についても大きな強みがあります。

塩漬けにより身の水分が抜け、寒風の中でゆっくりとタンパク質が旨味のアミノ酸に変化していきます。気候風土を活かした最も無駄のない方法であり、鮭特有の旨味に関しては、これを超える方法を僕は思いつきません。

この前提の上で、それでも新しい調理法を模索する理由は、伝統食で使い切れない鮭が存在しているからです。

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孵化事業のための鮭漁においては、傷だらけの鮭も多い。こうした個体は、丸ごと使用する伝統食には向いていない。

川での鮭漁では、傷のある雄や、卵を抱えて身が痩せた雌が、数多く水揚げされます。しかし、傷だらけの個体や痩せた個体は見栄えが悪く、塩引きなどの丸ごと干すような方法には、使いにくいという現状があります。

また、伝統的な保存食は旨味とともに魚特有の香りも強く、現代の食生活では好みがわかれるというのも正直なところです。

そのため、こうした伝統食で使い切れない鮭に対して、子どもから大人まで誰でも食べやすい方法が必要だ、と考えるようになりました。前置きが少し長くなりましたが、これから紹介する新しい調理法の実験は、この「伝統食で使い切れない鮭」についての食べ方の模索です。


こめ油メーカーの協力を得て、新しい調理法を実験。


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油のプロと栄養士の方と一緒に、新しい調理法をテストした。

前回の記事で少し触れましたが、2月2日に山形県天童市でこめ油を製造している三和油脂株式会社の協力のもと、こめ油を使った新しい調理法をテストしてきました。ここからは、その結果をレポートします。

まずは鮭を3枚におろし、皮をひいて切り身にします。こうすることで、傷などの見た目は関係なくなります。切り身としてさばくときに発生する頭やアラも、無駄なく使うために魚醤にします。切り身での良い調理法さえ作り出せれば、水揚げした川鮭すべてを、無駄なく美味しく使い切る道筋が見えてくることになります。

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鮭を3枚におろし、切り身の状態から調理スタート。

こめ油の原材料は国産の米ぬかのみです。米が主食の日本において、米ぬかは精米時にかならず発生する副産物でありながら、米の栄養素のほとんどが含まれています。

癖が少なく、酸化しにくいという特性から揚げ物や和食に合うと言われています (今回使用したこめ油の詳細。https://sanwa-yushi.co.jp/riceoil/)。

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こめ油と川鮭の相性はいかに?

それに対して、今回比較用に使った菜種油はキャノーラ油とも呼ばれ、日本では最も多く消費されている一番身近な食用油です。


新しい食べ方 #1 鮭のからあげ


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鮭のからあげでは、8種類のレシピを試してみた。

粉2種類 (米粉、片栗粉) 、味付け2種類 (マヨネーズ有り無し、米ぬかパウダー有り無し)、油2種類 (こめ油、菜種油) の全組み合わせ8パターンを試してみました。

全体的にはどれも美味しかったのですが、特に群を抜いていたのは「米粉、こめ油マヨネーズ、こめ油」の組み合わせでした。

淡泊な川鮭にコク、甘み、酸味が加わり、まさに子どもから大人まで食べやすいと思われる美味しさでした。

油の違いについては、菜種油と比べると、こめ油は酸化安定性が高いことにより後味が軽く、優しい甘みがありました。

この甘みは、こめ油特有の栄養素であるγオリザノールが加熱されてバニリン (バニラの香りのもととなる物質) に変化するためだそうです。

米ぬかパウダーは、三和油脂株式会社の「ハイグレフ」というきな粉に似た食べる米ぬかなのですが、ぬかの香りが強くて少し粉っぽくなってしまったので、味ではやはりマヨネーズに軍配が上がりました。


新しい食べ方 #2 鮭のさつまあげ


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鮭をすりつぶしてにして、さつまあげにしてみた。

鮭の切り身をミンチにし、卵、はんぺん、玉ねぎ、大葉を混ぜて油で揚げたものです。

からあげと同様に2種類の油を使って揚げましたが、こちらも菜種油と比較するとこめ油は甘みがあり軽い仕上がりとなりました。

これも子どもから大人までおすすめできる美味しい食べ方でした。


新しい食べ方 #3 鮭マヨネーズ & 鮭フレーク


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焼いて、ほぐして、マヨネーズやこめ油と和えるだけ。超シンプルな食べ方。

オーブンで焼いた鮭をほぐしたものに、こめ油マヨネーズを和えた「鮭マヨネーズ」と、こめ油を和えた「鮭フレーク」を作りました。

こめ油マヨネーズは市販されているマヨネーズよりも酸味をおさえた優しい味のため、鮭の味をいい塩梅で引き立ててくれました。

鮭フレークもこめ油を和えるだけで原材料である米由来の優しい甘みとコクが加わるため、シンプルながらこれも美味しかったです。


新しい食べ方 #4 鮭のオイル煮


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オイル煮は、脂が少ない魚におすすめ。低温調理は油の個性が出る。

オイル煮は、いわゆるツナ缶的な感じになります。脂が少ない魚を釣った時などにおすすめのレシピで、僕自身もシイラなどでよく作っていました。

今回は鮭と油の相性を確かめるため、にんにく、鷹の爪、油だけのシンプルなレシピで試作しました。

材料をいれて弱火で煮るのですが (100℃以下)、シンプルなだけに油の個性がはっきりでました。

比較すると菜種油はさっぱりしていて味が薄いのに対し、こめ油は甘みとコクがあり、鮭の味を引き立ててくれました。


こめ油と川鮭の相性の良さは間違いない。


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今回これだけ試してみて、こめ油と川鮭の相性の良さを実感。

特に美味しかったのは鮭とこめ油マヨネーズの組み合わせで、和えるだけでそのまま食べるのはもちろん、下味に使う場合もコクと深みがでることがわかりました。

こめ油特有の優しい甘みは、特にオイル煮で強く感じました。こめ油と鮭との相性を確かめるために行なった今回のテストは、全体的に狙った通りの美味しさで、相性の良さは間違いありません。

ここからさらに新しいアイディアも出はじめているため、引き続きこめ油を使った川鮭の美味しいレシピをブラッシュアップしていく予定です。

今後はレシピが定まってきた段階で、まずは地元の人たちや飲食店へのレシピ提案からはじめていき、ゆくゆくはなんらかのカタチで製品化し、食材のストーリーとともに多くの人に届けられるように頑張ります!

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油のプロと栄養士の方々の協力のおかげで、テストは無事成功!

今回のテストで、こめ油と川鮭の相性の良さが実証され、川鮭の新しい食べ方においてまた一歩前進した松並くん。

次回は、川鮭を用いた伝統的な保存食「鮭の新切り (ようのじんぎり)」にフォーカスを当てた内容だ。

新しい食べ方にトライしつつ、既存の伝統食をどう広めていくか。この課題に対する松並くんのチャレンジの模様を、レポートしてもらう。

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文・写真:松並三男 構成:TRAILS

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『TRAILS環境LAB』の記事シリーズにおいてスタートした、松並三男 (まつなみ みつお) くんの連載レポートの第8回目。

松並くんは一昨年パタゴニアを退職し、山形県鮭川村に家族で移住した。そして鮭川村の鮭漁の現場で、「鮭」をテーマに環境問題に取り組んでいる。この連載を通じて、僕たちも環境保護の「STUDY」を深めていく。

松並くんの住む鮭川村では、昨年11月に鮭の漁期が終了した。実は松並くんにとっては、12月からの冬が本格的な実験のシーズンとなる。

今シーズンに獲れた川鮭を使って、「食べ方」と「増やし方」の実験が進んでいる。食べる鮭として忘れられた川鮭の、あたらしいレシピ開発。漁獲量が減る鮭を、野生の力を使いながら孵化させて増やす方法。これが2大テーマだ。

与えられた答えがないなかで続ける、リアルな試行錯誤。今回は、そんな松並君の最新の状況をレポートしてもらった。

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赤い屋根が鮭の孵化場で、横を流れるのが発眼卵放流を実施した泉田川。水源は画面奥にうっすら見える神室連峰で、水質も地形も素晴らしい川。


贅沢としか言いようがない、山形移住2年目の冬のルーティーン


遅ればせながらではありますが、あけましておめでとうございます! 松並です。

ここ山形県鮭川村における最近のアクティビティといえば、もちろん “雪” がらみです。昨年はまったくと言っていいほど雪が降らなかったので、神奈川からここに移住して2年目にしてようやく雪深い冬を迎えることができました。

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週末は、娘と一緒に雪遊び。豪雪地の冬を楽しんでいる。

スノーボードは自宅から30分ほどで行けるローカルスキー場「グリーンバレー神室」がお気に入り。ほとんど地元の人だけのとても平和なスキー場ですが、リフト1本でちょうどいい斜度のコースが3本あり、パウダーも圧雪もなかなか楽しめます。

リフト券が安いうえに、これを買うと隣接する温泉が100円で入れるという贅沢としか言いようがないルーティーンを毎週楽しんでいます。移住2年目の僕にとっての豪雪地の冬は、大変さよりも楽しさが圧倒的に上回っています。


今冬のチャレンジ #1 野生の力を使った、川鮭の新しい「増やし方」。


去年の11月30日に鮭漁が終了してからは、これまで書いてきた川鮭の「増やし方」と「食べ方」について、試行錯誤の真っただ中にいます。今回は、この2つについての進捗と新しい発見をレポートさせていただきます。

まずは、昨年11月の記事「#06 自然豊かな川を守るための鮭の育て方の模索」 (詳しくはコチラ) で説明させてもらった「発眼卵放流」について。これに関しては昨年12月21日に、鮭の孵化場の前を流れる泉田川にて実施することができました。

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黒い眼が見えはじめている卵たち。この段階で川に埋め戻すのが「発眼卵放流」。一方、孵化後、春までエサを与えて稚魚まで育てるのがこれまでの人工孵化事業。

「発眼卵放流」について、簡単におさらいすると……日本の鮭資源の造成は1980年以降、稚魚まで育てて放流する人工孵化事業を主軸としてきましたが、一定の放流数に対して2010年くらいから漁獲量が減り続け、現在はピーク時の3分の1以下まで落ち込んでいます。

この結果から、野生魚の価値が見直され始めていて、人工孵化の手法にも変化が求められています。そんな人工孵化の新しい手法のひとつとして、野生の力に着目した手法が「発眼卵放流」です。


発眼卵放流のチャレンジ =「自然豊かな川」を守り続けるチャレンジ


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発眼卵放流を行なった場所のひとつ (今年1月中旬に撮影)。とにかく雪が深い。

発眼卵放流ができる川の条件は、野生の鮭が好む産卵場所とほぼ同じです。卵が孵化するためには卵が酸欠にならないようにすることが重要ですが、具体的には「瀬」と呼ばれる水深が浅くて流れが速く、砂が少ない玉砂利の場所がベストとされています。

反対に深くて流れが緩やかな場所は「淵 (ふち)」と呼び、こちらは砂なども堆積しやすく産卵には適さないものの、鮭をはじめ魚たちにとってカラダを休めるための重要な地形です。

自然の地形が残る川にはこの「瀬」と「淵」が交互に存在するのですが、今回放流を行なった泉田川は、まさにその条件を満たす地形の変化に富んだ川です。

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適正地と思われる場所など数カ所で、発眼卵放流を実施した。

この方法では、卵の段階で放流するため、孵化した後は野生の鮭と同じ条件で育っていくことになります。つまりこれは、エサが豊富にある自然の河川環境の存在が前提です。僕にとっては、この取り組みの結果、魚がたくさん住める河川が増えていくことこそが、一番の狙いでもあります。

