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<フォロワーゼロのつぶやき> 中島君(写真家)による、山や旅にまつわる写真と、その記録の断面を描いたエッセイ。SNSでフォロワーゼロのユーザーがポストしている投稿のような、誰でもない誰かの視点、しかし間違いなくそこに主体が存在していることを示す記録。それがTRAILSが中島君の写真に出会ったときの印象だった。そんな印象をモチーフに綴られる中島君の連載。


#20「よこになりたい」


よこになりたい。いろんな人に会って、話しすぎた。昨日の酒も残っているとなおさら。生きて話してばかりだとこの世は人間が中心だが、人が舞台から消えていなくなっても、舞台はそのまま、消えないであること、地面も床も残る。そのことを感じたくて山にいくのか?近頃は山だけではなくて、みちのく潮風トレイルにいくから海にもいく。「夜の浜辺でひとり」のキム・ミニみたいに浜辺で砂がつくのもきにせず、よこになりたい。「あぶないですよ」と起こされたら、砂をはらってまた歩き出す。

休憩が好き。どこぞの海岸で、浜辺の手前の、コンクリートの堤に座る。太陽の位置が高い、光が細かい海のひだに反射して金平糖みたいなつぶつぶが無数に点滅するその光が目にまぶしい。そのキラキラの中にすべる、小さくおもちゃみたいな船がみえる。じっとみていても動いているのかわからない。

しばらく目を離して、もう一度みてみる。やはり動いていないようだ。弁当か?船の中には、船を運転する人がいて、腹が減ったら、弁当は船を停めてから食べるのだろうか。こちらも休憩だが、向こうも休憩か。こちらは鍋を出して、コンクリートに置くと、乾いたいい音がする。

 

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サッポロ一番塩ラーメンの袋を出す。お湯が煮立ったら、麺をいれて、それにこないだ机浜の売店に100円で売っていた、三陸の乾燥ワカメを入れる。わかめはお湯を吸い込むと想像をこえてふくらんで広がり、鍋の表面を覆いつくした。フォークで一枚ひっかけてもち上げると、濃いグリーンが光を透かして明るくなった。口に入れると、つるんとして、塩の味がする、おいしい。

食べ終わると、よこになってみる。風景は静かで、無駄なものがない。しいていえば自分だけが外からきた、不純なざわつきがある。「余計なことは言わないので、僕も風景の仲間に入れてもらえないでしょうか」。そんなつもりで、じっとしている。

ここが舞台なら、樹の役、石の役、コンクリートの堤の役がいい。あとは下草。なにもせず、ただ風を受けて、ふわふわと前髪を揺らすだけの存在でいい。そういえば、さっきの船がいなくなった。それとは別の船がよこからきた。あれも、動いているのかわからない。
ここにはひとつも、台詞がない。

 

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フォロワーゼロのつぶやき 中島悠二 #18 Everybody feels the same


フォロワーゼロのつぶやき 中島悠二 #17 トレイルエンジェルぽい

<フォロワーゼロのつぶやき> 中島君(写真家)による、山や旅にまつわる写真と、その記録の断面を描いたエッセイ。SNSでフォロワーゼロのユーザーがポストしている投稿のような、誰でもない誰かの視点、しかし間違いなくそこに主体が存在していることを示す記録。それがTRAILSが中島君の写真に出会ったときの印象だった。そんな印象をモチーフに綴られる中島君の連載。


#19「道は五目中華に至る」


今はグルメサイトで星がいくつとか点数がつくから店は客の評価を気にてしまう。すると店は平均化されて、どこも似たような雰囲気に。一定の満足感はあっても予定調和だし、突き抜けた特別な体験をもたらせてくれる〈はみだしてしまった店〉は点数化されないまま淘汰されていく。特に都心では、ますます居場所がない。