今年はこの取り組みの第一歩として、発眼卵放流における「生残率」(河川でどれくらい孵化できたか)を算出してみることにしました。


自然の川でどれくらい孵化できるか? 結果が出るのは3月の予定。


生残率を算出する目的は、この川が適正地かどうかを確かめることです。

バイバートボックス (※) というボックスを用いて算出するのですが、日本水産研究機構の鮭の研究者の方からアドバイスをいただきながら、虫かごを改造して自作しました。

※ バイバートボックス:ウィットロック・バイバートボックス (WVB:Whitlock Vibert Box) のことで、2人の研究者の名前が箱の名前になっています。自作品はそれを模倣したものなので、正確には「ハッチェリー・ボックス」または「インキュベーター・ボックス」といった呼び方になるかもしれませんが、一般的にはバイバートボックスと呼ばれているため、こちらで表記しました。

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これが自作のバイバートボックス。網の虫かごと園芸用ネットを利用して製作した。

このボックスに発眼卵を入れて川に埋設していきます。

孵化した稚魚は卵の栄養を使い切るまではボックス内で過ごすため、天敵から襲われることもありません。そして卵の栄養を使い切るとエサを求めて水面に向けて浮上するため、その段階でボックスの隙間を抜けて自然界へ旅立っていくという仕組みです。

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バイバートボックスの設置風景。生存率については、3月上旬以降に結果がわかる見込み。

生存率の算出方法は単純で、たとえば発眼卵を100個いれたボックスが、春になってすべて孵化してからっぽになっていれば、生残率は100%ということになります。このボックスを使うことで卵の段階での減耗が起きないため、河川環境が発眼卵放流に適正かどうかを確かめることができます。

この記事を書いている1月中旬の段階では水位は安定していて問題なさそうです。今はまだ浮上前の段階のため、無事に旅立ってくれることを願うだけです。この結果については、3月上旬以降に報告できると思うのでご期待ください。

さて、次に川鮭の「食べ方」についての進捗です。


今冬のチャレンジ #2 脂の少ない川鮭に「こめ油」を合わせて食べてみる。


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「鮭の新切り (ようのじんぎり)」の半生薄造り。冷蔵、冷凍せず塩と水と雪深い気候で熟成させて約2カ月。しっとりと熟成した濃厚な鮭の旨味は、たった一切れでもすごい衝撃。日本酒との相性も抜群。

12月の記事「#07 食べる魚として「忘れられた」川鮭の食べ方の試行錯誤」(詳しくはコチラ) では、川鮭の基本的な身質の特性と活き締めの効果などを書きました。

それを経てここ最近は、伝統的な郷土食「鮭の新切り(ようのじんぎり)」の旨味を再認識しつつ、相性抜群の素晴らしい食材との出会いがあったので、その最新情報について紹介させていただきます。

川を遡上してきた鮭は脂が少ないため、油を使った料理と相性がいいということは前回の記事にも書きました。そこでポイントになるのは、どの油と合わせるか? です。

どの油でも美味しく食べることはできるのですが、ごま油やオリーブオイルなどは油自体の香りが強すぎて鮭の個性が薄まる印象があったりと、いろいろ悩んでいた時に見つけたのが国産の「こめ油」でした。

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オイル煮や唐揚げはかなり美味しい。油との相性はいいとして、どの油と合わせるかが問題だった。

一番魅力を感じたのは、原材料が国産の米ぬかのみということです。米ぬかは精米時に発生する副産物で、米が主食である日本では毎年かならず大量に発生します。

そして米ぬかには米の栄養成分のほとんどが含まれており、遺伝子組み換えなどの心配もないため、これを使わない手はないと考えました。

圧搾した油の味は癖が少なく素材の味を活かすことができ、米ぬか由来の栄養成分は油にも多く含まれています。考えてみれば、米と魚を主食にしてきた日本人の味覚からすれば、白米や日本酒同様に、こめ油だって魚との相性がいいはずなのです。


2月に「こめ油」メーカーの協力のもと、レシピ開発がスタート!


調べてみると、偶然にも三和油脂株式会社という「こめ油」の大きな生産工場が山形県天童市にあることがわかったため、実際に見学に行くことにしました。

ありがたいことに、創業者の山口社長から直接こめ油の特徴、歴史、製造方法から市場規模や動向などを1日かけて教えてもらい、こめ油の魅力は高まるばかり。

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国産の米ぬかのみで作られた山形生まれの「こめ油」。米と鮭が合わないわけがない!

さらに、工場見学時にこめ油で揚げた鮭を持ち込んで社長に食べてもらったところ、「これはおもしろい!うちでも試すから鮭を持ってきてくれ」と声がけいただき、思いがけず鮭のレシピ開発に協力してもらうことになりました。

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「こめ油」の工場見学へ。原材料は米ぬかのみで、ここでは圧搾して油を抽出するとのこと。米の栄養のほとんどが米ぬかにあることも知り、「こめ油」に大きな可能性を感じた。

2月上旬にこの会社のテストキッチンにて、栄養士や油のプロたちと鮭のレシピを一緒に考える予定です。

もしかするとかなり美味しいレシピが生まれてしまうかも……すごく楽しみです!

発眼卵放流とあわせて、これについてもまたレポートしていきたいと思います。

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鮭川村の伝統的な保存食「鮭の新切り (ようのじんぎり)」と一緒に。

雪景色の川のなかに入り、体を浸しながら新しいチャレンジをする松並くんの近況は、なんともたくましさを感じさせてくれるレポートだった。

記事にも書いてあったように、松並くんは2月上旬にテストキッチンにて、こめ油を用いた川鮭のレシピ開発を行なう予定だ。

次回の記事では、その詳細をレポートしてもらうので、みなさんお楽しみに。

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『TRAILS環境LAB』の記事シリーズにおいてスタートした、松並三男 (まつなみ みつお) くんの連載レポートの第7回目。

松並くんは昨年パタゴニアを退職し、山形県鮭川村に家族で移住した。そして鮭川村の鮭漁の現場で、「鮭」をテーマに環境問題に取り組んでいる。この連載を通じて、僕たちも環境保護の「STUDY」を深めていく。

10月10日にスタートした今シーズンの鮭漁も、11月30日で漁期を終えた。漁期の50日間、松並くんは毎日、鮭川村の鮭漁の現場に通いつづけた。

鮭を通じた環境保護の取り組みのひとつが、食べる魚として「忘れられた」川鮭の美味しい食べ方を見つけることだ。

昨年に考えた食べ方のアイディアを、今年はがんがん実践する年。今回は、トライ & エラーのリアリティをそのまま伝えてもらうことにした。

そんな松並くんが興奮気味に、「禁断の旨味が見えたかもしれません」と連絡をくれたのは11月末のことだった。どうやら、美味しい食べ方を模索しているなかで、一筋の光が見えたようだ。

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試作のひとつ、鮭の照り焼きタルタルソースがけ。


ウェットスーツを着て、鮭と泳いでみた。


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鮭と泳ぐべく、知人と一緒に川へ。名付けてSALMON SWIMMING!

こんにちは松並です。毎度のことながら近況報告から。鮭中心の日々の中で、魚好きの知人から「鮭と泳ぎたい!」というリクエストがあり、ウェットスーツを着て川 (水温9℃) を流れてみることにしました。

鮭が定位する場所で低い姿勢で石につかまってじーっと待っていると、徐々に鮭が集まってきて、手の届く距離で見る野生の鮭に、寒さを忘れて見入ってしまいました。

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石になったつもりでじーっと待っていると、鮭が徐々に寄ってきてくれた。

1時間ほどの入水で芯まで冷え切ったあとは、そのまま近所の「羽根沢温泉」へ直行。山形県内は全市町村に温泉がある温泉王国のため、外遊びからの温泉はもう最高です。


漁の現場で行なう「活き締め」という処理方法について。


以前の記事で、食べる魚として「忘れられた」川鮭について、書かせていただきました (詳細はコチラ)。僕は「美味しく食べよう、獲るならば」というスタンスで、人口孵化後の鮭の命を無駄にしないために、食べ方の模索をはじめました。

今回は、川鮭の美味しい食べ方について、僕の具体的なチャレンジをお見せしようと思います。今年のトライ & エラーのなかで、いくつか希望をもてる調理方法が見えてきたのです。

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受精させるため、雄の精子を絞る。日本では遡上した鮭の多くが、人の手で命を繋ぎ、最期を迎える。

ある魚の食味をベストの状態で扱うことを考えた時に、生きている間に行なう処理を「活き締め」といいます。「活き締め」は、脳死、血抜き、神経締め、という3つの処理を基本的に行ないます。

脳死は、頭を叩くか脳天を針で刺すなどで脳の機能を停止させる処置のこと。血抜きは、心臓が動いているうちにエラ (人でいう肺) を切って自らの血圧により血を抜くこと。神経締めは、簡単に言うと魚の神経を破壊することで身のエネルギー消費を抑え、死後硬直を防ぐことを指します。

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心臓が止まる前にエラを切る「血抜き」。特に重要なプロセスだ。

活き締めの3つの処理のうちで重要度をあげるとすると、血抜きが最重要な処理ということは確かだと思います。仮に血抜きをせずに他の処理だけ施したとしても、魚の身には臭みの原因となる血がまわってしまい、生臭い切り身になってしまいます。


「活き締め」で、川鮭が美味しくなるのではないか? というアイディア。


鮭川の鮭漁の現場に関して言うと、僕にとって初年度となる昨年の段階では血抜き、神経締めを行なう人は誰もいませんでした。

「活き締め」をしないから食べられないというわけではありません。ただ、血のまわった鮭はやはり生臭みが強く、地元でも「川鮭は生臭い」という声も少なくありませんでした。

調理方法についても、未処理なことで発生する生臭みを、後からいかに消すかという足し算の調理法が多かったのです。

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鮭川の鮭漁メンバーのなかでも、「血抜き」をする人が増えてきた。

そもそも、良いとされている「活き締め」が、なぜ鮭漁の現場で行なわれていなかったのか? それは、「活き締め」が手間のかかる作業であり、地魚やブランド魚などの、手間をかける価値のある美味しい魚を、さらに美味しく食べるために行なう処理、という常識があったからだと思います。市場価値の低い川鮭にそれを施す必要性も見出せなかったし、現場での作業負荷も増えてしまうという背景もあったでしょう。

でも僕は、「これだ!」と思ったのです。川鮭にこれまで行なってこなかった「活き締め」を施すことで、生臭さも解決され、新たな価値が生まれると考えたのです。

実際、特に血抜きの効果は大きく、これによりシンプルな味付けでも臭みを感じない状態になることは昨年の段階で気づきました。今年は漁期前から鮭漁メンバーに血抜きの効果に関する資料を配るなどしているうちに、現場でも血抜き処理をする人が増え、効果を実感している人も増えてきました。


さらに「神経締め」にもトライして旨味が落ちないようにした。


僕自身はさらにもう一歩前に進んでみることにしたのですが、それが「神経締め」という一手です。

脳死、血抜き処理は、比較的昔から知られていたのですが、神経締めが言われはじめたのは比較的最近ではないでしょうか。

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神経締め後の鮭は美しい。

魚の神経は、人間でいう脊髄の位置で、頭から尾まで背骨の上にあり、これをステンレス線で破壊することにより、身に余計な信号が送られなくなります。

実際にこの処理をすると、スッと魚の緊張が解けていくのがわかり、逆立った鱗がフワッと緩み、目や体の輝きが、まるで水中で魚を見るときのような美しい姿になります。つまり、死後硬直を防ぐことで鮮度を保つことができるのです。