それでも地方にはまだ希望がある。情報の網(ネット)をかいくぐり、ゲリラ的にそのような店に辿り着くこと。歩き旅にはそんな可能性があるはず。

信越トレイルの延伸予定ルートを4日間かけて歩いた。ライターの根津さんと山をおりて、いろいろあって津南駅周辺で店を探った。歩いてると黒ずんだ外観に足がとまる。中華屋らしいが、看板ははがれ落ち、のれんもかかっていない。わずかに開いた入り口から光がもれている。中で人が死んでいるのではないか。扉をあけると根津さんの背中がビクッとして止まった。店主のおじさんが昼寝をしていたらしい。

 

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寝起きの店主は、「二人ならOK」と入れてくれた。外観に劣らず、店の内部が素晴らしい。飲みかけのペットボトル、吸い殻入り灰皿、箸がささったままのカップ麺の容器。盆の上に置かれた広辞苑。ねじれて伸びた血圧計。だらりと垂れたのれんと出前のアルミケースなどなど、が各テーブルやカウンターにバランスよく乱れて配置されている。店というより〈部屋〉に招かれたような親密な空間が、とても楽。

「時間かかっちゃうけど」。店主が言った。元西武の石毛似、白髪の坊主頭に〈QuickSilver〉のTシャツがよく似合う。「起こしてくれなかったら、出前忘れるところだった」と言って店主は激しく中華鍋を振った。…どうやらこれから出前にでるらしい。放り出されたアルミケースに料理をつめこむと、店主はあわただしく出ていった。真剣な横顔だった。中には僕と根津さん以外誰もおらず、テレビの大相撲中継だけが小さな音を出している。

なんというか、サプライズ。
時間が突然、進む方向を失ってしまった。

「酒はおいていない」とのことなので、お茶の湯呑に根津さんがもっていた焼酎を注いで、残った行動食をつまみに店主の帰りを待った。そのうち大相撲中継は終わり、便所に立つと焼酎がまわった。気持ちがいい。もうこの時点で十分だった。店主が帰ってこなくても、このまま何も食べずに店をでたとしてもいい。僕らはすでに辿り着いているのであって、もう星がいくつとか、そういうことを越えているのだ。

しばらくすると店主がもどってきて(少しガッカリ)、注文していた〈五目中華〉が運ばれてきた。一目でそれは自分が知ってるタイプの〈五目中華〉とは違った。想定を越えて素朴な表情が目にやさしい。

「信越トレイル、歩いてよかった」と強引に総括したい気持ちがわいてきて、根津さんとふたり、テーブルの温度が上がった。
味は少しも覚えていない。

 

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フォロワーゼロのつぶやき 中島悠二 #18 Everybody feels the same


フォロワーゼロのつぶやき 中島悠二 #17 トレイルエンジェルぽい

<フォロワーゼロのつぶやき> 中島君(写真家)による、山や旅にまつわる写真と、その記録の断面を描いたエッセイ。SNSでフォロワーゼロのユーザーがポストしている投稿のような、誰でもない誰かの視点、しかし間違いなくそこに主体が存在していることを示す記録。それがTRAILSが中島君の写真に出会ったときの印象だった。そんな印象をモチーフに綴られる中島君の連載。


#18「Everybody feels the same」


例えばマラソン大会に出たとして、いきなり走らない。走らないからダントツ最下位。そのうち時間切れで大会スタッフは撤収しはじめ、沿道の人々は消えてしまった。それでも一人取り残されて、歩いている。

ロングトレイルってこんな感じかもしれない。風景は周回遅れの様相を帯びてきて、西日がすごく寂しい。でも心は落ち着いていて、風の動きがわかる。ひとりだけ、平行する別世界に入り込んだみたい。見える街並みはあまりに遠くて、雑草のワイルドサイドを横切ると、誰もいない信号を渡る。

宇多田ヒカルの「虹色バス」という曲がある。跳ねるようなリズムとメロディーから、2番のサビが終わると突然曲調がかわって、瞬間移動したみたいに遠いところから声がきこえはじめる。

“誰もいない世界へわたしを連れて行って
誰もいない世界へわたしを連れて行って”

 

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聴くたびにことばの切実さにぞっとする。2回繰り返すのが、それは決して叶わないとわかっていていっている、みたいにきこえる。ちなみに誰もいない世界とは、わたしをわたしと認識する人がいないのだから、“わたし”すらそこにはいない場所でもある。ともかく曲は「Everybody feels the same 」と続いて終わる。みんな思っている、という。みんな、もちろん自分も、”わたし”はそのことにいつも心を砕いてきた。口にはしないし、Facebookには書かない。外にでるはずのない、内側だけで反響する声。

“ここではない、どこかへ”

別に遠くじゃなくていい。距離の問題ではない。今いるところから、段差を踏み外してみればよくて、“放課後の教室”みたいに入り口はすぐそばにある。例えば携帯の電源を切ってみる。ボタンの長押し。難しくはない。が、簡単ともいえない。

何かをしない、と決めた時にそれははじまる。マラソン大会の外にでて、走らないだけ。もしくは逆に進む。途中で道をはずれるのもいい。スタートラインのピストル奪う。ユニフォーム投げる。道の上で大の字になって空を見る。青い空に雲のかたまりが、ゆっくり動いているのが見える。意識が雲に溶けていって、風の動きがわかるようになる。これで準備はOK。そのうち戻るのはわかっていて、あとは自由を楽しむのがいい。

 

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フォロワーゼロのつぶやき 中島悠二 #17 トレイルエンジェルぽい


フォロワーゼロのつぶやき 中島悠二 #15 歩く生き物

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#17「トレイルエンジェルぽい」


夏だった。家のアパートの隣にある小さな公園の中央にあった桜の木が昨年の台風19号で根元から折れてしまって今はない。それより前の夏ので、きっと木にはセミがたくさんとまって鳴いていた。

その木陰でたばこを吸っていると、突然声をかけられた。40歳くらいか、坊主頭の男性。濃紺のTシャツ。万事こまりはてたという顔に玉の汗が浮く。小さな使い古したポシェットを手にして「これ、買ってくれませんか」と言った。面白い。けどポシェットは全然欲しくなかったので「要りませんね」、と言った。彼は「ですよね」、という大きな間があってそれからため息を吐いた。「何があったのでしょうか」。訳をきかないわけにはいかなかった。

家まで帰る電車賃がないと言う。「仕事がないのです」。以前はエレベーターを設置する業者で働いていたが、事故をおこして指を一本失くしました。 (手を広げて見せるとほんとに一本なかった)。次の仕事も逃げ出しました。昨晩、助けを求めて頼りの知人を電車で尋ねたんですが留守でした。

電車賃もないし行き場がないので夜どおしかけて豊島区から歩いてきました。「すごい遠いですね」と彼は言った。家は横浜方面と言うからまだはるか先。茫然として公園で休んでると、あなたが現れて思い切って声をかけてみました。「全部自分が悪いんです」といってまた大きなため息をついた。「それにしても野良犬って、もういないんですかね、会うのは猫か鳩くらいでした。子供の頃はあんなにいて、よく道端で睨み合ったもんですが」。彼はそう言うと公園の蛇口から水をガブガブと飲みはじめた。

 

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嘘をついているとは思えなかった。ポシェットは要らないけど、ご飯でも食べに行きますかと提案して、近くの台湾料理屋に入った。彼はおいしい、といって食べた。両親にはこれ以上金を借りれない、と言った。全部自分のせいです、と言った。それ以外話題はなかった。うまく言葉が出なかった。それから店をでると、大きな欅並木の道を新宿駅まで歩いた。