こうした「活き締め」は魚が死んでしまうとできないため、水揚げの現場でしかできません。これをスピーディーに行なうことは、結局は魚をいかに苦しませずに素早く命を絶つかということであり、現段階ではこれが素材の旨味の最大値と思われます。


遡上で傷だらけになった川鮭の「見栄え」の現実。


鮭を塩漬けし、寒晒しにする「ようのじんぎり (鮭の新切り)」という伝統的な保存食については、以前の記事でも紹介しました。2020年は、この伝統的な手法に習いつつ、これまでされてこなかった活き締め処理をきちんと行ない、シンプルに塩のみを使った旨味の熟成を見極めようと考えていました。

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鮭川村の伝統的な保存食「鮭の新切り (ようのじんぎり)」。

ところが、鮭漁がはじまりあらためて気づいたのが、伝統食では見栄えの悪い傷だらけの鮭が多いことでした。活き締めで食味が上げると言っても、傷だらけでヒレのすり切れた鮭の塩漬けは、やはり見栄えも悪く厳しい……という現実に直面しました。

「命を無駄にしない」ということを考えると、傷の入った鮭なども含めて使い切る方法も必要だと考えるようになったのです。

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傷だらけになってしまった鮭は、伝統食としても活用しにくい。

そこで、伝統食でも価値がつけられず厄介者扱いされる傷物の雄や、採卵後の雌の活用を模索するため、漁協で協力してくれる人たちから処理を引き受けることにしました。

漁協の組合員でもこうした鮭は使い切れずに困っていた人も多いため、結果的にはかなりの数を引き受けることになりました。引き受けた鮭はすべて丁寧に「活き締め」していくので、多少傷があっても皮をひいてしまえば身質は同じです。

漁期中はこれを真空パックして冷凍保存していき、レシピは漁期後にじっくり考えていくことにしました。

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活き締めした鮭の身は、とても美しい。


鮭の魚醤。鮭を余すことなくすべて使い切る工夫。


鮭を調理する際、3枚おろしにしていく中で発生する問題は、頭や骨、ハラミなどの使えないパーツがでることなのですが、これはすべて魚醤にすることにしました。

魚醤はその魚のタンパク質をアミノ酸まで分解させて漉しとる旨味調味料のため、これにより、鮭を余すことなくすべて使い切る道筋が見えはじめました。

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魚醤の仕込みがスタート! 重さは80kg。

川を遡上した鮭の切り身は、感覚的には鶏肉に近いような身質です。唐揚げ、オイル煮といった油を足す料理との相性がいいことは間違いありません。

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鮭の唐揚げ。活き締めにより臭みはまったくなく、低脂質で高たんぱく。食感や味わいは、鶏肉に似ている。

さらに味付けについてはまだオープンにできないのですが、ある方法でシンプルかつ旨味の最大値を引きだせることが見えはじめています。世に出すべく準備を進めていますので、これはお楽しみです。

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鮭の燻製とキノコを米油と塩コショウで炒めたもの。

最後に、1匹ずつ丁寧に活き締めを行なっていく中で感じているのは、この魚たちが最期に見たのは僕、というどうしようもない罪悪感です。悲観的になっているわけでないのですが、命を扱うことへの強い責任感を感じています。この鮭をきちんと食べきることは、現代社会で失われつつある大事な感覚を取り戻すための第一歩だと思います。

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これまで、幾度となく、いろいろな調理法を試してきた。

鮭で魚醤をつくってみるというアイディアには、僕たちもびっくりしたし、さっぱりした川鮭を唐揚げにするというのも、実に美味しそうだ。

いずれも、鮭の現場に深く入り込んで生活しているからこそ出てきたアイディアであることが、ひしひしと伝わってくる。

松並くんが鮭川村に移住して2年にわたり取り組んできたことが、徐々にカタチになりはじめている。ゆくゆくは商品化をして、あたらしい川鮭の価値をつくっていきたいと考えているという。

TRAILSでも、詳細情報をオープンにできるようになったタイミングで、あらためてその全貌をレポートしてもらう予定だ。

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TRAILS環境LAB | 松並三男のSALMON RIVER #06 自然豊かな川を守るための鮭の育て方の模索

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TRAILS環境LAB | トレイルズなりの “ 大自然という最高の遊び場の守り方 ” を STUDY (知る) × TRY (試す) で模索する

文・写真:松並三男 構成:TRAILS

What’s TRAILS環境LAB? | TRAILSなりの環境保護、気候危機へのアクションをさまざまなカタチで発信していく記事シリーズ。“ 大自然という最高の遊び場の守り方 ” をテーマに、「STUDY (知る)」×「TRY (試す)」という2つの軸で、環境保護について自分たちができることを模索していく。

* * *

『TRAILS環境LAB』の記事シリーズにおいてスタートした、松並三男 (まつなみ みつお) くんの連載レポートの第6回目。

松並くんは昨年パタゴニアを退職し、山形県鮭川村に家族で移住した。そして鮭川村の鮭漁の現場で、「鮭」をテーマに環境問題に取り組んでいる。この連載を通じて、僕たちも環境保護の「STUDY」を深めていく。

松並くんの今シーズンのテーマは、大きく2つ。1つは、前回の記事で紹介した、食べないことで無駄も生じてしまっている「川鮭の美味しい食べ方を見つけること」。そしてもう1つが、今回紹介する「鮭の育て方 (増やし方)」だ。

松並くんの連載4回目の記事 (詳しくはコチラ) で、日本国内の鮭の漁獲量について、彼はこう語っていた。

「2005年から鮭の漁獲量は減少し続けており、現在はピーク時の3分の1ほどまで落ち込んでいます。一定の放流量を維持しているのに、漁獲量が減るということが起きているのです」

松並くんは、鮭川村で今まさにこの課題に新しい手法で取り組もうとしている。それは今まですべて人の手によって行なってきた鮭を育てる方法の一部に、自然環境を取り入れる方法である。

この方法は、自然豊かな川があることが前提となっている。そのため、この方法を進めることが、「健全な河川環境」を守るアクションにもなるのだ。そんな想いをもって、松並くんはあらたな鮭の育て方に挑戦している。

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鮭川に遡上してくるこの鮭を、どう育てるのか? 松並くんの想いと取り組みをたっぷりと語ってもらう。


鮭漁の現場で、「活き締め」担当として奮闘する日々。


こんにちは松並です。毎度のことですが、まずは近況報告を。10月10日から今シーズンの鮭漁がはじまり約1カ月が過ぎましたが、1日も欠かさず毎朝6時半から鮭のウライ漁 (※1) に通っています。

釣りは日本海のサワラやブリがいい時期なのですが、この時期の僕は、毎朝鮭漁があるので鮭川からほとんど動けず。その合間をぬっての楽しみといえば、家族で近所の自然の中へ繰り出すこと。鮭が泳いでいるのを見に行ったり、栗拾いに行ってみたり、生活の中に自然の恩恵を感じられるのも、この地の暮らしの楽しみです。

※1 ウライ漁:ウライとはアイヌ語で「梁 (やな)」を意味し、川をせき止めて鉄製の籠を置き、遡上した鮭がそこに入るという漁法。

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鮭漁の合間に、家族と一緒に身近な自然の中へ。

鮭漁の現場での僕のおもな役割は、鮭漁メンバーに分配された鮭の「活き締め」をすること。協力してくれる大先輩たちの鮭をひたすら血抜き、神経締めを施させてもらい、「腹切り」と呼ばれる卵を抜いたあとの雌を引き受け、捌きつづける日々です。

これまで、この雌の鮭は一番利用しきれていなかったのですが、最近はあるシンプルな仕込みによって簡単かつ美味しく、無駄なく食べる方法が見えはじめ、今はその試作や仕込みの真っただ中です。

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現場に通い、血抜き、神経締めから、食べることに関する試行錯誤の真っただ中。

鮭漁のほうは、スタートから2週間ほどは渇水で鮭がほとんどあがらず心配していましたが、10月23日に待望の雨が降り、増水とともに一気にあがりはじめました。11月8日には小さなウライ (金属製のカゴ) にどうやって入ったのかと思うほどの水揚げ (100匹以上!) があり、このままいけば例年通りの水揚げが期待できそうです。


鮭を増やすための取り組みにおいて、現在ぶつかっている壁。


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手前の木枠が雌、奥が雄。鮭漁開始から約2週間後。一気にあがりはじめた。

鮭を増やすための取り組みは、江戸時代中期の「種川制」(現・新潟県村上市の「三面川」にて、川の一部に鮭の産卵場所を整え、鮭を保護する制度) からはじまりました。その後、1888年から現在のような人工孵化事業が開始され、1980年代に鮭資源を増やすことに成功し、現代まで人工孵化事業が行なわれてきました。

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人の手で採卵、受精、育成し、放流する。日本は鮭の人工孵化大国。

以前の記事 (TRAILS環境LAB | 松並三男のSALMON RIVER #04 僕が日本の鮭「シロザケ」をテーマにした理由) に鮭に関する基本情報を書きましたが、最近は一定の放流数に対して鮭の漁獲量が減少してきていて、人工孵化事業の新しい手法や鮭本来の自然産卵の重要性など、考え方に変化が見えはじめています。

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採卵数は20億粒前後と一定であるものの、漁獲量は減少傾向にある。

そして近年、自然の河川で産卵する野生魚 (以下、自然産卵魚) が資源量の維持に影響していることが言われはじめています。

実際に、漁獲量が減りつづける日本に対し、アラスカやロシアは好漁 (2019年) となっており、この要因のひとつとして、放流魚よりも自然産卵魚の割合が高いことが影響しているのではないか、ということが言われています。

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鮭川村の「鮭孵化場」。1980年に建設され、今もここで鮭の人工孵化事業が行なわれている。


野生か人工か? の二者択一ではなく、それぞれの良さを活かした方法にチャレンジ。


日本は小さな島国ですが、広大な国土を持つロシアやアラスカなどの大陸よりも多い放流数となっています (※2)。しかし、その状況にもかかわらず、日本の漁獲量が減少しているのは、孵化事業に偏りすぎているからではないか? そう疑問を抱くのは当然の流れです。

日本の研究において、人工孵化事業による放流魚よりも自然産卵魚の回帰率が高いという結果もでており (※3)、これまでの日本で軽視されてきた自然産卵魚の保護が求められはじめているのです。

では、どうしたらいいか? ということですが、日本ではこれまで人工孵化の成功により鮭資源を増やしてきた歴史があり、アラスカやロシアよりも国土の狭い日本の地理的特性、ダムや堰や開発により生息環境である川が分断されている現状を考えると、ある程度は人の手を入れて資源量をキープしていくことも必要と考えられます。

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近年は、一定の放流数に対して鮭の漁獲量が減少してきている。

自然産卵魚の保護に力を入れつつも、水系ごとに異なる地理的特性を活かし、さまざまな方法で命をつないでいくことが重要です。それにより、何らかの要因で資源量が減った時にもリスク分散ができ、それぞれの強みで補填しあうことができます。

※2 北太平洋におけるさけます資源状況と令和元年 (2019年) 夏季ベーリング海調査結果 http://hnf.fra.affrc.go.jp/event/sakehou/r02sakehou_02.pdf

※3 北海道千歳川におけるサケ野生魚と放流魚の回帰率の比較 https://www.fra.affrc.go.jp/bulletin/fish_tech/11-1/110102.pdf


自然産卵魚のサイクルに近い人工孵化「発眼卵放流」。


その一手として考えられている新しい人工孵化手法が、人工孵化事業と自然産卵魚の特性を活かした「発眼卵放流」です。古くから渓流のイワナ、ヤマメなどで行なわれている手法ですが、鮭ではまだ研究段階の手法です。