駅の地下道で彼はトイレに行きたいと言った。彼はトイレに入ると突然入り口の洗面台で勢いよく水をだし、坊主頭をつっこんで頭をばしゃばしゃと洗いはじめた。終わったのか頭を上げてすっきりしたーという爽やかな顔をして「お待たせしました」と言うので笑ってしまった。ハイカーみたいだと思った。いや、彼はハイカーではない。ハイカー以前の、もっと素朴な原型のようなものだった。交通費を渡すと、改札を抜けていく彼は、タオルがないから濡れたままだった。

 

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フォロワーゼロのつぶやき 中島悠二 #16 マウントホイットニー


フォロワーゼロのつぶやき 中島悠二 #15 歩く生き物

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#16「マウントホイットニー」


最後のキャンプ地はギターレイクといった。ギターみたいな形だからギターレイク。ほとんど眠れずに深夜、テントの外から光がさすので、誰かのヘッドライトがこちらに向いているのかと思って外に出てみると、それは月あかりだった。こんなに輝く月は生まれて初めてだったので声が出た。ヘッドランプなしで歩けるくらい明るかった。よさそうな岩にカメラを置いて、ファインダーをのぞく。頭で数を数えながら数分間シャッターを開けた。

頂上で日の出を見ようとまだ暗いうちに出発した。高度を上げて振り返るとどこまでも続く岩くずだらけの世界が月明かりにじんわり浮かんだ。月明かりは単色のスポットライトで、岩肌に黒い影をつくった。古い映画の中みたいだった。すごく寒いし、きつい。険しい岩のやせた尾根をこわごわ緊張して登っていくと、ようやく道が広がってきた。頂上は目の前のようだ。冷たい風が吹いて手も足も指先の感覚がなくなるくらいだった。空気も薄し、なにせここは4000mを超えているのだから!

すでに何人かがいた。みんな男だった。高い岩の上でゴールを喜んで大きな声をあげている人がいる一方、声を出さずに静かに座って日の出を待ってる人がいた。僕は静かにしているほうの人間として新たに加わった。

 

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いよいよ太陽が昇ってきたのだけど、低い雲にさえぎられてなかなか顔を出さない。みんな寒いから体を縮めて祈るように太陽を待っていた。ジリジリきてとうとう雲の上に顔を出したときは赤い時間帯はもう終わった後で、すでに光は黄色かった。自分も含めて、そこにいる人たちに微弱な黄色い光が平等に当たってほんのりあったかくなった。その光が当たるのが最後の合図というように、人々は体の向きを変えて散り散りになった。

もうこれで終わりなのだ、と思うと満足する気持ちがあった。やっと楽になれる、と思うと寂しくなった。何枚か写真を撮って、やっぱり寒くて我慢できないので下りることにした。

その下りの一歩には、この歩き旅をまとめて終わりに向かわせる残酷な感触があった。だけど僕はもうあまりにくたびれていたし、その残酷さに穏やかに従うのだった。

 

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フォロワーゼロのつぶやき 中島悠二 #14 VS 自然


フォロワーゼロのつぶやき 中島悠二 #13 サウザンドアイランドレイク

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#15「歩く生き物」


毎朝、同じ時間に目が覚めた。朝はパン一枚と、湯をわかしてスープを飲む。朝はのんびりしない。テントを片づける。歩くのは遅い。

夕方まで歩いたら、気持ちのいい場所をみつけてそこにテントを張る。中に入ると家に帰ってきたみたいだ。夕食までは散歩して写真を撮ったり、水を汲んできて体を洗った。たばこも吸って、日記を書いた。この時間が一番好きだった。食事を済ますと本を読んだり、暗くなったら寝袋に入ってライトを消して、そのまま寝るか、落語の声をきいた。夢はほとんど見なかった。何の意識も寄せ付けないかたくなな眠りだった。

また朝になった。朝はのんびりしない。テントを片づける。「行ってきます」と、声には出さない。規則正しい生活。無駄のない簡潔さ。与えられた業務を淡々とこなしていくだけでそこに疑問を差しはさむ余地はない。なにか人に話して面白いことを考える必要もない、スカしたイノベーションもいらない。毎日歩いて前に進むだけの、そういう簡単な生き物になった。これが求めていた自由かと思うとおかしかったけど、たしかに十分、ほかに何もいらないのだった。

 

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食料補給のために町へおりた。街はずれの荒野にキャンプ場があってそこでテントを張った。すぐに堕落したかった。ガソリンと排気ガスの匂いがうまい、砂埃も混じったそれを鼻から吸って、脂ぎった不健康なものを食べたい。喉が詰まるくらい強引にビールで流し込んだら、渾身のゲップを吐くのだ。いや、それでは足りなくて、ほんとうはもっと悪いことがしたかった。すぐに酔った。疲れすぎて、骨までグニャグニャになった。便所に立つと、身体が意識に遅れた。口を開けて尿を放つ。戻ってきた。自分の腕が日焼けで黒いのをぼんやり見つめた。シエラの太陽の光が確実に自分の身体に染み込んでいるんだなあ、と耽った。

車で旅をしているカップルが話かけてきた。缶ビールをくれた。話に内容はなかった。顔も覚えていない。ふたりは笑っている。夕暮れの光を背景にふたりが肩を寄せたシルエットだけが思い出されて、それがなつかしい。

最後の食料補給だった。またザックがパンパンになって、重いけど、新鮮な気持ち。翌日は山に戻って、また同じ朝を繰り返す。

 

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フォロワーゼロのつぶやき 中島悠二 #14 VS 自然


フォロワーゼロのつぶやき 中島悠二 #13 サウザンドアイランドレイク

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#14「VS 自然」


テントをパチパチとたたく音で目が覚めた。跳ねるように体が反応した。あらゆる最悪な予感。夢ではない。何かの間違いではないか。テントから顔をだすと、雨が降っていた。目を疑った。すぐには受け入れられない。茫然として空を見上げる。これには地面の芝を掻き毟ってやろうかと思うくらい頭にきた。実際数本つかんでひきちぎった。

昨日も一日雨だった。でも明日はようやく大丈夫だと、夜の星空を眺めながら安心して眠ったのだった。そうやってすっかり油断させておいてから、とつぜん突き落としにかかる。卑劣なやり口。いつでもこちらを先回りして、出し抜いてくる。スリッパで追いかけられるゴキブリの気分。天気とか自然だからといってそういうものだと割り切ってさらりと受け流すような度量はもうこちらには残っていない。そうするのが分別ある理性的なふるまいだとしても今の自分には嘘だ。自然がそんなに偉いのか。簡単に許すわけにはいかない。人の心がないのだろうか?

たまには声をあげるべきだ。念のためまわりにひとがいないことを確認した上で叫んだ。喉に引っかかる感じがした。マイクを通さない叫び声はこだますることなく雨の音に吸い込まれて、ほとんど無駄。地面を強く蹴る、強く、強く蹴った。ここまで来たのが間違いだった。「もう絶対に期待するのはやめた」。そう日記に書きこんだ。怒りで文字を埋めていくと、すこしは気持ちが落ち着いてくるのだった。

 

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とはいえ当然時間がたてば空は動きはじめる。それもそう遠い先ではなかった。雲の様子が激しく変化しているのが見えた。そう簡単に判断してはいけないが、どうやらほんとに上向いている。そうしてとうとう雲が割れた、青い空がみえる!太陽が顔をだした。これが答えなのか?まだ乾かない草の上の水滴が光を反射してキラキラした。

ザックからカメラをだして写真を撮ると、体中に栄養がいきとどくようにぐんぐんと力が湧いてきた。太陽の強引な光が、自分の中のあらゆることを裏から表にひっくりかえしていった。泣けてくる。どう考えればいいのだろうか?あきれてしまう。これが自然の二枚舌だ。これがやつらのやり口なのだ。

 

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フォロワーゼロのつぶやき 中島悠二 #13 サウザンドアイランドレイク