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白くなった死卵を取り除く作業。卵に黒い眼が見えはじめているが、この段階で川に埋め戻すのが「発眼卵放流」だ。

これは、採卵から受精まではこれまでの孵化事業と同じですが、稚魚まで育てずに発眼卵(受精後、卵の中で眼がはっきりと見える状態まで育ったもの)を川へ埋め戻していくという方法です。孵化から先は自然産卵魚と同じプロセスとなるため、魚を育てる手間やコストを抑えつつ、自然産卵魚に近い強い稚魚を増やすやり方です。

稚魚になる前に川へ戻す発眼卵放流は、今まですべてを人の手によって「孵化させて稚魚を育て放流する」ところまで管理してきたものを、その一部を自然の環境に戻すという方法です。

この手法についての研究を進める日本水産研究機構の飯田氏によると、自然産卵魚の保護には「隔離」と「融和」の2つの方策があるといいます。

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中央を流れる本流が鮭川で、右側の支流が孵化事業が行なわれている泉田川。ウライ (金属製のカゴ) も見えている。川幅のある本流にも、野生の鮭は数多く遡上し、自由に産卵できる「健全な河川環境」がある。

人工孵化事業を行なう河川と完全に自然の中で産卵・孵化させる河川をはっきりと分けていくという考え方が「隔離」方策で、国土が大きいアラスカなどではこの方策がとられていることが多いそうです。

これに対して人工孵化の方法をなるべく野生のサイクルに近い手法に切り替えながらも、一つの河川に自然産卵魚と人工孵化によって孵化する放流魚の両方が混在するのが「融和」方策です。

国土が狭く、ほとんどの河川で孵化事業が主体となっている日本では、この「融和」方策が有用なのではないかと考えられ、そのなかの一つの手法が「発眼卵放流」です。


鮭という魚をきっかけに、「自然豊かな川」を守っていく。


僕がこの手法を進める一番の狙いは、この手法の前提として「魚がたくさん住める、自然豊かな川」を守っていくことにもつながるからです。

自然産卵魚に近い形で、卵の状態で川に埋め戻していくということは、そこに稚魚が育つための河川環境がないと成立しないのです。

つまり、これを成立させるためには、堰などで海から上流まで分断しないことや、餌となる虫などがたくさんいること、魚の付き場や逃げ場となるような瀬や渕などの地形に変化があること、泥や砂がたまらず一定の水流があることなど、結果的にはさまざまな魚や生き物が住みやすい「健全な河川環境」につながっていきます。

これは当然、釣師としても最高に楽しい河川環境を意味します。この手法の研究を進める飯田氏も、真の狙いは「鮭という魚をきっかけに、川を開発から守り、魚がたくさん住める河川環境を取り戻していくことにある」といいます。この手法の最前線にいる研究者と想いを共有できたことも、これを進めていきたい理由の一つです。

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発眼卵放流を行なう予定の「泉田川」。鮭孵化場の前を流れ、適度な水量、流れ、石のサイズで、水質も素晴らしい。

雪深く、水源となる広大なブナの森に囲まれて穏やかに流れる鮭川は、全国で16河川しかない「最も水質がいい川」(※3) でもありながら、その地形も原始に近いかたちで残っており、人と自然のバランスが素晴らしい地域です。

さらに、人工孵化事業は鮭川の支流である泉田川でのみ実施されており、泉田川との合流点より上流のエリアには人工孵化による放流が行なわれていないため、自然産卵魚も数多く存在しています。発眼卵放流を計画している泉田川もまた、鮎やカジカなども数多く生息する素晴らしい水質の川です。

今年度は、これまでの人工孵化事業の余剰分で発眼卵放流をテストする予定のため、余剰が出ていない現段階ではまだ実施できるかはわかりません。うまくいけば12月上旬に川に卵を戻し、生残率(河川でどれくらい孵化できたか)を確かめる予定です。

※3 令和元年、国土交通省発表 https://www.mlit.go.jp/report/press/mizukokudo04_hh_000138.html

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鮭川の全景。画面右側の支流がウライ漁の現場。原始の地形が残り、周辺は水源となる広葉樹の森に囲まれている。


里山の人と自然の共生関係のような、適度な糧を得ていく生き方を目指して。


前回の記事で書いた「鮭を食べること」は、実はこの人工孵化事業「鮭を増やすこと」による副産物でもあります。人の手で採卵、受精させるため、必ず親となる魚が水揚げされます。

自然界の過酷な生存競争を勝ち抜いて産まれた川に戻り、人の手で子孫へと命をつなぎ終えたありがたい亡骸であるため、これを食材として無駄にせず、ありがたくいただくことは重要です。

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川を遡上してきた鮭の切り身。脂質の少ないこの魚を、いかに美味しく食べるかも試行錯誤中。

発眼卵放流はゴールではなく、人の都合に偏りすぎた手法から、里山の生態系のように人も自然の一部として適度に手を入れつつ、適度に糧を得ていく流れへのターニングポイントだと思っています。人が自然を支配しようとするのではなく、自然のリズムに人が合わせていくことができれば、結果的にはそれが無駄の少ない生き方となるはずです。

魚たちがたくさん生息する水辺を夢見て、今できる確かな一歩を踏んでいきたいと思います。

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人の手で命を繋いだ雄 (上) と雌。人の手が入る以上、ありがたく食べきるために、できることを考えていく。

松並くんにとって、減少してきた鮭の資源量を守ることは、自然豊かな川を守ることにつながっている。

孵化から稚魚へと育てる環境を、自然の川のなかで行なう「発眼卵放流」という方法は、自然豊かな川でなければ、できない方法である。記事の中でも書いてくれているとおり、この方法を進めることが、「健全な河川環境」を守るアクションにもなるのだ。そんな想いをもって、松並くんはあらたな鮭の育て方に取り組んでいる。

「発眼卵放流」については、うまくいけば12月上旬にその最初のテストが実施できるという。

もし実施できたとしたら、その内容と結果を次回の記事で紹介してもらおうと思う。

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TRAILS環境LAB | 松並三男のSALMON RIVER #05 命を無駄にしない川鮭の食べ方の模索

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TRAILS環境LAB | トレイルズなりの “ 大自然という最高の遊び場の守り方 ” を STUDY (知る) × TRY (試す) で模索する

文・写真:松並三男 構成:TRAILS

What’s TRAILS環境LAB? | TRAILSなりの環境保護、気候危機へのアクションをさまざまなカタチで発信していく記事シリーズ。“ 大自然という最高の遊び場の守り方 ” をテーマに、「STUDY (知る)」×「TRY (試す)」という2つの軸で、環境保護について自分たちができることを模索していく。

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『TRAILS環境LAB』の記事シリーズにおいてスタートした、松並三男 (まつなみ みつお) くんの連載レポートの第5回目。

松並くんは昨年パタゴニアを退職し、山形県鮭川村に家族で移住した。そして鮭川村の鮭漁の現場で、「鮭」をテーマに環境問題に取り組んでいる。この連載を通じて、僕たちも環境保護の「STUDY」を深めていく。

10月に入り、待ちに待った鮭漁のシーズンが到来した。

松並くんの今シーズンの大きなテーマは、「川鮭の美味しい食べ方」を見つけること。というのも、僕たちがふだん食べているのは、脂の多い「海の鮭」。一方、一般的に川鮭は脂が少なく美味しくない鮭とされており、その命をきちんと活用されていない現状があるのだ。

知識として、鮭が遡上して産卵後に一生を終えることは知っていた。比較的、食べ物を粗末にしない文化がある日本において、僕たちもそのことに対してかわいそうという思いはあれど、その命に感謝してなんとかして食べようとまでは考えたことがなかった。

そこに真剣に取り組んでいるのが松並くんであり、僕たちはそこに一番関心を抱き、彼をこの『TRAILS環境LAB』で取り上げたいと思ったのだ。

今回はそんな松並くんの、川鮭の命を無駄にせずにきちんと食べ物として命をいただくための、試行錯誤の日々を紹介する。

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今の時期は鮎漁も盛ん。川の大先輩たちは80~90歳でもガンガン川に入り、網を打つ。


10月、渓流シーズンは終わり、僕の遊びは鮎漁と清流シーバス探し。


こんにちは松並です。まずは毎度おなじみですが、今回のテーマである「シロザケ (※1) の食べ方」の話に入る前に、僕の近況報告から。

この時期は鮎漁が盛んで、10月初旬に大下り (満月・大潮で一気に川を下る日) がありました。僕が入らせてもらっている漁場では、午前中の3時間程度、投網だけで700匹というなかなかの豊漁でした。一緒に川に入る90歳の大先輩によれば、ここ数年にない大漁とのことです。

※1 シロザケ:日本で一般的に鮭といえばほとんどの場合「シロザケ」を指す。日本のシロザケは、産まれた川から海へ下り、餌を求めてアラスカ周辺まで1万km以上の旅をする。そして2~8年ほど (大多数が4年) で産まれた川に戻り、産卵し、その一生を終える。詳しくは前回の記事にて。

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自作ルアーで釣ったスモールマウスバス。本命のシーバスにはまだ出会えていない。

今期はその豊漁の鮎を追って、海から60km上流の僕が住むエリアまで遡上しているシーバスが多いとの情報があり、鮎の投網かシーバス釣りか、どちらに向かうか悩ましい今日この頃です。

今のところシーバスはまだ出会えず、同じく鮎を追っているスモールマウスバスとナマズばかりですが、行けばなにかしら釣れる川の豊かさを実感しています。シーバス用に思い付きで作った会津桐のトップウォーター (表層) ルアーもなかなかいい感じに魚を引き出してくれていて、来シーズンに向けた冬のルアー作りも楽しみです。


広く流通する「海の鮭」と、孵化事業のための「川の鮭」。


さて、本題の鮭の話です。2020年10月11日 、鮭川にウライが設置され、鮭漁が始まりました。ウライは、アイヌ語で簗 (やな) を指す言葉です。

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ウライ漁で水揚げされた川鮭。そのほとんどが、孵化事業のため。

鮭漁は、雪が降り始める12月初旬あたりまで行なわれます。鮭の遡上は9月下旬くらいから始まり、秋が深まる11月をピークに、ウライ漁が終わった後も1月くらいまでは遡上が続きます。

ちなみに、現代の鮭は「さけ」「しゃけ」「サーモン」といった名前で、スーパーやコンビニなど、1年中どこにでも売っています。日本ではだれもが知っている魚の名前だと思います。

通年で出回るようになったのは、海外での養殖が本格化した90年代あたりから。チリを中心に海で養殖された鮭は、脂がのっていて、刺身などの生鮮品としても広く出回るようになりました。

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チリ産の養殖鮭の刺身。今や、1年中どこでも買えるようになった。

市場に出てくる日本の天然鮭には、さまざまな呼び名があります。トキシラズ、めじか、けいじ、銀毛 (ぎんけ) などが有名ですが、すべて同じシロザケです。

いずれも外洋を回遊する銀ピカの未成熟の個体です。この「海の鮭」は、卵巣や精巣が発達する前の鮭で、脂質が多く旨味が強いのが特徴で、高級魚として市場にでてきます。

それに対して「川の鮭」は、卵巣や精巣が発達し、脂も少ないため、市場では価値が低い魚とされています。川に入り婚姻色 (繁殖期にあらわれる特有の体表面の色) となった成熟した鮭は、紅葉したブナの色に似ていることから「ぶなっけ」と呼ばれています。

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鮭川で獲れた成熟したシロザケ。市場では「ぶなっけ」と呼ばれている。

価値が低いなら獲らなければいいのですが、鮭の場合はそういうわけにはいきません。今の日本では、川の鮭を獲る目的は孵化事業を行なうためだからです。鮭の資源量をきちんと保つためには、孵化して育ててそれを放流することが必要である、という国の方針があるのです。