フォロワーゼロのつぶやき 中島悠二 #12 武甲山

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#13「サウザンドアイランドレイク」


山の上なのに嘘みたいに湖が広がっているところがあって、圧倒された。大きな湖の中にいくつも小さい島が浮んでいる、だから名前がサウザンドアイランドレイクという。ドノヒューパスを越えて歩いてきて、まだ昼前で11時だったけど、ここを離れてしまうのは惜しい、疲れたしもういいやと思ってテントを張ることにした。

天気は最高だった。濃い青の、雲ひとつない空。湖がそれを映してさらに黒に近い、底の抜けたような青になった。水を汲んできて洗濯して干した。自分も洗濯ものに並ぶように昼寝した。

それから湖におりてみた。誰もいなかった。サンダルを脱いで湖に足を入れた。その瞬間視界が一気に晴れるようだった。頭の中が透明なもので満たされるみたいだった。目の解像度が上がっていくようで、透き通った水の中で、すね毛の一本一本が小さく波に揺れるのを正確に確かめることができた。ちょうどひざ下くらい、水に浸かってひやっとしているところと、それより上のまだ濡れていない皮膚との境界線上に意識が吸い込まれるようだった。その境界線が波のせいでわずかに揺れて上下した。

 

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視線をあげると正面にはバーナルピークといっていびつな岩の塊が突き出してでかでかと湖を見下ろしている。その周囲には無数の岩くずが散らばっていた。どれだけすごい爆発と集積を繰り返せばこんなノイジーな景観ができあがるのだろう?そこにポツンと立ひとりで立っていると、ここは日本じゃなくてアメリカであってJMTなのだけど、それよりどこかの知らない惑星みたいで、そこに残された最後の人間みたいだった。

「このためにきたのだ」と思うと感傷的になって、ひとりだから抑えが利かないのでますます感傷的になった。涙はでないであくびがでた。自分のJMTがもうはじまっていることが受け入れがたかった。もう歩き始めて6日もたっていた。

 

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フォロワーゼロのつぶやき 中島悠二 #01 韓国のイザベル

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#12「武甲山」


どうもうまくいっていないので、たまには山にいこう。
秩父の武甲山にしてみる。秩父出身のギタリスト、笹久保伸のネット記事によると、武甲山では100年前から石灰石の採掘がはじまり、今でも日々ダイナマイトで爆破され続けている。12時半になると時報のように爆破音がするというので、それをききにいこう。

横瀬駅から、車を使わずに歩いていけば、近づいてくる大きな武甲山の麓にへばりつくセメント工場の中を歩くことができる。トラックが何台もよこを通る。

振動でふるえる建屋。砕かれた石が吐き出されて山になっている。粉塵が逆光に舞い上がって白く光る。トラックばかりで人影は少ない。遠くにひとり、後ろ姿が建屋の中に消える。音はするのに動きはなく、奇妙に静か。滞りなく、たんたんと。余計なことは考えずに与えられた作業を続けること。それが信仰の山、神の山を破壊しつづけるコツだ。

歩いていると一台車が横にとまった、登山客のおばさんに乗っていくかといわれたが断った。
工場を抜けて登山道に入ると杉林が続く。
景色はずっと変わらず、登るともう着いた。
神社が建っていてその裏にまわりこむと山頂がある。そこはフェンスにかこまれた狭い喫煙所みたいなところで、採石場は向こうに広がっているはずだが、フェンスで遮られ、入ることはもちろん見ることすら難しい。代わりに秩父の景色だけはきれいに見渡せるようになっている。エリアをしっかり区分けすることで、余計なものは視界に入れず、何もなかったかのように現実を否認、快適で安全な登山を楽しむことができる。

 

 

フェンスをのりこえて下をのぞくと、けずられた山が台地になってそこだけ不自然に砂漠のように白い。おもちゃみたいな重機が並ぶが、どれも動いていないようだ。
街の住人とは逆の向きから、作業員は毎日秩父の街を見下ろしながら石を運んでいるのだろうか。
想像してみる、彼らの生きる時間。
反転した世界の住人。