川鮭の命の扱い方。命を感謝していただく、川鮭の食べ方の模索。


昨年、僕が孵化事業の現場で一番考えさせられたのが、川鮭の命の扱い方です。

川で水揚げされた鮭は、頭を叩き気絶させ、卵を抜き、精子を絞られ、その命が尽きます。

野生にしても孵化事業にしても、川に戻ってきた鮭は、海での激しい生存競争を生き抜き、故郷まで戻った精鋭たちですが、その最期を人の手で迎えるという運命にあります。

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水揚げ後、「えびす棒」と呼ばれる棒で頭を叩き、気絶させ、孵化事業に使用する。

現場の人たちは、鮭が帰ってきてくれた喜びとともに、自分たちの手で尽きていく命に対して複雑な感情を持っている人も多いと思います。鮭漁を行なう大先輩が水揚げされた鮭たちの頭を叩きながら、「こんなこと毎日してたら、ろくな死に方しないだろうなぁ」とつぶやくのを聞いたとき、「本当、そうだよなぁ」と思いました。

食べることは、尽きる命と向き合うことであることをあらためて思い知らされます。美味しいとか美味しくないとか、かわいそうとかそういうことではなく、人の手で尽きていく命ならば、もっと感謝していただくような食べ方が必要なのではないかと思うようになりました。

鮭川の場合は、水揚げした採卵・放精後の鮭は鮭漁メンバーで分配します。加工して販売している人もいれば、近所に配って終わりという人など、鮭の扱い方はそれぞれのようです。

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鮭川村の伝統的な保存食「ようのじんぎり (鮭の新切り)」。

僕の住んでいる山形県鮭川村では、鮭のことを「よう」と呼びます。山形だけでなく、日本海沿岸で「よう」という言葉は鮭を指すことが多いそうです。この言葉は、アイヌ語の「イヨ・ボヤ」という「魚の中の魚」という意味の言葉からきていると言われています。

鮭を塩漬けし、寒晒しにする伝統的な保存食を「ようのじんぎり (鮭の新切り)」と呼びます。これは一部の鮭漁メンバーによって製造、販売もされています。

しかし、その販売数は決して多くはなく、さばききれないときは畑に埋めていることもあったという話も聞きました。さらに、地元の若い人たちに聞くと、川鮭の独特な香りが苦手だという人も多いようです。


食べ物としての市場価値が低くなった川鮭の現実。


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下処理後のシロザケ。この魚の味を最大限活かす食べ方の模索が始まる。

こうした経緯から、もっと食べやすい味にならないのだろうか? という疑問が生まれ、鮭の身質 (みしつ) についての論文を探し、鮭を扱う水産加工業者や水産試験場など、あちこちに相談しました。

聞き込みをしていく中では、川鮭の味についての前向きな意見は少なく、「そんな魚使わないよ!」という声も何度も聞きました。地域によっては孵化事業後の鮭が産業廃棄物になっているケースもあると聞き、厳しい現実を知りました。

昔ながらの食文化が残っていることも重要ですが、それだけでは限界があります。だからこそ、川鮭の新しい食べ方の提案が必要だと考えるようになったのです。


「川鮭は脂が少なくおいしくない」は本当? 新しい食べ方の実験開始。


川鮭の新しい食べ方として思いついたのが、血抜きによる身質向上の可能性でした。魚を食べるのが好きな釣師なら知っている人も多いのですが、魚は血抜き処理で味が大きく変わります。

鮭川の漁場では血抜きをせずにそのまま持ち帰る人がほとんどで、腹を開けると大量の血が残っていて、白子や内臓も血がしたたる状態です。

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現場での血抜き処理。エラを切ると、心臓の鼓動によって血が抜けていく。死んでしまうとできない重要な下処理。

さらに、鮭の身質に関する論文 (※2) からも、川に遡上した鮭は脂質、タンパク質量、アスタキサンチン (オレンジ色の色素) が減少し、水分量が増加することがわかりました。

自分の経験からも、たとえばヒラメのような水分量が多くて脂質の少ない淡泊な白身魚は、水溶性の血液が身にまわりやすい印象もあったので、こうした身質の特性からも血抜きの重要性を感じるようになりました。

このことを確かめるには、自分で食べるしかありません。水揚げの現場に通って仕入れたものを血抜き処理し、生、焼、煮、干、燻と、思いつく食べ方を試しました。

※2 北海道大學水産學部研究彙報の「アキサケの高度利用に関する研究 (2)」を参照。https://agriknowledge.affrc.go.jp/RN/2010340676.pdf

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仲間とのシロザケ食べ比べ。この日は、生から半生くらいの燻製をいただいた。普通に美味しい!

また、つながりのある飲食店や知人に協力してもらい、鮮魚でも出荷し、フィードバックをもらいました。

昨年は、細かいところまでは詰め切れませんでしたが、思っていた以上に美味しいと感じた方法もいくつかありました。この鮭にしか出せない個性とシンプルな活かし方が徐々に見えてきたところで、2年目となる今シーズンを迎えます。


川鮭を美味しく食べるために、日々、試行錯誤中。


「美味しく食べよう、獲るならば」。このシンプルな思考で、進めています。現段階では明確な答えはなく、試行錯誤の真っただ中です。

伝統から学びながら、今だからこそできる食べ方や価値があるはずです。

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今期は、今年から加わった若手鮭漁師、矢口春巳さんの鮭を中心に試行錯誤していく予定。

初年度の取り組みのなかで、興味を持ってくれる仲間も増えてきました。今シーズンは、まずは自分たちでひたすら食味のテストをしていくことになりそうです。

これを書いている今日 (10月15日) の段階では、まだウライには鮭が入らず。早く鮭が上ることを祈るばかりです。

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最上漁協鮭鱒部会「ウライの会」のみなさん。

毎年、鮭川を遡上してくるたくさんの鮭 (シロザケ)。それを活用しきれず、無駄にしてしまっている現実を目の当たりにした松並くんの「新しい食べ方」へのチャレンジは、今シーズンが勝負の年。昨年中に考えたさまざまなアイディアを、実際に漁で上がった川鮭で試してみるシーズンとなる。今後も、このチャレンジを追いかけていきたい。

さらに松並くんは、食べ方だけではなく、「育て方 (増やし方)」にも着目している。「発眼卵放流」という手法を用いることで、環境に耐性のあるより天然に近い川鮭を増やすことができるそうだ。

次回は、その「育て方」にまつわる取り組みを紹介してもらうので、お楽しみに。

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TRAILS環境LAB | 松並三男のSALMON RIVER #04 僕が日本の鮭「シロザケ」をテーマにした理由

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文・写真:松並三男 構成:TRAILS

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『TRAILS環境LAB』の記事シリーズにおいてスタートした、松並三男 (まつなみ みつお) くんの連載レポートの第4回目。

松並くんは昨年パタゴニアを退職し、山形県鮭川村に家族で移住した。そして鮭川村の鮭漁の現場で、「鮭」をテーマに環境問題に取り組んでいる。この連載を通じて、僕たちも環境保護の「STUDY」を深めていく。

今回から、いよいよ本題の鮭の話に入っていく。

鮭は川で生まれ、広い海を1万kmも回遊し、また川に戻ってくる旅する魚である。そこで松並くんは、鮭が生きる自然が保たれることは、川の環境も、海の環境も保つことにつながるのでは、と考えた。

そして豊かな自然が残る鮭川に住み、鮭を獲ること、育てること、食べることについて真剣に向き合いはじめる。

今回は「鮭と自然と人間」をめぐる、松並くんのチャレンジの導入編となる記事になっている。

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たくさんの鮭が溯上する鮭川。日本では16河川しかない「水質が最も良好な河川」に選ばれている素晴らしい清流です (令和元年度の国土交通省の発表資料より)。


9月、鮭川村では鮎の最盛期。僕はあいかわらず釣りバカ生活。


こんにちは松並です。9月は渓流釣りのラストスパート、日本海の釣りも魚種が豊富な時期です。自然に囲まれた山形の最高の生活環境で、釣りバカとしては釣りに出かけずにはいられません。

ということで、今回の記事のテーマである「鮭」の話に入る前に、まずは僕の近況を紹介させていただきます。

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ちょっとした暇を見つけては、渓流釣りに繰りだしています。

渓流釣りの一方で、僕が住む山形県の鮭川村では、鮎が最盛期を迎えています。自然が豊かできれいな川なので、鮭だけではなく、鮎もたくさん上がってきます。僕自身も組合員なので鮎漁にも参加します。

鮎漁は、地元の農家さん中心に、釣りはもちろん、刺し網、簗 (やな)などの網を使った川漁をする人も多いです。

「鮎止め」という鮎漁では、地元の人たちが、河原の草を刈り、束ね、石を積み、鮎止めを作ります。かけた魚が浮いてくる瞬間、このわくわく感は、子どもの頃からまったく変わりません。

そして炭火で焼く鮭川の鮎の塩焼きは、内臓までまるごと本当に美味しいんです。

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河原に柳を刺し、川を下る鮎を一時的に足止めしたところに網を打つ漁法「鮎止め」。


なぜ僕は自分のテーマに「鮭」を選んだのか。


ここからが本題の鮭の話です。

僕はこれまで漁師や水産関係の仕事をしてきたわけではありません。生まれも育ちも神奈川なので、鮭は身近な魚ではありませんでした。

そんな僕がなぜ「鮭」という魚を選んだのか。その理由は、鮭がどの魚よりも長旅をする魚であることにあります。

鮭が生きる自然は、川から海まで広い環境が対象になります。だから鮭が住む環境を指標にすれば、他の多くの魚にも恩恵があると考えたのです。

まさに鮭は、海の価値も川の価値も体現する魚だと言えます。

今回は、鮭についてのお話の第一弾として、僕のテーマである「シロザケ」を紹介します。

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鮭川のシロザケ。


鮭が森をつくる “Salmon make a forest”


日本で一般的に鮭といえばほとんどの場合「シロザケ」を指します。

日本のシロザケは、産まれた川から海へ下り、餌を求めてアラスカ周辺まで1万km以上の旅をします。そして2~8年ほど (大多数が4年) で産まれた川に戻り、産卵し、その一生を終えます。川の上流域から外洋まで、壮大な旅をする魚なのです。

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シロザケは、日本で生まれアラスカまで回遊し、1万km以上の旅をして、再び生まれた川に戻ってくる。

「鮭が森を作る。~Salmon make a forest.~」これは北米先住民のことわざとして有名です。

鮭は、海で貯えた栄養を陸域に運ぶ重要な役割を担っています。川に戻った鮭を様々な動植物が食べ、森の栄養として還っていくとうことは、昔からよく知られています。

鮭は川を遡上し、産卵をした後に川で死にます。その亡骸は虫などの餌になり、春に生まれてくる鮭の稚魚たちの餌にも繋がっていきます。

鮭が川を上ることは、生態系にとって大きな意味があるのです。

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川に沈む鮭の亡骸。分解されていく途中の姿。亡骸が森の栄養として循環する。


鮭が獲れる量は、年々減少している。


環境問題のひとつとして、水産資源の枯渇という問題があります。現在サンマ、ウナギをはじめ、さまざまな魚種の不漁が取りざたされていますが、日本における鮭の漁獲量も年々減少しています。

ここで少し、日本でどのように鮭を育て、獲っているのかをお話します。

鮭を増やすために行なっているのが、孵化 (ふか) 放流事業です。秋に川に上った鮭を人の手で採卵、受精させます。その後、春までに約1g (3~4cm) まで育てます。そして再び川に放流します。これが孵化放流事業の中身です。こうして鮭がまた獲れるようにしているのです。

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人の手によって、孵化して育った稚魚。

ちなみに北太平洋全域におけるシロザケの放流数は、年間約35億尾 (令和元年)。そのうち約20億尾が日本と、ロシア、アラスカ、カナダといった広大な国土を持つ国々があるなかで、圧倒的な放流数となっています。

この孵化事業は、1888年 (明治21年)に千歳の孵化場からスタートしました。約80年の試行錯誤を経て、1970年代から鮭の漁獲は増え始め、孵化事業が成功に転じたとされています。

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鮭の卵。人の手で繋がった命。

ところが、2005年から鮭の漁獲量は減少し続けており、現在はピーク時の3分の1ほどまで落ち込んでいます。一定の放流量を維持しているのに、漁獲量が減るということが起きているのです。昨年は、特に東北の太平洋側の遡上量が極端に少なく、歴史的不漁という言葉でニュースにもなりました。

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採卵数は20億粒前後と一定であるものの、漁獲量は大きく減っている。

人工孵化事業には育成や管理にかなりの経費がかかることもあり、今は自然産卵や野生魚の価値が見直され始めています。


縄文から現代まで、鮭とともに生きてきた鮭川村の文化。


僕が住む鮭川村は、自然の川が残り、鮭とともに暮らしてきた生活文化がある村です。僕はここに、人間、川、魚がよい方向に向かっていくヒントがある気がしてならない、と今は確信しています。

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鮭川村の鮭漁の様子。ウライ (金属製のカゴ) に入った鮭をみんなですくい上げる「ウライ漁」。

鮭川村という地名は、この村の中央を流れる鮭がたくさん上る川「鮭川」が由来となっています。『鮭川村史』には江戸時代に「おびただしい数の鮭の遡上あり」という記録があります。

またさらに遡って、この地には縄文時代より鮭を食べてきた歴史があります。鮭川の鮭は、厳しい冬を乗り越えるための貴重な食料として繋がってきた大切な命です。

ちなみに「鮭」がつく自治体名は日本中で、鮭川村しかありません。それほど、この村と鮭の結びつきは強いということなのでしょう。

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最上漁協鮭鱒部「ウライの会」の方々。

鮭川では漁獲のほとんどがウライ漁によるものです。ウライとはアイヌ語で「梁 (やな)」を意味し、川をせき止めて鉄製の籠を置き、遡上した鮭がそこに入るという漁法です。

鮭漁を手がけているのは専業の漁師ではなく、ほとんどの人が農家。稲刈りを終えた頃に鮭漁を行ないます。今のような食生活になるまでは、雪深い冬の貴重なタンパク源を確保することが主な目的とされてきました。


鮭を育てるための鮭川村の営み。


鮭川村の鮭漁は10月中旬~12月初旬まで、朝6時半から毎日行なわれます。まず、ウライに入った鮭を網ですくいあげ、暴れる魚を「えびす棒」と呼ばれる木の棒で頭をたたき気絶させ、オスとメスに分けます。

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メスは採卵し、卵は孵化事業に使用する。

そして、メスは腹を裂いて採卵し、採卵した卵にオスの精子をかけ、受精させます。ここまでを仲間で分担して作業します。

採卵後の雌と放精後の雄は、その日の漁に参加した仲間で公平に分け合います。次に、一部の人で孵化場に卵を移す作業を行ないますが、ほとんどの人は取り分を軽トラにドサッと積んで帰っていきます。

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孵化場で育った放流直前の稚魚たち。

その後、卵か稚魚への育成期間は3月まで休みなく続きます。鮭の稚魚は約1gまで育つと川に放流されます。

放流はなかなか豪快で、育成しているプールの栓を外すと排水溝を通じてそのまま稚魚が川に流れていく仕組みになっています。60年以上鮭漁に関わってきた大先輩も、送り出すときはいつも我が子との別れのような気持ちになるそうです。

こうして鮭川では今も、秋に鮭が命を繋ぎ、冬に鮭の子たちが生まれ、春には大海原に旅立ちます。


鮭を食べること。育てること。


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鮭の慰霊碑。鮭の終わりとはじまりの場所。

このように人工孵化の現場では、鮭を獲って、卵を取り出し、稚魚になったら放流するということをやっています。

しかし人工孵化といっても、鮭たちはその生涯のほとんどを自然の中で育ちます。人工孵化の現場の人たちは、必死に帰ってきてくれた鮭たちへの感謝の気持ちを忘れません。

野生か人工かという議論がありますが、人も生態系の一部だと考えれば、ある程度人の手が入った野生もまた意味があると思います。それは里山と同じように、自然と人間との共生方法のひとつではないかと思います。

一部で人工的な手法を取り入れたとしても、自然の恵みに対する感謝の気持ちを失ってはいけないと思います。

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シロザケの切り身。この魚を、どう食べていくべきか。

こうした歴史や現状、初年度の現場体験を踏まえ、今シーズンは「発眼卵放流」と「川鮭の最高の食べ方」この2つを主軸に挑戦します。

詳細は次回となりますが、川鮭の存在価値を高めることで、鮭が上りやすい自然の川を残すことを目指します。

アユ漁 83歳の川の師匠
鮭川村に移住してきた僕の、川の師匠。83歳のいまもなお現役。師匠からもたくさんのことを学ばせてもらっている。

「鮭」という具体的なひとつのテーマから、環境問題から現代の生活スタイルまで、実にいろいろな観点で自分たちの暮らし方を見つめ直すことができる。

最後に少し触れられているが、次回は、川鮭の「食べ方」にフォーカスしてお届けする。

現在では、川を遡上した鮭は「脂のないおいしくない魚」とされ、市場にはほとんどでなくなってしまった。しかし松並くんは、川鮭の処理方法・調理方法を見直し、「食べる魚」として川鮭を無駄にしない方法にチャレンジしようとしている。

また次回をお楽しみに。

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TRAILS環境LAB | 松並三男のSALMON RIVER #03 パタゴニアでの10年間 〜 山形県鮭川村という鮭漁の現場への移住

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TRAILS環境LAB | トレイルズなりの “ 大自然という最高の遊び場の守り方 ” を STUDY (知る) × TRY (試す) で模索する

文・写真:松並三男 構成:TRAILS

What’s TRAILS環境LAB? | TRAILSなりの環境保護、気候危機へのアクションをさまざまなカタチで発信していく記事シリーズ。“ 大自然という最高の遊び場の守り方 ” をテーマに、「STUDY (知る)」×「TRY (試す)」という2つの軸で、環境保護について自分たちができることを模索していく。

* * *

『TRAILS環境LAB』の記事シリーズにおいてスタートした、松並三男 (まつなみ みつお) くんの連載レポートの第3回。

松並くんは昨年パタゴニアを退職し、山形県鮭川村に家族で移住した。そして鮭川村の鮭漁という現場で、「鮭」をテーマに環境問題に取り組んでいる。この連載を通じて、僕たちも環境保護の「STUDY」を深めていく。

第3回の今回は、松並くんが10年にわたって在籍したパタゴニアで学んだことと、その後、山形県鮭川村に住むことに決めた経緯について語ってもらう。

3回目にして、いよいよ松並くんのなかで「環境保護」と「鮭」がどのようにリンクしているのかという本題に触れることになる。

まずは彼自身が「僕の人生に大きな影響を与えた」と言う、パタゴニアでの経験から今回の話は始まる。

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勤務していたストアの仲間たちとクライミング。スタッフみんなで海や山へ行くことも多く、こうした時間が仕事につながっていく。


僕の初パタゴニアは、大学時代に古着屋で買ったブルーのジャケット。


前回の記事 (TRAILS環境LAB | 松並三男のSALMON RIVER #02 釣りバカ & ヨコノリ少年が環境問題に目覚める) で紹介した海岸清掃の仕事を終えたあと、25歳でパタゴニアに入社し、約10年を過ごした。

退職した会社のことをあれこれ書くつもりはまったくないのだけど、この会社が僕の人生に大きな影響を与えたことは変わりようのない事実。あくまで僕自身が経験したプロセスの一部として、今回はパタゴニアとの出会いから鮭川村への移住までの話を書いてみようと思う。

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大学時代の写真。My First Patagoniaはこのブルーのジャケットで、当時の冬の釣りを支えてくれた頼れる相棒だった。

パタゴニアとの最初の出会いは、大学1年のときに古着屋で買った一着のジャケットだった。当時はパタゴニアという会社のことをよく知らず、なんとなく買った一着だったが、温かくてとにかく頑丈、シンプルなデザインがお気に入りだった。

次の接点は、大学3年の学園祭のゴミ対策を考えていたときだった。非木材紙容器、国産間伐材割り箸につづき、学園祭で毎年サークルごとに作られるTシャツをオーガニックコットンにしたいと考えた。それで業者を探していたときに、パタゴニアにたどり着いた。問い合わせると、当時「Beneficial T’s」という名前でオーガニックコットン100%の無地のTシャツを販売していたため、これを大学で販売することにした。

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大学の学園祭で販売窓口を担当した、パタゴニアのオーガニックコットンTシャツ「Beneficial T’s」。

このTシャツ販売の打ち合わせで鎌倉にあったオフィスを訪ねたときのこと。担当のNさんがTシャツ、短パン、サンダルでリラックスした姿で仕事をしている姿が最高にカッコよかった。

就活という言葉がちらつき始めた大学3年生の自分にとって、「この働き方、いいなぁー」と、パタゴニアへの思いは一気に高まっていった。


パタゴニア社員は「遊ばざるもの働くべからず」。


その後、書籍「社員をサーフィンに行かせよう」を読んだことで、パタゴニアの理念を知った。これによって興味はさらに深まり、大学卒業直後に直営店スタッフに応募したが、このときは不採用だった。

もちろん悔しさもあったが、このあとに山形の蔵王や小笠原の仕事、海岸清掃員など、さまざまな経験を積み、さらには蔵王で妻と出会うことができたので、結果的にはこのときは不採用でよかったのだと思う。

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「社員をサーフィンに行かせよう」(著 イヴォン・シュイナード)。この本にある考え方は、何度読み返しても色褪せない。

そして、1度目の面接から3年後の25歳のとき、大崎ストアオープニングスタッフ募集のタイミングでもう一度応募。パートタイムでの入社が決まったときは本当に嬉しかった。

社内では「遊ばざるもの働くべからず」という言葉があった。気まぐれな大自然を相手に全力で遊ぶための柔軟な働き方があり、社員同士がフィールドに出ていく人の背中を押すような文化があった。僕の場合は人が少ない1月末の雪山、4月中旬の南の島とか、雪と魚に関してだいぶこの恩恵を受けてきたと思う。

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毎年恒例の月山BC。テント泊で語る夜もまた最高の時間。

2009年の大崎ストアオープニングから1年、神田ストアで6年、横浜ストアで3年。パタゴニアで過ごした10年はあっという間で、どのストアも本当に素晴らしい時間だった。

仕事と遊びの境界線はあいまいで、気の向くままに仲間と海や山へ通い、直営店はその世界観を細部まで体現する場所だった。


細部の細部まで染み込んでいる、過剰なまでの理念へのこだわり。


「私たちは、故郷である地球を救うためにビジネスを営む。」

これは現在のパタゴニアが掲げるミッション・ステートメント。オーガニックコットン、リサイクルポリエステルなど、製品すべてになんらかの環境ストーリーがあり、直営店では業務に使うペン1本まで、ビジネスに関するすべてのプロセスがこのミッション・ステートメントに紐づくべく、徹底されていた。