喫煙所のような山頂に戻り、弁当を食べて待った。時間が近づくと立ち上がって、秩父の街を見下ろしながら身構える。
するとほぼ定刻どおり、遠くの方でパン!と一発、ザザーーーと石が散らばる音。

……。

「こんなものか」。

となりのおじさんは音にまったく反応しないで、コンビニの平たいパンを食べている。

下で感じたあの奇妙な静けさが、ガスのように上がってきた。

 

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フォロワーゼロのつぶやき 中島悠二 #01 韓国のイザベル

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#11「部屋の入り口」


初夏の低山の下りだった。

梅雨の湿気で空気はむんとしていてたくさん汗をかいた、汗は不快とは思わなかった。蝉が啼いている、ブィンブィンブィンと一定に、耳にリフレインするやわらかい倍音が、下できくのとはちがう、調べればなんの蝉かわかるだろうが調べない。蝉の声はバラバラでも、重なって混ざり合うとひとつの大きなリズムになって、全方位から空気を振わせて、自分の上にふってきた。

ブィンブィンブィンと自分。それだけの世界。

下っていく。下へ。足は何も考えなくて動いた。ザッザッザッと自動で。自分の意思ではなくて足がかってに動いた。木の根とか岩のかたちを読み取って微妙な傾きや凹凸にたいして的確に判断して足がでていた。いや、判断してる間はなかった、それらは一体に流れるように処理されていて、処理とかでもなく、とにかくもう足は前に出ていてそれが常に精確だった。すごい速さだった。この世界ではいちばんだった。オリンピック並だった。

下るというか落ちていた。足はかってに動くので、自分の意識はすることがなくなって、身体の中心から離れてすこし後ろから眺めるみたいに、他人事になった。下に下に。ブィンブィンブィンで、ころがり落ちた。何も考えていないし何も判断しなかった。楽だった。自分がまわりの世界に向かって拡散していくような気分だった。粉みたいになって光を反射させて広がった。音楽みたいになった。

でも同時にこの状態には終わりが近いこともわかっていた。残念だけどそういうものなので、できることは終わりを少しでも後ろに遅らせることだけだった。

足をとめると身体がじーんとした。水を一口飲んだ。水が喉を通った。それがきっかけになって、ドッと沢の流れる音が耳に入ってきたかと思うと、突然ドアがバタン!としまって別の部屋に放り出されたみたいにさっきまでの感覚はなくなった。

 

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すごい汗、緑がきれい。もう蝉の声は沢の音のうしろに隠れていた。
さっきまで確かにそこにいたという感触が逃げていくのがわかった。

一度出てしまうとドアは片側からしか開かないようで戻ることはできない。もうこれは10年も前のことで、それからずっと、別の入り口は見つからない。

 

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フォロワーゼロのつぶやき 中島悠二 #09 時間はタオルにしみこむ


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#10「韓国ソウル、上と下」


今みたいな状況であれば余計に韓国にいきたい。山の上はますます関係がない。3月にせいじと行ったときはまだ徴用工という言葉は知らなかった。あと令和も。

路地裏の安酒場に入ったら隣から韓国人のおじさんふたり組が、メニューがよめない僕らに声をかけてくれた。おじさんは日本語が喋れた。テレビで働く人で2年前にはフクシマも取材した。安倍政権はよくないと言った。同意しつつも、それに応える自分には意見がなかった。

皿に盛られたたくさんの牡蠣を、ケチャップみたいなソースにつけて食べた。ソジュ(焼酎)のビンを何本も並べて、ホン・サンスの映画みたい。路地裏の便所はボロボロで外にむきだしの、その前でみんなでたばこを吸った。

 

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翌日は早く出た。コンビニで水とキンパプとマッコリ買った。地下鉄に乗って40分くらい、駅に着くと空気が冷たかった。そこから歩いて登山口までいける。入口で地図をもらって、枯れて茶色い森をすすんだ。