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「パタゴニア 環境的・社会的イニシアチブ2018」(右)。環境および社会のための活動をまとめた報告書。

印象的な仕事は、20年目を迎える横浜ストアの改装に携われたこと。たとえば什器、床、テーブルなど、ストアを作る材料をすべて古材と神奈川県産の材料を使うなど、細部の細部まで理念が行き届いたストアができあがっていった。

このプロセスに社員として参加させてもらえたことは幸運だったと思う。こうした姿勢は新しく入ってくるスタッフにも伝染していくもので、ビジネスの結果にも直結していた。

環境問題への対応に終わりはなく、常にいい意味で課題を感じながらの日々を過ごしてきた。パタゴニアで学んだこうした姿勢は、今後の仕事においても忘れないようにしたいと強く思ったし、今も自分の中に息づいていると感じている。

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横浜ストア改装前の最終営業日。10年間を通じて、最高の仲間に恵まれた。

あと、パタゴニアで得た大きな財産は「人との出会い」だ。この会社を通じて出会う人たちは、社内外問わずパワフルで、前向きで、社会を変えていこうと強い意志を持つ人ばかりだった。TRAILSとの出会い (※1) もそのひとつ。同僚、カスタマー、関係者含め、ここには書ききれないほど素敵な仲間たちと出会うことができた。

※1 TRAILSとの出会い:TRAILS編集部crewの佐井夫妻が、松並くんが働いていたパタゴニア神田店の常連だった。それが最初の出会い。その後も、たびたび接点があった。詳しくはコチラの記事。


現実では自然が失われていくスピードは、緩まるどころか加速している。


悔しい現実もたくさんあった。自分の思いを重ねた大好きな企業でやりがいを感じながらも、守ろうとした里山がショッピングモールに埋まり、必要と思えないゴミ処分場が離島や山奥の水源の上に建てられ、必要性を感じないダム開発が進んでいき、蛍が飛び交う里山の開発計画が進み、相変わらず海はゴミだらけで、開発や乱獲で魚もどんどん減っていた。

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道路開発のために伐採されたエドヒガン桜の巨木。この木を残すための署名が一気に集まり始めたとき、この木は伐採された。

こうしたことに全力で立ち向かう企業の一員として関わってきたつもりだが、現実的には自然が失われていくスピードは、緩まるどころか加速していると言わざるをえない。

入社して10年を迎え、娘が生まれるタイミングで娘が成人するまでの次の20年を考えるようになった。自分の言葉に力を持たせるには、今まで以上に現場に立つしかない。現場からの濃い発信をしていく役割への思いが芽生え始めていた。

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湘南産まれ、山形育ちの一人娘。すでに彼女の人生の半分以上が山形となった。


鮭川村に住み、「鮭」をテーマに環境保護に取り組む決意。


この頃から、妻の出身地でもある山形県を意識し始め、鮭川村の鮭漁というキーワードに出会った。実際に訪れてみると、「鮭」が地名につく自治体は日本でここしかなく、その名の通り鮭が遡上する素晴らしい川がまだ残っていた。

日本在来のシロザケは、1万km近い索餌回遊 (さくじかいゆう ※2) を経て生まれた川に戻る遡上魚であり、北国の厳しい冬のタンパク源として人との歴史も深い魚だ。

そんな魚を指標にすれば、他のすべての魚も住みやすい海や川が前提となるはずと考え、鮭漁の現場に関わることを決めた。

※2 索餌回遊:エサを探し求めて生息場所を移動すること

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鮭が上る川「鮭川」との出会い。野生の鮭も多く遡上する素晴らしい地形が残っている。

退職した今もパタゴニアのファンであることには変わりなく、この会社で働く人や理念にも共感している。ステージが変わっても、海や自然の未来への思いは変わらない。これまで出会った仲間の存在を信じて、前に進んでいくしかない。

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「言葉よりも行動を」。僕が退職するタイミングで30周年を迎えたパタゴニア日本支社の記念ステッカー。背中を押してもらえた気がしている。

もともと環境に対する強い意識を持ち続けてきた松並くんだったが、そのスタンスはパタゴニアに入ることでさらにアップデートされたようだ。

パタゴニアの環境とビジネスを両立させるスタンス。その根底にある自然や環境に関するフィロソフィーへの過剰なこだわり。そういったパタゴニアでの学びが、松並くんを新たなステージへと駆動させた。

そして今、パタゴニアを卒業した彼が掲げる次なるテーマは、「鮭」だ。

次回の連載レポート第4回では、その「鮭」をフィーチャーし、日本人と鮭の関係性を紐解いていきたい。

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文・写真:松並三男 構成:TRAILS

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* * *

『TRAILS環境LAB』の記事シリーズにおいてスタートした、松並三男 (まつなみ みつお) くんの連載レポートの第2回。

松並くんは昨年パタゴニアを退職し、山形県鮭川村に家族で移住した。そこで「鮭」をテーマに環境問題に取り組んでいる。この連載を通じて、僕らも環境保護の「STUDY」を深めていく。

第2回の今回は、松並くんの環境問題への「目覚め」を語ってもらった。

重度の釣りバカ、魚バカであり、またスケートボードやスノーボードなどヨコノリも大好きな彼が、どのような経緯で「環境」というテーマに意識的になっていったのか。

自然のなかで遊び、旅したりしていると、おのずと自然環境にも意識的になる。でもその先にどんなことができるのかが、わからないことも多い。

そんなとき、僕らと同じくトレイルを愛する松並くんのライフスタイルは、いろいろなヒントを与えてくれる。

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現在、山形県鮭川村に住んでいる松並くん。今回は、環境に興味を抱いたきっかけから、大学入学、パタゴニア入社までのエピソードを語ってもらう。


台風後の釣りで、ゴミだらけの海に衝撃を受けた。


大学卒業まで神奈川県中郡大磯町で生まれ育った。家の前に花水川、すぐ後ろに高麗山 (こまやま)、自転車で海まで行ける環境だったこともあり、幼少期より虫取りや魚取りに明け暮れていた。

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大学1年の冬、地元大磯港に通い込んで釣った良型シーバス。(写真:すずき釣具店)

小学校2年生のときに近所の友人家族とハゼ釣りにでかけたのをきっかけに釣りにハマり、海や川へ通うようになった。

中学に入るとサッカー部のかたわら、休日はいつも釣り。高校は部活に入らずアルバイトしながら海のルアー釣り、スケートボード、夏はスキムボードざんまい。学校よりも趣味を通じた仲間の方が多かった。

中3のときだったかな。台風のあとにシロギス釣りに出かけたとき、ゴミだらけで釣りにならず、当然魚も釣れなかった。

釣師のポイ捨てゴミと毎回引っかかってくるビニール袋にうんざり。

「これ、なんとかせねば……」

思い返せば、これがぼくの環境に対する意識の最初のターニングポイントだった。

写真3 釣りとゴミ
釣師のポイ捨て、台風後の海……ゴミだらけの海に直面。これが環境問題を意識するきっかけとなった。


海を良くしようと思ったら、森を見ていく必要がある。


高1のときに新聞記事から「赤潮の発生をミズクラゲのアレロパシー物質により抑制する」という記事を見つけ、生態系の仕組みに興味を持った。

この記事を書いたのが日本大学生物資源科学部の海洋環境学研究室で、このときに「ここで学びたい」と思い進路を決めた。そのため高校では成績をキープしながらこの学科の推薦を取り、無事に目的の学科に入ることができた。

そして進路が決まった高3の冬、「漁師が山に木を植える理由」(著・畠山重篤、松永勝彦)という書籍と出会う。推薦で合格した後、海の勉強をしようとたまたま手に取った本のひとつ。

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日本大学生物資源科学部への合格が決まり、海の勉強をすべく手にした本。

海の砂漠化 (※) の原因は陸域にあり、広葉樹の落ち葉が堆積し発生する腐植酸が鉄分の運搬に関係しているという話だった。

海を良くしようと思ったら森を見ていく必要があるという考え方を知った。この本を読んでから、海に対して幅広い視野を持つことを意識するようになり、それは今も考え方の基礎になっている。

※ 海の砂漠化:海藻が消滅して、海中の岩石や岩盤が白色の石灰藻で覆われた状態のこと。数十年あるいは数百年にわたり海藻が回復しない可能性がある。これを、北海道大学教授である松永勝彦氏が「海の砂漠化」と称した。

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地元大磯の自宅裏にある高麗山 (こまやま) は、小さい頃からよく通った裏山。海を良くするにはこういった森も重要なのだ。

大学入学後、研究室は海洋環境学と決めていた。研究室に入るまでは、とにかく行動に移していくため、学内の身近なゴミ対策をする有志団体に入り、学園祭のゴミ問題を考える全国的なネットワークでも活動した。

学園祭の裏側で発生する大量のゴミに対し、非木材紙容器への切り替え、国産間伐材割りばしの販売、オーガニックコットンTシャツ販売(パタゴニアBeneficial T’s)、当日のゴミ回収と分別、といった裏方での地道な活動を続けた。

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大学の学園祭で集められた大量のゴミ。


「自然を理解するには現場に通う」。これが若い頃からのぼくの変わらないスタンス。


大学3年から研究室がはじまると、恩師である荒功一先生に出会う。

「グローバルな視野を持って、レジオナルに研究する」、「自然を理解するには100回も1000回も現場に通う」というのが、当時からの荒先生の研究方針だった。

先生はこれを地道に実践し、相模湾沿岸のリアルなデータを積み重ね、現場の漁業者や活動家に、誰よりも敬意をはらう尊敬できる先生だった。

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荒功一先生の研究室では、海岸での清掃活動も頻繁に行なった。

研究テーマを決めるときも、「お前ら間違っても図書館行くなよ。海を見て考えて決めろ」と言われたことが印象深く、素直にそのまま海に向かい、ゴミだらけの海を前に決めたテーマが「海岸漂着ゴミ」だった。

海ゴミは、今でこそSDGs (※) の流れもあり世界的に認識されるようになったが、当時はまだ特定の人の論文しかでておらず、社会的にも「ポイ捨てはやめよう」くらいで根本的な原因には大きく取り組まれていなかった。

※ SDGs:「Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)」のこと。2015年9月の国連サミットで採択された、2016年から2030年までの国際目標。持続可能な世界を実現するための17のゴール(グローバル目標)と169のターゲット(達成基準)で構成されている。

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大学の研究室では、海ゴミの研究に没頭した。

研究については、ある時期の水平展開での漂着ゴミ調査は多かったが、定点観測での時系列のデータがあまりなかったことから、SEN(サーファーによる環境を考えるネットワーク)主催の海岸清掃活動に参加しながら、半年間の定点観測を実施することにした。


海岸にあるプラスチックが「人工芝の破片」であることに気づく。


単位面積当たりの砂中にあるプラスチックをすべて選別、カウントしていく地道な作業からの大きな気付きは、緑色のプラスチック片が「人工芝の破片」であることに気付いたことだった。

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海で見つけた緑色のプラスチック片は、実は人工芝の破片だった。

当時、レジンペレット (直径数mmの円筒形か円盤形のプラスチック粒) についてはどこの海岸にもあり問題視されていたが、同じようにどの海岸にもあるこの緑の破片については「プラスチック片」の一部としか認識されていなかった。

発生源に気付いたのは、海からかけ離れた長野県の知人宅。玄関に落ちている緑色の破片を発見し「あっ!これ!」と思わず拾って持ち帰った。

人工芝は海で使うものでもなければ、ましてポイ捨てするようなものでもないが、どの海岸にも必ず存在する。このことから、海のゴミは日常生活の消費すべてと密接に関わっているという感覚が確信に変わった。

現場に通わないと気付けなかったことであり、その後の活動をぶれずに進めていく上でとても重要な経験だった。

SDGsでようやく世界的な課題として認識された今、あのときのプロセスが間違っていなかったということをあらためて実感している。


大学卒業後は、就職せず、ほぼ毎日ゴミにもまれる日々を送る。


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かながわ海岸美化財団の海岸清掃員時代。仕事として毎日、海のゴミを拾い続けた。

大学卒業後は就職せずに、フリーターで海岸清掃や釣り中心の生活を続けた。思い付きで国内を旅し、仕事は山形蔵王や小笠原での住み込みバイト、訪問販売、イタリアンレストランなど、すべて貴重な社会経験として今に繋がっている。

特に印象深かった仕事は、卒論でもお世話になった公益財団法人かながわ海岸美化財団の海岸清掃員。リーマンショック時の緊急雇用対策だったが、失業者の中で唯一自分だけがこれを「目的」として志望し、受け入れてもらった。

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花火大会後の朝。目を覆いたくなるようなゴミ回収にも携わった。

平日は仕事として海のゴミを拾い、休日もボランティアでの海岸清掃、夏休み中は民間業者での海ゴミ回収の仕事もいれていた。半年間ほぼ毎日ゴミにもまれる日々を過ごした。


もっと海を良くしたい。その強い思いを胸にパタゴニアに入社。


海のゴミは社会の縮図だ。海のゴミは日常生活と密接に紐づいている。

夏の海水浴場の裏側、花火の後のゴミ山、台風後の海岸、磯でのゴミ回収、ボランティアレベルでは対応できないハードな海岸清掃をしていく中で、この感覚はもう否定する隙がまったくないほど体に染みついている。

この仕事の契約満了時、仕事を通じてもっと海を良くしていきたいと考えていたとき、ちょうどパタゴニアの募集を見つけ、応募、入社することができた。

「この会社なら自分の思いを重ねられるかもしれない」という希望を胸にしながら。

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パタゴニアに入社して最初の配属先はゲートシティ大崎。立ち上げスタッフとして携わった。

最後に、恩師である荒先生の当時の資料に記載されていた学生へのメッセージを紹介したい。

「日本をダメにした大人たちを信用するな!」

これについては大人になった今、次の世代に同じことを言いたくなってしまう。現場に100回も1000回も通い詰め、そこから見えた道を進めばいいのだと思う。

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家族 (妻と娘) と一緒に、大好きな海で。

松並くんの話を聞くと、自然のなかでの遊びが好きだった少年が、まっすぐに環境や自然を守るアクションに進んでいったことが伝わってくる。

海と釣りが出発点だった松並くんは、「海を良くしようと思ったら、森を見ていく必要がある」という考えに出会った。やがてそれは現在の山形県鮭川村での活動にもつながっていく。

次回の連載レポート第3回では、彼がパタゴニアで学んだことと、その後、鮭川村に住むことに決めた経緯について語ってもらう。

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文・写真:松並三男 構成:TRAILS

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『TRAILS環境LAB』の記念すべき1回目は、環境保護の「SUTDY」として、「鮭」をテーマに環境問題に取り組んでいる松並三男 (まつなみ みつお) くんの連載レポート。

松並くんは、トレイルで遊び、旅することが大好きな僕らの仲間だ。彼との出会いは、パタゴニアの神田ストア。松並くんは、当時パタゴニアで働いていた。その後、TRAILSにも遊びに来てくれるようになり、お互いの活動を報告しあう仲になった。

彼は、トレイルカルチャーに関しても、環境保護に関してもTRAILSとバイブスが近く共感できる。そして、リスペクトしている彼の活動やトレイルライフを通じて、鮭と川という視点から環境問題について学んでいきたいと思う。

松並くんは昨年パタゴニアを退職し、山形県鮭川村に家族とともに移住した。鮭川村という名前の通り、鮭の遡上する川の近くで暮らし始めた。そこで彼は鮭を通じて、自然環境を守るためのアクションを模索している。

第1回目の今回は、松並くんとはどんな人間かをきちんとみなさんに紹介したいと思い、幼い頃から釣りやスケートボードなどに明け暮れてきた彼の遊びのスタイルや、自然との付き合い方を中心に語ってもらった。

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神奈川・大磯町の海岸。ここが松並くんの原点となる、自然のなかの遊び場。


はじめまして、松並三男です!


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こんにちは! 山形県鮭川村の松並です。後ろに見えるのが鮭川です。

ぼくは今、山形県の鮭川村という場所で鮭をテーマに活動しています。

幼少期より海や川で遊び、水産系の大学では海洋環境学を専攻。大学卒業後は、フリーター時代を経て、パタゴニアの直営店で10年過ごしました。そして昨年山形へ移住して今に至っています。

縁あって今回、TRAILSで鮭や環境についての記事を書かせてもらうことになりました。

環境に関する本題の前に、まずは第1回の今回のレポートでは、自己紹介がてら、ぼくがやってきた山・川・海とヨコノリの遊びや、TRAILSとの出会いを紹介したいと思います!


釣りが自然のなかでの遊びの原体験


出身は神奈川県の大磯町 (おおいそまち)。家の前には花水川、自転車で海まで行ける環境だったので、幼少期は虫取りや魚取りに夢中でした。

小学2年生のときに近所の友人家族とハゼ釣りにいって釣りにハマり、海や川へ通うようになりました。5年生くらいの時には針と糸の結び方を覚えて仕掛けを自作するようになり、自作仕掛けではじめてシロギスを釣った時の感動はいまだによく覚えています。

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小さい頃から大学くらいまでは、とにかく友だちと魚を釣りまくっていました。これは大学時代の魚バカたちと(写真左が筆者)。

中学から高校にかけては海のルアーにハマり、シーバス、ヒラメ、マゴチを追いかけ、水産系の大学に入ってから釣りはさらに加速していきました。

魚の勉強をしながら、魚バカの仲間たちと釣りに出かけるという最高に楽しい大学生活。伊豆や三浦半島に通い、シーバス、メバル、アオリイカ、カサゴ、太刀魚などなにかしらを追いかける日々でした。

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多摩川にて、フライフィッシングで釣ったキビレ(フライはオグラスペシャル)。


ぼくの釣りはジャンル・フリー。毛ばりやルアーも自作。


ぼくの釣りのスタイルはルアー、フライ、エサ、船といった、それぞれのジャンルにはまらないこと。

大事にしたいのは技術よりも魚との関係性で、最新の高級ロッドでも竹の棒でも、エサでも毛ばりでも、純粋に楽しむことを意識しています。

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鮭川村に移住してからは、源流部での釣りも仲間と楽しむ機会が増えた。

特に好きな釣りをひとつあげるとしたら、磯、干潟、渓流、南国のリーフなど地に足付けた自然地形の釣り。

ヒラスズキ、シイラや青物、尺メバル、ロックフィッシュなど、自然の地形や流れの変化から野生魚を探すプロセスは本当に楽しいです。

今、一番釣りたい魚は磯からのヒラマサですね。何度か遠征したものの、技術不足と縁がなくなかなか出会えずにいて。なので、釣りあげたときは泣いてしまうかもしれません。

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最近はプラスチックゴミを出さないよう、会津桐の端材とアルミテープでルアーを自作。

今は、毛ばりやルアーも自分で作るようになりました。プラスチックルアーがゴミになってしまうことに抵抗があって、会津桐の端材とアルミテープで作るようになったんです。

簡単なつくりですが、削るのも楽しいし、お金もかかりません。「重心をもうちょっと前にしてみようかな」とか、気づきがあれば自分で調整できることもメリットだったりします。

釣ること自体はもちろん楽しいんですが、準備するプロセスが最高に楽しいことは、大人になってからあらためて実感しています。「一生幸せになりたければ、釣りを覚えなさい」という名言は真実だと思っています。


“ ヨコノリ ” は中学時代のスケボーから


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中学からやりはじめて、今なお楽しんでいるスケートボード。

ぼくは、いったいいつから “ 横 ” を向いていたんだろう? ちょっと振り返ってみました。

人生で最初の乗り物は4歳くらいの時のローラースケート。これが小学3年生くらいでインラインスケートに代わり、鬼ごっこなんかもインラインスケートでやってました。階段やフェンスを駆け上がったりして、なかなかエクストリームな遊びをしていたと思います。

湘南という土地柄もあり、中学生くらいからはスケートボードにも乗り始めていました。スケートボード熱がグンと加速したのは高1の時だったと思います。

同じタイミングで始めた知人と競い合うのが楽しくて、オーリー、グラインド、フリップあたりをはじめて成功した時の感動はよく覚えています。

スケートのおかげで世代を超えた仲間も増え、未成年ながらいつもみんなで夜中まで遊んでいました。

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最近、鮭の形のスケートボードを自作。名前は「サケートボード」(笑)。2歳の娘と一緒に遊んでます。

他には、夏休み中はスキムボードにハマり、大磯ロングビーチでのアルバイトあがりの夕方、毎日砂浜を走って板に飛び乗っていました。

大学に入る頃には釣りによりシフトしていったので、スケートはあまり上達はしなかったんですが、大学内のミニパークでのんびり遊んだりしていました。


板一枚あれば、街、海、雪が極上の遊び場になるのが横乗りの楽しさ


スノーボードは大学卒業後に山形蔵王で2シーズン住み込み、一生分滑るくらいのつもりで12~3月まで毎日滑っていました。おかげで、だいだいどんな斜度でもコントロールできるようにはなったと思います。

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今も雪国の山形で、冬はスノーボードを楽しんでいる。

この頃にロングボードで波乗りをするようになり、鵠沼に住んでいた時は海にもかなり入っていました。

山形に来た今も、相変わらずのんびりと横を向いています。今のぼくにとって、スケートは交通手段とトレーニング、スノーボードは雪上散歩、サーフィンは海に浮かぶ理由、といった具合です。

板一枚を挟むだけで、街、坂、海、雪が極上の遊び場に生まれ変わるんです。このクリエイティブさは、横乗り特有の魅力だと思っています。

横乗りも釣りも両親がやっていたわけではありません。大磯という土地柄が、この楽しみを教えてくれたのかもしれません。感謝ですね。


TRAILSとの出会い


パタゴニア神田店で働いているときに常連だった佐井さん家族が最初の出会い。たしかTRAILS立ち上げ直後くらいだったのではないでしょうか?

佐井さん家族の旅をするような生き方が本当にかっこよくて、当時から尊敬している大好きな家族でした。

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パタゴニア神田ストア。

他にもギアループマーケットというアウトドアのフリーマーケットで佐井さん夫妻のスノーシューを僕たち夫婦で受け継いだり、パタゴニアストアイベントのゲストが根津さんだったり(すごいことを肩の力抜いて話す雰囲気が最高でした)、いろいろなかたちで縁があったのだと思います。

昨年パタゴニアを卒業し、ここからの余生は魚の現場から声を上げていきたいと動き出したタイミングでいただいた、この連載。

鮭に関する “ 本当におもしろくて、役に立つ、他にはない、リアルな情報 ” をお届けできるよう頑張ります!

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山形の鮭の現場から、自然のこと、環境のことをお伝えしていきます!

松並くんは、自然のなかでの遊びがたまらなく好きで、そこから環境問題へと意識的になっていった。

第1回目の今回は、環境問題といっても、真面目なだけではなく、自然のなかでの遊びを大切にしている、松並くんのバイブスを感じてもらいたくて、彼のフィールドにおける履歴書のような内容を紹介してもらった。

次回は、そんな松並くんが、具体的に環境問題に取り組むようになったきっかけや、なぜ「鮭」をテーマに山形で暮らすことにしたのかという経緯を、詳しく語ってもらいます。

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