それから岩にとりつくと2時間もすればもう道峰山(ドボンサン)の頂上にでる。下から隆起したというより、空から落ちて突き刺さったような巨きな岩は白くて、その先端に自分たちははりついた。

よく晴れてすこし霞んだ春の、見渡す、壮絶な景色。場所をみつけて岩の上に座った。日差しのせいで、岩もあたためられた。キンパブをわけて、マッコリをのむ。風がなく、動物はいない。派手な色の登山者が次々にきて、写真を撮ると下りていった。目線がずっと下の、白い岩をどこまでも下へ、そして向こうの山襞まで追いかけていく。

酔ってまだまだ丸く座っていると、そのうちふたりは簡単になった。安心して、意見がない。角がけずれて、もはやどちらが誰かではなく、名前がなくなった。

岩みたいに白く並んで、日差しにあたためられた。

 

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一時間もいて、ようやく立ちあがった。稜線をすこしだけ縦走、急な岩場が続いたのが、酔っているから全然こわくなかった。

下山すると、麓の店でマッコリのんで、地下鉄で戻る。部屋に戻ったらシャワーを浴びてまた鍾路(チョンノ)へくりだす。これが韓国の、山と街の近さ。

とてもおいしい水冷麺、そのあと焼き肉へ。ソジュを飲んでたばこを吸う。肉をはさみで切りながら、ここはもう山の上ではないし、ふたりはどうも意見がちぐはぐになった。

 

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#09「時間はタオルにしみこむ」


ドイツ文学者の池内紀さんは山を歩くので、山の文章も書く。なかでも「海山のあいだ」はこれまでよく読んできた。

中には写真も載っていてそれらも好きだ。よく見せようとしてない。SNSでいいねもらおうとかのだいぶ手前。ドラマチックとかの反対側、力がよく抜けている。大きなものよりも、目の前の小さなものに関心を向ける感じは、文学者らしい。

特に好きなのは、見開きで大きく使われている、旅館のタオルの写真。おそらく山からおりてきて、麓の旅館でひとぷろ浴びて部屋に戻り、タオルを窓際に干した。それから座布団に座り、ビールの栓をあけた。外の日差しがタオルを逆側から透かしてきれい。そこで一枚パチリ。僕はこの写真をみると、山旅の時間をまるごと感じる。長い時間歩いてきてくたびれた身体の感覚が、もう重力に逆らうのはやめて、伸びきったタオルにしみこんでいく。

 

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みちのく潮風トレイルを歩いたとき、ドラマのあまちゃんで有名な久慈駅そばの「ホテルみちのく」に泊まった。評価サイトの星の数では表現されない “いい感じ” のホテルで、なによりタオルがいい。よくある旅館名とか電話番号が書かれたタオルで “み ち の く” とひらがなでかかれているのが気に入ってもらって帰った。

ある時ふと池内さんの本の写真を真似して撮ってみようと思った。窓をあけて、物干し竿にタオルをかけて、やらせだけど気にしない、一枚パチリ。

ところが最近、近所の銭湯にいったらなくしてしまった。シャンプーしてから、洗い場にタオルをおいて浴槽につかった。しばらくして洗い場に戻ると置いてあったはずのタオルがない。

誰かが間違えたのか。ヒゲのおじさんがシャンプーしていたのできいてみたけど知らないと言われた。すこし立ったまま考えて、簡単に諦めた(僕はいろいろすぐ諦める)。身体の水は手で切って扇風機の前で乾かした。ドライヤーで髪も乾かしながら、間違えたタオルでおじさんが股間や脇の下をぬぐっているのを想像した、全然悪い気はしなかった。さびしさよりも、みちのくからタオルが流れて渡っていく頼もしさが勝った。

いや、そうではない、
やはりさびしくなってきた。

写真に撮っておいて良かった。

 

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